それは恋じゃない。責任だ。
イリスは鎖の先につながれた少年を見下ろし、
にこりと笑った。
「まずは――あなたの名前を教えてくれる?」
少年は眉を吊り上げ、鎖をガチャリと揺らす。
「はぁ? なんでテメェに教えなきゃいけねぇんだよ?」
「そう……教えてくれないのね?」
イリスはわざとらしく顎に指を当て、きょろきょろと視線を泳がせた。
「ん〜……あら、ここに指があるわねぇ。」
指先が、少年の折れた方じゃない手へ――すぅっと近づく。
「どーしよーかなぁ〜? どうなっても知らないわよ〜?」
棒読みだった。
けれど、恐ろしくリアルな“脅し”だった。
少年は一瞬で青ざめ、慌てて顔を上げた。
「ラガ!!
ラガって言う!!
ほ、ほら言ったから!折んなよ!!」
イリスはぱちりと瞬きをし、満面の笑みを浮かべた。
「まあ、ラガ! 素敵な名前ね!」
そのギャップに、ラガは口をぱくぱくさせる。
まるで空気の読めない強者の笑顔を見せられた子犬のようだった。
イリスは手錠を軽く引き寄せながら続ける。
「私はイリス・グランディア。よろしくね、ラガ。」
その名を聞いた瞬間、ラガの瞳が一気に鋭さを取り戻す。
「……グランディア?
ってことは、てめぇ貴族かよ?
お貴族様がそんな暴力的でいいのかよ?」
イリスは肩をすくめ、どこか楽しそうだった。
「あら? これぐらいじゃじゃ馬じゃなきゃ、社交界ではモテないのよ?」
その瞬間、後ろから声が飛んだ。
「実際、お前モテないだろ。」
オズだった。
イリスはくるりと振り返る。
「オズ?」
「いや事実だろ」
オズは腕を組んでそっぽを向く。
「お前、顔綺麗なのに性格がもったいねぇんだよ……」
「余計なお世話よ。」
イリスは冷たく言い放ったが、口元だけわずかに笑っていた。
ラガはその二人のやり取りを見つめながら、
(……なんなんだこの女)
と心底震えていた。
だが同時に――
逃げられないと、本能で悟っていた。
⸻
「ほらっ、そこの雑草あるでしょ? 全部抜いて。」
イリスが指さす先には、
どこまでいっても広がる緑の海。
ラガはうんざりした顔で鎖を引っ張った。
「いや、この鎖のせいで届かねーんだよ!
そっち行けねぇの!!」
「はいはい言い訳ね〜。
逃げようとした分、罰が増えただけでしょ?」
「だからその逃げたのも、鎖短けぇからバレただけだろ!!」
「……へぇ? まだ逃げられると思ってるのね?」
イリスがにっこり笑い、鎖を“キュッ”と握り締める。
「ひっ……いや、もう逃げません……」
「そう。」
その笑顔が優しいのに、背筋が冷える。
――それから、1ヶ月が経とうとしていた。
手首にはめられた鉄の手錠。
その先は、当然のようにイリスの腕へ繋がったまま。
どこへ行くにも、何をするにも、
ラガは“イリスの付属品”状態だった。
「なぁ……いつまでこれ続けんだよ……
トイレだって気まずいんだぞ……」
「だってラガが何度も逃げるから悪いんでしょ?
信頼度ゼロよ、ゼーロ。」
「こんな暴漢と1秒でも早く離れてーわ!」
「はぁ!?
あれから一度も手を上げてないのに、
人を暴力女みたいに言わないでほしいんだけど?」
「“あれから”じゃねぇんだよ!
最初に骨折られた時点でトラウマなんだよ!!」
後ろで耕していたオズがため息を吐く。
「いい加減そのガキ、どこにでもやれよイリス。
男を鎖で繋いでる貴族令嬢なんて、聞いたことねぇぞ。」
「いやよ。」
イリスは即答した。
「モーモーさんを傷つけたんだから、
その分“体で払って”もらわなきゃ。」
「言い方!!??
村のやつに変な誤解されんだろ!!」
オズは鍬を地面に突き刺す。
「……変に執着しやがって。
もうペットじゃねぇか。」
「ペットじゃないわ。」
イリスは胸を張る。
「奴隷よ。」
「余計ひでぇわ!!!!!」
鎖がカランと揺れる。
ラガは天を仰ぎながら叫んだ。
「なぁ!!
いつか俺、絶対逃げ切ってやるからな!!
こんな女の側にいられるかよ!!」
イリスはふわりと微笑む。
「逃げていいわよ? もちろん。」
ラガはビクリと固まる。
「……お、おぅ……?」
「ただし。」
イリスは鎖を指で軽く弾いた。
「捕まえたらその時覚悟しといてね」
「やっぱ逃げねぇ!!!!!!」
オズは頭を抱え、
マルタは隅で震えながらメモしていた。
「お嬢様……こ、これもう恋じゃ……?」
「はぁ?恋じゃないわよ。
責任よ責任。」
イリスは鎖をくいっと引き寄せた。
「ラガが自由になるのはね……
私の“気が済んだ時”だけよ?」
「一生逃げられねぇじゃねぇかあああああ!!」
朝日の下、鎖は今日もきらりと光る。
そしてイリス以外は思った。
――イリスに捕まったら終わりだ、と。




