卒業の日、英雄は剣を捨てた
数日後。
王都は春の光に包まれていた。
王立騎士団養成学校――卒業式の日。
王、第一王子セイラン、貴族、教官、そして騎士団の上官たち。
その列の中には、総隊長ガレス・ヴォルク、副隊長リオン・フェイスの姿もあった。
壇上に上がる青年。
イオリ。
その顔には包帯が巻かれ、戦の痕が痛々しく残っていた。
だが、その瞳はまっすぐに澄んでいた。
司会の声が響く。
「――卒業生代表、イオリ」
彼は深く一礼し、静かに口を開いた。
「……俺は、庶民の生まれです。」
誰も驚かない。
皆、知っていた。
だが彼の声には、ひとつの確信があった。
静かな力――“生きて還った者の言葉”だ。
「ここの学び舎で、俺は知った。
貴族がどれほどの権威を掲げ、
どれほど“上”に立ってきたのか。
何度も考えた――血とは何か、と。」
「ある人が言ってたんだ。
『……貴族も、血を流せば人だ』って。」
「最初は、意味がわからなかった。
でも戦場で、ようやくわかった。
流れる血は、皆同じ色だった。
命の重さに、身分なんて関係ない。」
聖堂が静まる。
リオンは腕を組んで微笑み、ガレスはわずかにうなずく。
その視線を受け止めながら、イオリは続けた。
「この学び舎で、“誇り”を学んだ。
でも同時に、“腐った誇り”も見た。
名前や地位にすがる誇りは――人を救わない。」
彼は握っていた卒業証書を見下ろす。
白い紙が、やけに遠く感じた。
「俺は、騎士にはならない。」
一瞬、風が止まった。
会場の空気が張りつめる。
だが、イオリの声は静かに、確かに響いた。
「この腐敗を正すための“足がかり”は、もうできた。
あとは……任せられる仲間がいる。」
リオンとガレスを見やる。
二人は何も言わない。
ただ、微笑んで頷いた。
イオリは小さく息を吐き、
手にした卒業証書を――ゆっくりと破った。
紙片が宙を舞い、光の中を漂う。
その姿はまるで、鎖を断ち切るようだった。
「もう俺がいなくても、この国は立てる。
あんたたちがここにいるなら、きっと――。
俺は、別の場所で“火”をつけてくる。」
壇下の貴族たちがざわめく。
衛兵が動こうとした瞬間、第一王子セイランが手を上げた。
「……そのまま行かせろ。」
王子の声は穏やかで、それでいて一切の迷いがなかった。
イオリは一瞬だけ振り返り、深く頭を下げる。
リオンとガレスのほうへ視線を向け、
口の形でこう言った――
「あとは、頼んだ。」
扉が開く。
春の光が差し込み、風が聖堂の中を通り抜けた。
散った紙片が舞い上がり、彼の背中を押すように揺れる。
リオンがぽつりと呟く。
「かっこよすぎだろ。」
ガレスは静かに笑った。
「……いい背中だ。」
イオリは振り返らない。
扉の向こうへ歩き出すその背中は、
まるで“次の物語”を背負っているかのようだった。
セイラン王子は目を閉じて呟いた。
「――あの青年が去った日から、この国は少しずつ変わり始めた。」
鐘が鳴る。
それは、卒業の音ではなく――
新しい時代の幕開けを告げる音だった。




