道は、命の流れ
その日、王家の馬車が廃村にやってきた。
重厚な車輪の音と、馬の嘶き。
それに続いて――鎧の触れ合う小さな金属音。
金の紋章を掲げた騎士団が、春の陽を胸甲に跳ね返す。
「おいおい……マジかよ。」
オズが口を開けたまま呟く。
「殿下だけじゃねぇ……騎士団まで来てやがる。」
先頭で騎乗を解いたのはリオン、その隣に深紅の外套のガレス。
そして王家の馬車の扉が静かに開き、セイランと、気品に満ちた微笑のアデール・ノルンが降り立った。
イリスは泥の手袋を外し、貴族の礼を正確に刻む。
「殿下。お久しゅうございます。」
セイランの瞳にかすかな笑み。
「久しいな、イリス・グランディア。」
アデールが一歩進み、完璧な所作で名乗る。
「お初にお目にかかります。殿下の婚約者、アデール・ノルンと申します。」
「イリス・グランディアと申します。この地の再生をお預かりしております。」
柔らかい笑みの奥に、屈しない光。アデールはその刃先を見逃さなかった。
「では、こちらへ。」
イリスが軽く手を上げると、視察団は列をなして歩き出した。
セイラン、アデール、ガレス、リオン、ガルド、オズ、マルタ――
それぞれの足音が、黒く光る路面を踏みしめる。
「……これは、本当に土の上か?」
セイランがしゃがみこみ、手袋越しに路面を撫でた。
滑らかなのに、僅かに弾むような感触。
「固いのに、どこか柔らかい……」
イリスは頷く。
「砂と細かい石を“骨”に、灰(石灰)を“締め”に。
そこへ発酵させた有機物を混ぜ、温めながら層に分けて叩き締めました。
層を薄く重ねるほど、割れにくく、水も通しにくくなります。」
「……なるほど。」
セイランは黒い地面をもう一度見つめる。
「王都の石畳より、足が疲れにくいな。」
「雨でも滑りにくいんですよ!」
オズが胸を張る。
「うちの“ボス”が現場を仕切りまして。」
「ボス?」とリオンが苦笑。
「要するに、現場監督よ。」とイリス。
「……相変わらず変な呼び方すんな、お前。」とリオンの肩が揺れ、空気が少し和らぐ。
アデールが、よどみのない声で感想を添える。
「城下の道にも劣りませんわね。この辺境で、ここまで滑らかな路面を拝見するとは。」
「ここはかつて、道さえ奪われた場所でした。」
イリスはまっすぐ前を見る。
「だから、“道”をつくったんです。
道は命の流れ。人が通い、荷が届き、風が吹き抜ける――それが、生きることだから。」
言葉が落ちて、短い沈黙。
軽口を差し挟める者はいなかった。
「……すげぇな。」
リオンがぽつりと漏らす。
セイランが立ち上がる。瞳に確かな光。
「イリス、君は国を変える気か?」
「ええ。」
イリスは穏やかに微笑む。
「この知識で、人々が暮らしやすい世界を作りたい。
昔々成し遂げられなかったことを、今こそ成し遂げたいのです。」
セイランはしばし言葉を選び、短く――
「……素晴らしい。」
心からの敬意だけを置いた。
少し離れて、ガルドは無言で路面を踏む。拳はゆるく握られたまま。
(――あいつは、遠くを見てる)
視線はイリスの先、まだ誰も踏んでいない“次の道”へ伸びていた。
そして、低い声がひとつ。
「……良い道だ。」
ガレスだった。それだけ言って、足を一歩、重く確かに置く。
その一歩が、場を締める。
風が吹き、旗が揺れた。
黒い道が光を受け、まるで未来へと続いているかのように輝いた。
その時――場違いな「モー」。
モーモーさんが、新しい道の脇で草を噛んでいる。
オズが小さく肩をすくめ、ぼそっと。
「……うんことか叫んでた顔じゃねぇな。」
「オズ?」とイリス。
「なんでもねぇッス!!!」
リオンが吹き出し、緊張がほどける。
誰も知らない。
この“道”から、ほんとうに国が動き始めることを。
そして、それぞれの胸に芽生えた“別々の熱”が、
やがて同じ方向へ――交わり、火になることを。




