庶民寮、夜の幕開け
新しい制服の襟がまだ硬く、イオリは指先で少しだけ整えた。
陽の落ちかけた王都の空の下、候補生たちは寮へと案内されていた。
「うおおおおっ!!」
横でガルドが叫ぶ。
「お前と同室とか、もはや運命だわ!」
「いや、多分“同じ庶民”だからだよ」
イオリが苦笑する。
彼らに割り当てられた部屋番号は「第七寮・東棟の一番奥」。
石造りの廊下を抜け、軋む扉を開けると――
中には二段ベッドが二つ、窓際には古い机。
その部屋には、すでに“人の気配”があった。
⸻
ガルドが一歩入って眉を上げる。
「え? 待って待って? 俺たち以外にも人いるの?
お貴族様と同じ部屋とか、心臓止まるぞ……」
「お貴族様? はは、それは心外だなぁ」
軽やかな声が響いた。
部屋の奥から、栗色の髪をかきあげた青年が姿を見せる。
にこにこと笑みを浮かべ、
まるで旧友にでも会ったかのようにイオリたちへ歩み寄る。
「初めまして! いやぁ、庶民の仲間が増えてよかったよー!」
屈託のない笑顔――だが、着ている制服は明らかに候補生のものではない。
胸には銀の徽章、肩章には“騎士”の紋。
イオリが目を細める。
(……騎士?)
ガルドがぽかんと口を開けた。
「え、え? どういうこと?」
青年は笑顔のまま、指を立ててひらひらと振る。
「ここは“庶民の部屋”さ。
俺たちも庶民出身だからね。ま、今は騎士だけど」
「まじかよ……」
ガルドが絶句する。
青年は手を差し出した。
「俺の名前はリオン・フェイス。よろしくね。
で、こっちの――」
壁際の椅子に腰掛け、無言で腕を組む男に目を向ける。
「眉間に皺寄せてるのがガレス・ヴォルク。
言葉は少ないけど、悪いやつじゃない。
“多分”ね」
ガレスがちらりと視線だけを寄こす。
「余計な紹介をするな」
低く、渋い声だった。
「はーい怖い怖い」
リオンはおどけて肩をすくめた。
「というわけで、同じ庶民同士、仲良くしよう!」
⸻
ガルドが少し緊張しながら口を開く。
「あ……えっと、俺の名前は――」
「知ってるよー!」
リオンが軽やかに言葉を遮った。
「実技で満点のガルドくんに、筆記で満点のイオリくん。
君たち、本当は“庶民だから”って理由で落とされてたんだ。
でも僕、ちょっと口を挟んでね――結果、合格。
感謝してもいいよ?」
イオリとガルドは、同時に硬直した。
「……え?」
「……は?」
リオンは満面の笑みで続ける。
「いやぁ、あの場で君たちを落とすなんて馬鹿げてる。
“身分で測る”なんて、いつの時代だと思ってるんだか。
ねぇ、イオリくん?」
イオリは無言で彼を見つめた。
その笑顔の奥にあるものが、何かを計算しているのを感じ取ったからだ。
(――こいつ、笑ってるけど、全部見えてる)
ガレスが立ち上がり、重たい声で言った。
「リオン。余計なことは言うな。
俺たちが助けたとは、言わんでいい」
「おや、バレちゃった」
リオンが舌を出して笑う。
⸻
イオリは静かに息を吐いた。
(まったく……この国の“庶民の部屋”も、
結局は“貴族の都合”でできているってわけね)
ガルドが隣でぼそりと呟いた。
「なんか、これからヤバい予感しかしねぇな」
イオリは軽く笑った。
「慣れてるよ。ヤバい場所には、もう散々居た」
リオンはそれを聞いて、
「へぇ、君ら面白いねぇ。退屈しなそうだ」
と、にやりと笑った。
部屋の外では夜の鐘が鳴り、
新しい“庶民の夜”が静かに始まろうとしていた。




