祝宴の朝に、死が待つ
王都の空は、ありえないほど澄み切っていた。
昨日までの祝宴が嘘のように、雲ひとつない朝。
石畳の上に整列した三十の影が、陽光に伸びている。
「これより、北方街道へ向かう!」
号令の声が響き、金属の鎧が一斉に鳴った。
それは栄誉の音――だが、どこか冷たい。
王城の門前。
ガレス・ヴォルクは馬上で小さく息を吐く。
その背筋はまっすぐだが、瞳の奥にはわずかな陰。
隣のリオンが、軽く手綱を鳴らしながら言った。
「みんな、顔が硬いね。
初陣って言っても、祝福されて出るのに。」
「……やけに早すぎるんだ。
王命にしては、準備が軽すぎる。」
リオンは少しだけ笑った。
「慎重だね、地の人は。
まぁ、風は考えるより先に吹くものさ。」
その言葉に、ガレスの口元がわずかに緩む。
ほんの一瞬――だが、その瞬間を誰かが見ていた。
城壁の上、黒衣の影。
ルキウス・ハルベルト公爵。
遠くから馬列を見下ろし、
ゆっくりと口の端を吊り上げた。
(行け。お前の“誇り”ごと、北の土に沈め。)
⸻
馬蹄が地を叩く。
三十の騎士が街を抜け、北方街道へと進む。
人々が手を振り、子供たちが旗を掲げる。
「すげぇな……王命の出陣だぞ!」
ガルドが笑う。
「それに、候補生で俺たちだけ同行とかさ、前代未聞だろ!」
イオリが眉をひそめる。
「……ああ。普通なら、上級騎士の視察任務だ。
“試験に勝ち抜いたご褒美”って言われたけど――どうも腑に落ちねぇ。」
「ははっ、何だよ、怖気づいたか?」
ガルドが軽く拳でイオリの肩を小突く。
「せっかく地と風の背中を見れるんだ。光栄に思えって!」
イオリは小さく息を吐いた。
視線の先で、行列の先頭を進むガレスとリオンが並んでいる。
(……それにしても、早すぎる。
王命が出てから一晩も経ってないのに、準備が整っていた。)
道案内役の兵が、やけに地図を見もせず歩いている。
(……あいつ、王命書の複写を持っていない。)
胸の奥で、静かな違和感が疼いた。
⸻
正午を過ぎたころ、
街道は森へと続いていた。
太陽は高く、だが光は妙に鈍い。
木々が風を遮り、空気が止まっている。
リオンがふと立ち止まった。
「……風が、重いな。」
ガレスが振り返る。
「どういう意味だ?」
「さっきまで吹いてたのに、今は“何か”が押し返してる。」
リオンの目が鋭く細められる。
彼の髪が、わずかに浮いた。
風が――流れを拒んでいる。
その瞬間だった。
森の奥から、金属がぶつかる音。
次いで、矢の先が陽光を弾く。
「――伏せろ!!」
ガレスの怒声と同時に、空が裂けた。
無数の矢が雨のように降り注ぎ、
馬が嘶き、兵が倒れる。
前列の騎馬が次々と矢を受けて崩れ、
地鳴りと悲鳴が交じり合う。
ガレスの馬も肩に矢を受けて暴れ、
彼は手綱を引く間もなく、地面に叩きつけられた。
土の味が口に広がる。
隣では、リオンの馬も横倒しになり、
彼は転がりながら起き上がる。
手綱を放り捨て、腰の剣を抜いた。
「ガレス!」
「無事だ。立て、前へ出るぞ!」
悲鳴。土煙。
視界が一瞬で赤に染まる。
イオリが叫ぶ。
「どこからだ!? 敵は――!」
ガレスは剣を握り直し、前線へ躍り出る。
「全員、陣形を保て!」
だがその背後で、乾いた声が響いた。
「陣形? あぁ、そういうのは“貴族の下”でこそ意味があるんだよ。」
ガレスが振り返る。
剣を構えたのは、味方のはずの兵。
その目は冷たく、どこか憎悪を含んでいる。
「はぁ……庶民の背中を見て進むなんて、地獄のような地獄だった。」
「今度は、お前が這って見せろよ――総隊長殿。」
リオンの瞳が震える。
「……王命じゃない。
これ、罠だ。」
森の四方から、炎の匂いが漂ってくる。
矢の先に火が灯り、木々が燃え上がる。
赤い光がガレスの鎧を照らした。
「逃げ場はない……か。」
「風が焦げてる……」
リオンが囁く。
ガレスはその肩を叩き、前を見据えた。
「なら、燃え尽きる前に――道を拓く。」
⸻
金属の音が絶え間なく響く。
燃えた枝が落ち、土の匂いに焦げが混ざる。
ガレスは剣を振るいながら叫んだ。
「道を開けろ――ッ!」
刃と刃がぶつかり、火花が散る。
リオンがすぐ後ろで敵の脇をすり抜け、
斬り伏せた男の肩越しに振り返る。
「数が多すぎる!」
「構うな、行くぞ!」
二人は息を合わせ、血と煙の中を駆け抜けた。
――背後で、誰かが笑う。
「庶民の背中なんか見て進むくらいなら、ここで死んだ方がましだ!」
その声に、ガレスの歯が軋んだ。
「……なら勝手に死ね。」
剣が横薙ぎに閃き、敵を倒す。
視界の奥、ようやく後方の影が見えた。
「イオリ! ガルド!」
二人が振り返る。
その目には迷いも驚きもない。
リオンが息を切らしながら言った。
「俺たち以外、みんな敵さんだ。」
一瞬、空気が凍る。
だがガレスは間髪を入れず叫んだ。
「とりあえずここは退くぞ!
森を抜けて体勢を立て直す!」
「了解!」
イオリが短く答え、ガルドが吠える。
「生き残ってから後で文句言えってか!」
四人が背中を合わせる。
鎧の継ぎ目から、焦げた風が肌を刺した。
炎が唸り、灰が舞う。
炎の轟きが遠のく。
彼らの靴音だけが、まだ生を叩いていた。
“地と風”の隊は、たった四人で――再び走り出した。




