白き手、煤の少年
――それは、誰も予想しなかった広がりだった。
一人、また一人。
噂は風のように町へ広がり、翌朝には労働者の数が倍になった。
その次の日も――また倍に。
やがて半月が過ぎた頃には、鉱山で汗を流していた者たちの半分以上が、イリスの元に集まっていた。
人々の視線が一点に集まる。
その中心に立つのは――町娘の装いに身を包みながらも、誰よりも堂々とした姿を見せる女。
――イリス。
彼女は手を軽く打ち鳴らし、全員を見渡した。
その一瞬でざわめきが収まる。
「人数も揃いました。今日からは――残土の仕分けにも取り掛かっていただきます」
ざわり、と空気が動く。
人々の顔には「ゴミを触るのか?」という迷いがあった。
だが、イリスは一歩前に出て、その不安をかき消すように言葉を紡ぐ。
「粉のように崩れるものは、こちらへ」
彼女の指先が優雅に示す先に、大きな木箱が据えられる。
「手で握って崩れるものは――残土。崩れなければ残石です」
その声音は澄んでいて、誰もが飲み込むように聞き入る。
「濁った灰色のものは……そこへ捨ててください」
イリスの視線が一筋の光のように人々を導く。
その瞬間、群衆の迷いは消えた。
男たちは一斉に動き出す。粉を払い、石を握り、灰を選り分けていく。
まるで何十年も訓練された兵士のように。
誰かが呟いた。
「……あの女の言葉には、不思議と逆らえねぇ」
――事実、イリスはただ指示をしているだけではなかった。
彼女は一人ひとりの仕草を見て、危なげな手元にはすぐ声をかけ、
迷う者の肩にそっと手を置いて「それで正しい」と微笑んだ。
その瞬間、労働者の顔が誇らしさで輝く。
「俺たちは……ゴミを触ってるんじゃねぇ。未来を作ってるんだ」
「そうだ……こんな気持ちで働いたの、初めてだ……!」
残石置き場は、もはや“捨て場”ではなかった。
イリスの言葉と人々の手で、そこは“価値を生む工房”へと変わりつつあった。
イリスは空を仰ぎ、小さく微笑む。
「――いい流れです。この国はきっと変わります」
その声は誰にも聞こえなかった。
だが、人々の胸に芽生えた炎は、確かに彼女の想いを映していた。
⸻
――作業が終わった夕刻。
残石置き場には、まだ陽の名残が残っていた。
粉塵の舞う中で、ひとりだけ後片づけをしている少年がいた。
「……あなた最後まで残っているのね」
背後から声がした。
ガルドはびくりと肩を揺らす。
振り返ると、町娘姿のイリスが立っていた。
髪をまとめた首筋が夕日に照らされ、やけにまぶしく見えた。
「……別に。ほっとけよ」
「いえ、とても助かります」
イリスが穏やかに笑うと、ガルドは視線を逸らした。
「そんな顔、他の連中に見せてみろ。
調子に乗るやつ、出てくるぞ」
「そうかもしれませんね」
イリスはくすりと笑う。
「でも――あなたは違うでしょう?」
「……は?」
不意を突かれて、ガルドは眉をひそめる。
イリスは一歩近づき、そっと手袋を外す。
白く細い指先で、仕分けた石のひとつを拾い上げた。
「あなたの分けた石だけ、粒が揃っていました。
丁寧に見て、考えて、選んでいます。
――すごいことですよ」
「……別に。適当にやっただけだ」
ガルドはつっけんどんに言いながらも、耳が少し赤い。
イリスはその様子に気づいたように、やわらかく微笑む。
「適当で、ここまで綺麗にできる人はいません」
沈黙。
ガルドは何か言いかけて、口を閉じた。
靴先で小石を蹴りながら、ぼそりと呟く。
「……あんた、変な人だな」
「よく言われます」
イリスの返しに、思わずガルドが笑いを漏らす。
その笑い声に、イリスの瞳が少しだけ和らいだ。
「また明日も、来てくれる?」
イリスの問いに、ガルドはそっぽを向いたまま答える。
「…当たり前だろ…金と夢のためだしな」
それだけ言って、手をひらりと振り、彼は去っていった。
イリスはその背中を見送りながら、小さく呟く。
「――ありがとう、ガルド」
夕暮れの風がそっと吹き抜ける。
少年の胸の奥では、言葉にならない温かさが静かに灯っていた。




