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処刑台から始まる、狂人令嬢の記録  作者: 脇汗ベリッシマ
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地獄を越えて、火が灯る

それからの訓練は、地獄だった。


庶民候補生だけが理不尽を押しつけられる。

貴族候補生は木陰で談笑し、剣の稽古と称して軽く汗を流すだけ。

だが庶民には「雑務」「整地」「水汲み」「荷運び」。

体が壊れても休むことは許されず、

「文句があるなら辞めろ」と、淡々と突き放されるだけだった。


“辞める”という選択が、どれほど残酷か――

彼らは、わかっていた。

ここを追われたら、次はどこにも行き場がない。


日が落ちても、作業は終わらなかった。

灯りも火もなく、霧が再び降りる。

二人は無言で鍬を振り、石を運び、汗と泥で顔を汚していく。


夜の鐘が鳴り、ようやく解放されたころには、

配給の湯気も消えていた。

空腹と疲労で、何も言葉が出ない。


寮の裏手――

冷たい土の上に寝転ぶ二人を、丸い満月が照らしていた。


「貴族って……嫌いだったけど」

ガルドが、ゆっくりと息を吐く。

「今日で、大嫌いになった」


イオリも空を見上げた。

月が白く滲んで、まぶしく見える。


「同じく。クソだと思った」


しばし沈黙。

どちらも笑わない。

けれど、どちらの目にも、

静かな火が宿っていた。


それは怒りでも、憎しみでもなく――

“もう、引かない”という決意だった。


風が吹く。

草がざわめき、遠くで犬の吠える声が聞こえた。

リオンの言葉が、ふと脳裏をよぎる。


「この国が変わるのは、剣より先に“手”だよ」


イオリは泥にまみれた自分の手を見つめ、

小さく拳を握った。


その手はまだ細く、震えていた。

けれど――

そこには確かに、“始まり”の熱があった。



それから二ヶ月が経った。


相変わらず、庶民候補生への扱いは苛烈だった。

日の出前に始まる訓練、貴族の靴を磨き、厩舎を掃除し、

配給は冷めきった薄いスープと硬いパンが一切れ。


それでも――

イオリとガルドは、なんとか生きていた。


それは、リオンとガレスが毎晩、

自分たちの食事を半分分けてくれていたからだ。


「俺たちも、昔は同じだった」

「その時、助けてくれる奴なんて誰もいなかった」


二人の言葉に、イオリは胸の奥が熱くなった。

“生き延びる”ということの意味を、ようやく理解しはじめていた。


騎士候補生が卒業するまで、残り四ヶ月。

長いようで、もう半分。

そんなある日、ようやく“休み”が与えられた。



久しぶりに、町の空気を吸う。

石畳の道。人々のざわめき。

市場のパンの匂いに、思わず涙が出そうになった。


その足で、イオリ――いや、“イリス”は商館の扉を押し開けた。


「久しぶりー」


その声に、奥から顔を上げたのはオズとマルタだった。

二人は、一瞬言葉を失った。


焼けた肌。痩せこけた頬。

かつての貴族令嬢の面影は、そこにはなかった。


「お前……随分と痩せこけたな」

オズが低い声で言う。


イリスは笑いながら、椅子に腰を下ろした。

「お腹すいたー!なんか上質なタンパク質ちょうだい」


マルタが慌てて駆け寄る。

「お嬢様……!こんなに痩せて。食べ物をもらえてないんですか?

 すぐにお食事をお持ちします! オズワルドさん、お台所をお借りしますね!」


彼女は涙をこらえるようにして、パタパタと部屋を出ていった。




イリスは椅子の背にもたれ、腕を組む。

「――あんな場所、庶民が行くところじゃないわ。地獄よ」


オズの眉がぴくりと動く。


「地獄?」


イリスの笑みが消えた。

「ええ。毎朝、罵声で起こされて、

 “庶民らしく這いつくばれ”って言われる。

 食事は石みたいなパン一枚と薄いスープ。

 倒れた子はそのまま放置。

 ……それを“教育”だって笑ってるのよ、あの貴族ども」


語る声は静かだった。

だが、静かすぎるほどの怒りがその奥に渦巻いていた。


オズは最初、冗談だと思って笑っていた。

だが、話が進むにつれて、その笑みは消えていった。

イリスの言葉が一つ一つ、胸を抉るように刺さる。


「……そんな場所に、お前がいるのか?」

オズの声は低く、かすれていた。


「ええ。庶民を“使い捨ての駒”として育て、

 笑いながら壊していく」


ちょうどその時、マルタが大皿を抱えて戻ってきた。

肉の焼ける香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がる。


「お待たせしました! お嬢様、お腹いっぱい召し上がってくださいね」


イリスは目を輝かせ、フォークを手に取った。

「……これよ、これ。あの地獄の薄いスープとは雲泥の差だわ!」


口に運びながら、涙がこぼれそうになる。

空腹だけじゃない。

“生きて帰ってきた”ことの実感が、ようやく心を満たしていく。



やがて皿が空になると、イリスは静かにナプキンで口を拭いた。

瞳は、もう笑っていなかった。


「オズ」


「なんだ」


「今日、帰ってきたのには――理由があるの」


その声は、先ほどまでの明るさとは別人のように低い。

火のような怒りを押し殺した、研ぎ澄まされた声。


「この国を……もう一度、ひっくり返すわ」


オズの手が止まった。

マルタの持っていた皿が、わずかに震えた。


イリスは続けた。

「“庶民”の名を、泥から救い上げる。

 あのくそ貴族どもには、きっちり代償を払ってもらう」


唇がゆっくりと吊り上がる。

その笑みは冷たくも、美しかった。


「見てなさい。

 ――次に地獄を見るのは、あの人たちの番よ」


窓の外、満月が静かに雲間から顔を覗かせた。

その光が、怒りに燃えるイリスの瞳を照らしていた。


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