王族という名の闇
倒れ伏した男の胸が、ひく、と痙攣した。
イリスはゆっくりと歩み寄り、その顎を乱暴に掴んだ。
月に照らされた彼女の瞳は、
怒りよりも――“知りたい”という欲に鋭く光っていた。
「取引相手って……
他国だけじゃないわよね?」
男の喉が濁った笑いを漏らした。
「なんのことだ、嬢ちゃん……」
嘲るような声音。
痛みで歪んだ顔の奥に、まだ余裕さえ浮かんでいる。
イリスの声が低く、湿った。
「ねぇ、聞き取れなかったの?
“貴族が関わってるのか”って聞いたのよ。
じゃなきゃ孤児院から子供を――」
「――はッ!!」
男は突然、腹の底から笑い出した。
血混じりの笑いでも、その狂気は濁らない。
「頭ん中お花畑かよ、お嬢ちゃん……
お前に一つ、いいこと教えてやるよ」
イリスの手がわずかに強張る。
「王族だよ」
「……っ!?」
息が止まったように、心臓が跳ねた。
王族。
その単語は、森の冷気よりも重たく、残酷だった。
イリスが目を見開いたその刹那――
男の腕が最後の力で動いた。
刃が、自分の首へ。
ズブッ……!
肉を裂く音とともに、血が怒涛のように噴き出した。
「待ちなさ――!」
イリスが叫ぶ間もなく、
男の目は虚ろに開き、
体は泥に沈むように動かなくなった。
「……勝手に死なないでよ。
説明しなさい……ねぇ……」
イリスの声は震え、
返り血が頬をつたって滴り落ちる。
その血の温度だけが、妙に生々しい。
彼女はその場に、ただ立ち尽くした。
世界が遠のく――
耳鳴りのように、爆竹の音が森に残響していた。
⸻
爆音を聞きつけた騎士団が雪崩れ込むように到着したのは、その数分後だった。
「いたぞ! こっちだ!」
「子供たちの生存を確認――全員無事です!」
森の奥、小さな木の小屋。
その中には震える子供たち。
馬車の床板を加工した粗末な即席の避難箱。
イリスが作ったものだ。
「人攫いどもを拘束しろ!!」
鎧の音と怒号が飛び交う中、
ガレスとリオンが駆けつける。
「――イリス!」
リオンの声は震えていた。
だがイリスは、振り返らない。
ただ、血に染まった男の死体を見下ろし、
その前で呆然と立ち尽くしていた。
月明かりが彼女の頬の血を照らし、
滴が地面へ落ちる音だけがやけに鮮明だった。
誰も……
声をかけられなかった。
言葉が届かないほど、
イリスの瞳から“音”が消えていた。
まるで、
何か大きな闇に触れてしまった子どものように。
夜風が吹く。
森の奥深くで、誰かの運命が静かに狂い始めていた。




