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処刑台から始まる、狂人令嬢の記録  作者: 脇汗ベリッシマ
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白きパン、銀の約束

翌朝――。


残石置き場の前に、ひとりの女が静かに立っていた。

町娘の装いに身を包みながらも、その眼差しは鋭く澄み、誰もが目を逸らせない。


――イリス。


やがて鉱山から、十人ほどの影が現れる。

その中に、腕を組んだガルドの姿もあった。


「……本当に来たのか」

誰かが小声で呟く。


イリスは彼らを迎えると、深々と頭を下げ、柔らかい笑みを浮かべた。


「皆さん、来ていただきありがとうございます」


その仕草は決して“貴族”のものではなかった。

だが、不思議と彼女の言葉には逆らえない迫力があった。


「それでは、早速始めましょう。

ここにある石を――赤、青、黄色、緑、無色透明、黒、その他の色……それぞれ分けてください。

よくわからないものは、こちらにまとめて置いてください」


「……は? それだけか?」

誰かが怪訝そうに眉をひそめる。


だがイリスは怯まない。懐から白い布を取り出すと、労働者たちに一人ずつ配った。

それは粗雑ながらも確かに“手袋”の形をしていた。


「こちらを支給します。

無理をして怪我をする必要はありません。必ず手を守ってください」


ごくり、と誰かが唾を飲む。

こんな気遣いを受けたのは、生まれて初めてだった。


――やがて、十人は山のように積まれた残石へと向かい、黙々と作業を始めた。


イリスはただ一言、

「決して無理はなさらぬように」

と告げると、残石置き場を後にした。


不思議なことに、女が去ったあとも労働者たちは黙々と仕分けを続けた。

普段ならサボることもある彼らが、この日は一人も手を止めなかった。

誰もが心のどこかで――「あの女は本気だ」と感じていたのだ。


――昼下がり。


戻ってきたイリスの腕には、大きな籠が抱えられていた。

中には、雪のように白く、ふんわりとしたパンがぎっしりと詰まっている。


「……な、なんだあれ……?」

「白パン……だと……?」


労働者たちは目を疑った。

それは、王都の貴族だけが口にする事が許された物。

生まれてこの方、見たことすらない者もいた。


イリスは微笑み、籠を地面に置く。


「皆さん、お疲れ様です。

さぁ――お昼休憩にいたしましょう。

たくさん食べてください」


一瞬、沈黙。

そして、震える声が上がった。


「……俺たちが、こんなものを?」


イリスは静かに首を振り、しかしその瞳は力強かった。


「これは、あなた達が私を信用して働いてくださった対価です。

どうか――胸を張って受け取ってください」


その瞬間、労働者たちは息を呑んだ。

彼女はただの町娘ではなかった。

貴族とも違う。支配する者とも違う。


――その姿は、“未来を差し出す者”だった。


ガルドは白パンを手に取り、ぎゅっと握りしめる。

胸の奥が熱くなる。

それは飢えでも怒りでもない。

初めて抱いた――希望という名の熱だった。



労働者たちは手にした白パンを恐る恐る口に運んだ。

ひと口、噛んだ瞬間――驚愕の声があがる。


「……! な、なんだこれ……」

「ふわふわだ……口の中で溶けちまう!」

「こんな美味いもん、この世にあったのかよ……!」


頬に涙を伝わせながら頬張る者もいた。

その歓喜の光景を見届け、イリスは静かに、しかし凛とした声で口を開く。


「そうです。これが――貴族が日々食べているものです」


その言葉に、労働者たちの動きが止まる。

握りしめたパンの温もりが、胸に突き刺さるようだった。


イリスは群衆を真っ直ぐに見渡し、力強く続けた。


「私は、貴族を一方的に悪だとは言いません。

彼らにも彼らの役目があります。

ですが――」


イリスの声が鋭さを増す。


「あなた方は、銅貨一枚で扱われるような存在ではありません。

命を削って働き、この国の礎を築いているのは、あなた方なのです!」


言葉が雷鳴のように響き渡る。

誰もが拳を握り、唇を噛みしめていた。


「どうか、忘れないでください。

あなた方は、“安い労働力”ではなく――評価されるべき人たちなのだと」


その瞬間、場の空気が変わった。

パンの柔らかさとイリスの言葉が胸の奥に沁み込み、男たちの瞳が光を帯びていく。


ガルドは白パンを握りしめ、低く唸った。

「……あの女……なんで、俺たちなんかのために……」


誰も答えられなかった。




夕刻。

太陽が傾き、作業を終えた労働者たちの手袋は泥にまみれ、汗に濡れていた。

だがその表情には、いつもの絶望ではなく、奇妙な高揚があった。


イリスは一人ひとりの前に立ち、懐から革袋を取り出す。

袋の口を開けると――中には銀貨がぎっしりと詰まっていた。


「……まさか、本当に……?」

「嘘だろ、銀貨なんて……俺、見たこともねぇ……」


イリスは一人の手を取り、銀貨をそっと乗せる。

「今日一日、仕分けをしてくださった対価です。受け取ってください」


カラン――。

澄んだ音が夕暮れの残石置き場に響く。


次々に配られていく銀貨。

男たちは恐る恐る、だが確かにその重みを感じていた。


「……重ぇ……」

「これが、俺たちの……価値……」


涙ぐむ者、震える手で銀貨を握りしめる者。

その全てをイリスは真っ直ぐに見つめていた。


「私は約束します。

あなた方がここで働いてくださる限り、必ず正当な対価をお支払いします」


労働者たちは言葉を失った。

ただ胸の奥で――“信じてもいいのかもしれない”という光が芽吹いていた。


ガルドは銀貨を見つめ、低く呟く。

「……こいつは……口先じゃねぇ。本物だ」


その一言に、場にいた誰もが深く頷いた。

夕暮れの中、残石置き場は不思議な熱気に包まれていた。


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