狂人令嬢と胡散臭い商人
翌日――。
イリスは侍女マルタを伴い、昨日と同じ商館の扉を押し開いた。
昼下がりの光が差し込む広間は妙に静かで、人影もまばらだった。
赤絨毯の奥から、胡散臭い笑みを浮かべてオズワルドが姿を現す。
「やぁ、お待ちしてましたよ。ようこそおいでくださいました、イリス嬢」
わざとらしく両腕を広げ、低く頭を下げる。
「昨日はご挨拶が遅れましたね。私はオズワルド・フェルネス。しがない商人でございます」
「しがない、ねぇ」
イリスは口元をほころばせた。
「昨日も言ったけどしがない人間の机に“スピネル鉱”の装飾は並ばないはずよ?」
オズワルドは肩をすくめ、苦笑を漏らす。
「……お目が高い。やはり噂通り、“本の狂人”か」
イリスの瞳が鋭く光った。
「本の狂人、ね。ふふ……あながち間違ってはいないわ」
⸻
茶器の湯気が消え、陽が傾くまで、二人は延々と探り合った。
オズワルドは“笑顔の仮面”を崩さず、イリスは涼しい顔でかわし続ける。
息を詰めて成り行きを見守るマルタの指先さえ、固く組まれていた。
やがてイリスが大きくため息をつく。
「……もういいわ。めんどくさい」
背もたれに身を預け、すらりと足を組み替える。
令嬢らしからぬ無作法。だが、その堂々とした仕草はむしろ彼女の存在を強調した。
「ねぇ、オズワルド。あんた、私のこと知ってるんでしょ? “グランディア家の本の狂人”だって。私は狂った人なの。この言葉の意味分かるわよね?」
オズワルドの笑みが、わずかにひきつる。
「……ほぉ。それで?」
イリスは視線を落とし、机上の帳簿をなぞる指を止めた。
「オズワルド・フェルネス。あなたの父親は詐欺で処刑された。あなた自身は孤児院で育ち――ある年を境に急に商売が伸びている。その時期に闇取引に関わった、と考えるのが自然でしょう?」
さらに低く囁く。
「赤毛に片方だけ濁った灰色の瞳。……記録にも、私の記憶にも残っていたわ」
オズワルドの指がぴくりと震えた。
イリスはにやりと唇を吊り上げる。
「正直、調べればボロなんていくらでも出てくる。国に垂れ込む前に――私と手を組むのよ」
沈黙。
やがてオズワルドは大きくため息を吐き、口元を歪めて笑った。
「……あんた、やっぱり化け物だな。令嬢ってのは笑顔で花を飾ってりゃいいと思ってたが……」
「残念ね、私は飾りじゃないの」
イリスはすっと立ち上がり、裾を払う。
「私は公平な取引を求めているだけ。あなたは商人、私は取引の鍵を持つ者。互いに利益を得る関係になれる」
オズワルドは頭をかき、ぼそりと呟く。
「……分かったよ。イリス・グランディア。俺は“オズ”でいい。あんたの提案、聞こうじゃねぇか」
イリスは微笑み、差し出された手を取った。
「そうこなくちゃ。――よろしくね、オズ」
こうして、狂人令嬢と胡散臭い商人の“最強タッグ”が誕生した。




