第二話 カレー。
雨は止んでいた。
男は、あてもなく歩いた末に、その店の前で足を止めた。
看板はない。
だが、ガラス越しに見える灯りが、妙に目に残った。
中に入ると、カウンターと、黒猫が一匹。
「……営業中、か」
独り言のように呟き、男は席に座る。
返事はない。
猫はただ、じっとこちらを見ている。
店内にメニューはなかった。
代わりに、静かなジャズと、どこか懐かしい空気。
男は、無意識に拳を握っていた。
今日は、うまくいかなかった。
――いや、違う。
うまくいかない道を、自分で選び続けてきただけだ。
キッチンから、鍋をかき混ぜる音がする。
気づけば、黒猫がそこにいた。
立ちのぼる匂い。
スパイスと油、玉葱の甘さ。
目の前に置かれたのは、カレーだった。
「……これ、俺の、か?」
猫は答えない。
ただ、尻尾を一度だけ動かす。
男はスプーンを手に取り、一口食べる。
辛い。
だが、すぐに、深いコクが追いかけてくる。
思い出すのは、昔のことだ。
安全な道を選んだ日のこと。
挑戦を、諦めた日のこと。
「……あの時、違う選択をしてたらな」
言葉にした瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
誰かに答えを求めていたわけじゃない。
ただ、自分が選ばなかった事実を、認めたかっただけだ。
食べ終えると、男は静かに息を吐く。
「ご馳走様」
財布から金を出し、カウンターに置く。
足りているかは分からない。
猫は、何も言わない。
だが、目を逸らさなかった。
店を出ると、夜は静かだった。
振り返ると、店の灯りは消えている。
最初から、そこになかったかのように。
男は空を見上げ、肩をすくめる。
「……ま、選んだのは、俺だ」
そう呟き、歩き出した。




