村人ゼロ、トイレ完備
翌朝の村は、まだ陽が昇りきらず、薄い霧が漂っていた。
静かな空気を破るように、ガラガラと荷車を引く音が近づいてくる。
イリスだった。
荷車の上には、昨日より明らかに増えた残土と石材、竹束、よくわからない鉄屑の山。
その姿は、村に文明を押し付けに来た女神というより――
もはや“工事現場の親方”と呼んだ方がしっくりくる。
オズは寝癖のまま目をこすり、ぼそりと漏らした。
「…昨日もこんな光景みたばっか
…また増えてないか、その荷物……」
イリスは涼しい顔で胸を張る。
「今日はとっても重要な設備を造るのよ。
村を形作る最後の砦。文明の心臓部!」
「文明……?」
オズは眉を寄せるが、イリスは聞こえないふりをした。
藍色の空の下、彼女はぴょこんと石材を持ち上げる。
「――トイレよ。」
その単語が霧の中に消える前に、ラガがむせた。
「は?なんで朝一でそれ作んだよ……」
「なに言ってるの?」
イリスは真面目な顔で言う。
「文明の発展は“排泄の管理”から始まるのよ。これは常識。」
「そんな常識初めて聞いた……」
オズが呆れた声を漏らした。
⸻
イリスは広場の中央にしゃがみ込み、石と土を手に取り始めた。
その様子はまるで職人だ。だが手つきは――驚くほど雑だった。
「まず、この石とこの灰泥を合わせて……砂を混ぜて……」
ぽん、ぽん、と投げられる素材。
そしてイリスは、ためらいなく足で踏み込み混ぜ始めた。
「うわっ……今日も足でいくんだな……」
ラガの声は乾いていた。
「足はね、混ぜ具合を一番感じられるの。
手じゃ精度が足りないのよ。」
イリスの足が土を踏むたび、ザッ、ザッ、と湿った音が響く。
彼女はその感触を確かめるように微笑んだ。
混ぜ終えると、イリスは迷いなく型枠へ泥を流し込む。
そして、軽く叩いた。
バン、バン。
まるで魔法のように、泥は“便器の形”へと変わって立ち上がった。
オズは開いた口を閉じられなかった。
「……え?なんで一瞬で固まるんだ?」
「造作よ。」
イリスは当然のように言う。
「石には相性があるの。選び方を間違えなければ、こうなるのよ。」
ラガは鼻を鳴らした。
「相性……ってそんな恋愛みたいな……」
イリスは次に、竹の束から一本取り出した。
それを便器の横に差し込み、軽くひねる。
「こうするとね、水が流れるの。」
オズは絶句した。
「いやいや……それ、ただの竹の管じゃねぇか……」
「文明っていうのはね、細い工夫の積み重ねでできているの。」
イリスは竹を撫で、誇らしげに笑った。
「この“撓る筒”が、村の衛生を守るわ。」
ラガはついに言葉を失った。
⸻
最後にイリスは、便器の上をじっと見つめた。
「……本当はここに“お尻を癒す装置”をつけたいけれど……」
言いかけて、慌てて口を押さえた。
「べ、べつに何もないわ!」
「今なんか言いかけただろ……?」
オズが目を細めると、イリスは話を強引に終わらせた。
⸻
完成したトイレは、石造りのしっかりした姿だった。
周囲には反光石が埋め込まれ、ほんのり光が満ちている。
まるで小さな神殿のような美しさすらあった。
ラガはぽつりと漏らした。
「……すげぇな。
街灯の次は……トイレか。」
オズも腕を組んで頷く。
「いや……普通、こんな村作りの順番おかしいけど……
なんかイリスだと納得しちまうのが悔しい……」
イリスは満足そうに胸を張った。
「さあ、これで村はより快適になるわ。
あとは“人が来るのを待つだけ”。」
二人は思った。
(――いや、人が来る理由がトイレってどうなんだ……)
だが、イリスの表情は未来を見据えて輝いていた。
“文明はここから始まるのだ”
と言わんばかりに。
村人ゼロの村に、
またひとつ――誰も求めていないのに完璧な設備が増えた。




