知識は、誰かを救う力
――「ただいま」
その一言で屋敷は凍りつき、十年ぶりに戻った私は、まるで幽霊でも見たかのような視線で迎えられた。
それから数日、久々の屋敷で静かに過ごすうちに、あるものに目が止まった。
毎朝、私の髪を梳いてくれる侍女の手。
赤く裂け、血をにじませた皮膚。硬くなった節。
「……その手、どうしたの」
「冬の掃除や洗濯で……仕方ないのです、お嬢様」
はにかむ彼女の声に、胸が締めつけられた。
十年前の私も、紙とインクで荒れた手を抱えていたからだ。
(放っておけるわけ、ないでしょ)
私は倉庫にこもり、蜜蝋や獣脂、香草を並べ、造作の力を込めた。
光に包まれ、小瓶には白い膏薬が、膝の上には柔らかな布手袋が生まれる。
「……ハンドクリームと、ナイトグローブの完成」
その夜、侍女に小瓶と手袋を渡した。
「夜寝る前に塗って、この手袋をして眠って。……あなたの手は、私にとって宝物だから」
侍女は涙をこらえ、震える声で「ありがとうございます」と呟いた。
翌朝、差し出された両手は嘘のように柔らかくなっていた。
「痛みも、もうございません」
彼女の言葉に胸が熱くなり、自然と声が優しくなった。
「よかったわね。……いつも家族を支えてくれてありがとう」
その瞬間、彼女の頬を涙がつたった。
私は決意する。
――もう見過ごさない。知識と造作で、この人たちを守る。
⸻
翌日。廊下を歩いていて、床に膝をついて雑巾を絞る侍女を見た。
背中を丸め、汗を流しながら石畳をこすっている。
胸がざわめいた。
(こんなの、非効率にもほどがある……!)
急ぎ部屋へ戻り、棒と鉄片と布切れを机に広げる。
造作の力を込めると、棒の先端に布が広がり、やがて――モップになった。
さらに桶には鉄枠とハンドルを造作し、ねじれば布を絞れる仕組みを作り上げる。
「……よし」
翌朝、再び廊下で侍女に声をかけた。
「これを使ってみて」
恐る恐るモップを動かすと、広い床が一瞬で磨き上げられる。
桶に差し込んでハンドルを回せば、布は自動で水を切った。
「お嬢様……! こんなに楽に……!」
侍女は驚きの声をあげ、目に涙をためた。
「もう、身体を痛めながら掃除する必要はないわ。あなたたちの身体を守るのは――今度は私の番」
私は静かに言い切った。
侍女は震える唇で頷き、涙をこらえて作業を続けた。
その光景を見ながら、私は強く思う。
――知識と造作は、人を救うための力だ。
そしてこの力で、必ず国を変えてみせる。




