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処刑台から始まる、狂人令嬢の記録  作者: 脇汗ベリッシマ
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秘密は月の下で芽吹く

「おいっ、逃げるんだ!」


 叫びが、耳の奥に焼き付いて離れない。

 瓦礫の匂い、血の味。

 振り返れば、あの人がいた。血だらけの顔で、それでも笑っていた。


 「でも、おじさんは?」

 「はぁ? 俺は騎士だぞ? 騎士はな、人を救うのが使命なんだぞ。……かっこいいだろ?」


 血の気が引いた頬で、最後まで冗談みたいに笑っていた。


 ——はっと目を開けた。

 喉が焼けるように痛い。息が荒く、胸の奥で心臓が暴れている。


「……はぁ、はぁ、夢か」


 二段ベッドの上段。冷たい板の感触が背中に伝わる。

 湿った木の匂い。暗がりの中で、外の光がわずかに窓枠を縁取っていた。

 夜中だ。皆、寝静まっている。


「また、あの夢か……」


 何度見ただろう。

 もう十年以上前の記憶なのに、色も声も消えてくれない。

 あの人の笑い声は、いつも最後に自分の背中を押してくる。


 寝返りを打つと、下の段が妙に静かだった。

 覗き込む。

 ガルドの豪快ないびきは相変わらず。

 でも——イオリの寝床が空だった。


 胸がざわめいた。嫌な予感。


 裸足のまま廊下を抜けると、外はしんと静まり返っていた。

 霧が薄く立ち込め、空の真ん中で月がぼんやりと光っている。

 草の匂い。土の湿気。

 その中に、人影がひとつ。寮の裏手でしゃがみ込み、何かを撒いていた。


「……なにしてんの?」


 声をかけると、イオリが顔を上げた。

 月光が瞳に反射して、一瞬、別人のように見えた。

 静かなのに、どこか燃える光を宿している。

 けれど、こちらを見た途端、いつものように柔らかく笑った。


「雨が降りそうだから、ぶち撒けておこうと思って」


 イオリの手には白い粉。

 風にさらさらと流れ、地面の上で淡く光る。

 まるで夜の中に白い軌跡を描くようだった。


「なにそれ?」


「魔法の粉ですよ」


 悪戯っぽい笑顔。

 でもその声の奥には、妙な確信があった。

 リオンは眉をひそめる。


「おい、変なことすんなよな。誰かに見られたら——」


「別に変なことなんかしてませんって」

 イオリは笑いながら粉をひと掴み、ひょいと宙に撒く。

 風が流れ、粉が夜気に溶けていく。


 そして、さらりと——まるで何でもないことのように、言った。


「それに、もし万が一問題になったら……“また”リオンさんが、あいつらの弱みを披露して黙らせてくれますよね?」


 リオンは一瞬、呼吸を忘れた。

 心臓がひとつ、大きく跳ねた音がした。


「……は?」


 イオリの顔は、月光を受けて白く光っている。

 その表情は穏やかで、笑っている。

 けれど、目だけが笑っていなかった。

 すべてを知っている人間の目だった。


「普通に考えたら分かりません?」

 イオリは袋の口を縛りながら、淡々と続ける。

「庶民が騎士になるなんて、まずあり得ない。

 でもあなたたちはなってる。

 そして、あなたの性格を見て思いました。——上の連中の弱み、何個も握ってるんだろうなって」


 リオンは思わず苦笑した。

 夜気が冷たいのか、それともこいつの推測が鋭すぎるのか、背筋が妙にざわついた。


「名推理すぎて怖いんだけど」


「ふふ、そういう顔すると思いました」

 イオリは袋を抱え直し、まるで満足したように微笑む。

「安心してください。このことも、ちゃんと黙っておきます。——だから、今夜のことも黙っててくださいね」


 風が吹いた。

 草がさわりと揺れ、月の光が二人の間を流れていく。


 イオリはゆっくりと立ち上がり、背中越しにぽつりと呟いた。


「秘密は、守り合うのが一番安全ですから」


 その背中が月明かりに溶けていくのを見ながら、

 リオンは心の中で呟いた。


——こいつ、ただの庶民じゃねぇ。




 それから、数日が経った。


 午前の点呼が終わり、訓練場へ向かう途中。

 リオンはふと、寮の裏手に広がる草地で足を止めた。


 風が吹き抜ける。

 だが——そこにあったはずの草が、枯れている。


 色は抜けているのに、土は生きていた。

 塩を撒いたような荒れた地面ではない。

 触れると、ふかふかと柔らかく、香りはどこか清々しい。


「……おいおい、マジかよ」


 誰が見ても異常だ。

 でも、見覚えがあった。

 ——あの夜、白い粉が舞っていた場所だ。


 イオリはすぐそばに立っていた。

 朝日を背に受けて、リオンの驚いた顔を見ている。

 イオリの目は、まるで子どもが実験に成功した瞬間のように輝いていた。


「お前、何したんだよ?」


 リオンが低く問いかけると、イオリは満面の笑みで言った。


「知恵を使いました」


 まるでそれが当たり前だと言わんばかりに、誇らしげに。

 その笑顔に悪意はないのに、どこか底知れぬものがあった。


 リオンは頭をかき、ため息をついた。

 朝の風が草の残り香をさらっていく。


——やっぱりこいつ、ただの庶民じゃねぇ。


 そう思いながらも、口の端が僅かに緩む。

 あの夜の月光と、今の陽光が、なぜか重なって見えた。


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