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処刑台から始まる、狂人令嬢の記録  作者: 脇汗ベリッシマ
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狂人令嬢、銀貨一枚で世界を変える

翌日――。


鉱山にイオリの姿はなかった。

代わりに、町娘の装いをしたひとりの影が、残土と残石の山を見上げていた。


薄布のスカート、肩にかかる素朴なショール。

だが、その瞳だけは町娘には似つかわしくない強い光を宿している。


――イリス。


「おい! 危ねぇぞ、姉ちゃん! ここは平民が入る場所じゃねぇ!」


作業員のひとりが声を荒げる。

しかしイリスは振り返らず、掌に掬った石片を見つめながら静かに答えた。


「……この石たちは、私の宝です」


「はぁ? 何言ってやがる……!」


ざわめきが広がり、次々に人影が集まってくる。

鉱山から荷を運んでいた男たちが「なんだなんだ?」と声を潜めながら、残土置き場を取り囲んだ。

その人波の中には、ガルドの姿もあった。


イリスはすっと背筋を伸ばす。

町娘の服に身を包んでいながら、その立ち姿はまるで王宮に立つ貴婦人のように気高かった。


「私の名は――イリスと申します」


その一言に、空気が張り詰める。

労働者たちは顔を見合わせ、訝しげにざわついた。


イリスは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、高く掲げる。

「ここは私の土地。そして、ここに正式な契約書もございます」


「契約書……?」

「まさか……鉱山の残土置き場を買い取ったってことか……?」


ざわつきが一層強まる。

イリスは鋭く群衆を見渡し、はっきりと声を放った。


「皆さんにお願いがあります」

「鉱山を辞めて、この残土と残石の置き場で働いてみませんか?」


人々の口から、一斉に驚きの声が上がった。

「なんだと……?」

「残土で働く……? ふざけんな!」


イリスは一歩前に出る。

その声音には、揺るがぬ自信があった。


「お仕事は簡単。残土と残石を、ただ仕分けるだけです」

「……そして、その対価として――一日、銀貨一枚をお支払いいたします」


一瞬、時間が止まった。

鉱山で命を削って働き、ようやく銅貨一枚。

それが、この女の言う“ゴミの仕分け”で、銀貨一枚。


信じられないというように誰かが叫んだ。

「そんな簡単な仕事で銀貨だと!? あるわけねぇだろ!」


しかし、イリスの瞳は揺るがない。

むしろその光は、周囲の怒声を力強く打ち払っていく。


「あるから、今ここで皆さんにお話ししているのです」


凛とした声が残土置き場に響き渡る。

その姿に、誰もが言葉を失った。

ただ「町娘の衣装をまとった異端の女」が放つ圧倒的な気迫に――鉱山の男たちは飲み込まれていった。


イリスの言葉に、場の空気は凍りついた。

誰もが声を失い、ただ「銀貨一枚」という響きだけが耳に残っている。


しばしの沈黙。

やがて一人の男が、恐る恐る口を開いた。


「……信用できねぇ。口先だけじゃねぇのか?」


ざわり、と人の波が揺れる。

その声は多くの労働者の本音を代弁していた。


イリスは微笑みを浮かべ、静かに頷いた。


「ええ、そうでしょうね」

「だから――信用できないなら、一日だけ働いてみてください」


その場にいた誰もが息を呑む。

イリスは人々を見渡しながら、さらに声を強めた。


「あなた達には、その価値があります。

命を削って銅貨一枚なんて、本当は間違っているんです。

どうか――自分を安く見ないでください」


その言葉は、冷え切った心にじんわりと染み込んでいく。

労働者たちは互いに顔を見合わせ、拳を握り、そして……誰もが押し黙った。


静寂の中、ガルドの眼差しだけが鋭く光っていた。

(……この女、本気だ)



イリスは群衆のざわめきを真正面から受け止め、微笑を浮かべた。


「――明日、朝一にここに来ます」

その声は不思議なほど澄んでいて、誰も言葉を挟めなかった。


「鉱山の仲間に話してください。

私は、皆さんに報酬をお支払いします」


そう告げると、イリスは深く一礼し、ゆるやかに背を向けた。

町娘の衣装に身を包んだ背中は小さくも、堂々としていて、誰一人引き止めることができない。


残された労働者たちはただ呆然と見送るだけだった。

彼女が去った後も、「銀貨一枚」という言葉が耳の奥に残り、土埃の中で何度も反芻される。


「……本気なのか?」

「いや、あり得ねぇだろ」

「でも……もし本当だったら……」


疑い、嘲り、期待――様々な感情が交錯し、重苦しい鉱山にこれまでなかった色が差し込んでいた。


ガルドは拳を握りしめ、低く呟いた。

「……明日、確かめてやる」


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