知識の光、暮らしの中へ
図書館に閉じこもっていた十年の間に、世界は一歩も変わっていなかった。むしろ――私が本から得た知識と照らせば、この国には至るところに「改善の余地」が溢れていた。
街道を行き交う馬車は、石畳の隙間に車輪を取られ、激しく跳ね上がる。荷台から木箱が転がり落ち、御者が慌てて拾い上げる姿も見えた。
(こんなの、アスファルトで固めればいい。地面を均し、石と油を混ぜて敷き詰めれば、馬車も人も安全に往来できるのに)
通りを抜けると、錆びついた門扉が軋む音が耳を突いた。貴族の屋敷なら新品に替えるのだろうが、庶民にとっては到底手が届かない。
(潤滑油ひとつで、この音は消せる。金属はまだ生きているのに、知らないから捨ててしまうなんて――もったいない)
さらに郊外へ足を伸ばすと、畑で農夫たちが汗を流していた。彼らの手には、木の棒に鉄片を打ちつけただけの頼りない鍬。何度も折れ、何度も繋ぎ直された跡が見える。
(造作で改良できる。鉄を鍛え直し、強度を上げれば、彼らはもっと楽に、もっと豊かに収穫できるはず)
胸がざわめいた。
この十年で得た知識は、紙の上に眠るだけの言葉じゃない。今も目の前に広がる“生きた暮らし”に息を吹き込むことができる。
(……私の知識は、必ず誰かの力に変えてみせる)
夕暮れ。久しぶりに伯爵家の門をくぐったとき、出迎えた使用人たちは揃って目を見張った。
「お、お嬢様……!?」
誰もが信じられないという顔をする。それも当然だ。自らの意思で屋敷に戻るのは、実に十年ぶりなのだから。
私はただ微笑んだ。
「……ただいま」
その一言に、屋敷全体の空気が震えたように感じた。
――私の新しい日々は、ここから始まる。




