誇りを脱いだ日
数日後――。
イオリとガルドは、王都の中央訓練場に立っていた。
目の前に広がるのは、白い石畳と旗の並ぶ広大な広場。
朝霧の中、甲冑の音と緊張のざわめきが空気を震わせていた。
「……いよいよだな」
ガルドが深呼吸をして拳を握る。
「今日から俺たちの未来が変わる時だ」
「そうだな」
イオリは帽子を脱ぎ、陽光の下に立った。
「お、お前……帽子取ったの初めて見た」
ガルドの目が丸くなる。
「まぁな」
イオリは短く笑う。
焦茶色の髪が風に揺れた。
根元は深い栗色、光が当たると微かに金が差す。
それはただの髪ではない――造作によって生まれた“もう一つの自分”。
馬毛で骨格を作り、山羊毛で柔らかさを出す。
献髪を表層に織り込み、色調を均一化。
仕上げに造作で毛質を整え、「焦茶の中に金の糸が一筋走る髪」を再現。
――完璧。どこからどう見ても“イオリ”だ。
イオリは無意識にその髪を指で整え、口の端を上げた。
「我ながら、上出来だな」
「よしっ! お互い頑張ろうぜ!」
「おう。――二人とも、合格だ」
二人は拳を軽く合わせ、受付へと向かった。
⸻
入場した瞬間、空気が変わった。
重く、濁っている。
石造りの壁に反響する笑い声。
視線。鼻で笑う音。
――貴族ばかりだ。
庶民はイオリとガルド、たった二人。
それだけで、十分に異物扱いだった。
「おい、お前たち。場所を間違えたんじゃないか?」
鋭い吊り目、くすんだ茶髪の男が鼻で笑う。
「ここは騎士候補生の試験会場だ。庶民が足を踏み入れていい場所じゃない」
声も態度も、絵に描いたような傲慢さ。
イオリは小さく息を吐き、淡々と返した。
「一応、受付済みです。銀貨三十枚払ってね」
「はっ。そんな端金で“同じ土俵”に立てると思うな」
男はイオリの肩をぐいと押した。
ガルドが反射的に前に出る。
「やめろよ」
「大丈夫」
イオリは片手で制し、目を細める。
「庶民菌が移る」
男はわざとらしく手をハンカチで拭い、笑った。
イオリは肩をすくめる。
(……これが“貴族”か)
彼らは上に立っているつもりで、
その実、誰かの影を踏んでしか立てない人間たち。
“誇り”という鎧を着て、自分の小ささを隠しているだけ。
――滑稽だな。
あんなもの、かつての私も纏っていた。
⸻
試験官たちがぞろぞろと入場してくる。
どれも似たような顔。
綺麗な制服、装飾過多な剣。
目の奥に光はなく、ただ形式と血統だけが彼らを支えていた。
「貴族、貴族、貴族……」
イオリはぼそりと呟く。
「腐るほどいるわね」
「イオリ、聞こえるって!」
ガルドが小声で焦る。
「いいのよ」
イオリは微笑む。
「どうせ彼らには、聞こえても意味が分からないもの」
彼女の瞳にはもう、恐れも屈辱もなかった。
その代わりにあるのは、冷静な観察と、
“この国の矛盾を見届ける覚悟”。
貴族として生まれ、
今、庶民としてここに立つ。
だったら――私が誰よりも、この腐った空気を嗅ぎ分けられる。
イオリは深く息を吸い込み、前を向いた。
その目の奥には、確かに炎が宿っていた。




