狂人令嬢、商人を試す
翌日――。
マルタに案内され、私は街の一角にそびえる建物の前に立った。
石造りに木の梁をあしらった二階建て。
庶民の家よりは立派だが、貴族の屋敷と比べれば所詮“商人の家”にすぎない。
「……ここね?」
「はい、“腕のいい”と評判の商人です」
マルタは小声で頷いた。
扉を開けた瞬間、香辛料と羊皮紙の匂いが鼻をかすめる。
帳場に通され、待つ間もなく現れたのは――どこか軽薄な笑みを浮かべた若い男だった。
金糸で縁取られた上着に、無駄に大きな指輪。
甘ったるい香水の匂いが漂い、派手さはあるが、どこか成金じみている。
(……これが“腕のいい”商人?)
内心で首を傾げる。
「はじめまして」
私は裾を摘み、優雅に一礼した。
「イリス・グランディアと申します」
「へぇ……」
男はにやにやと笑いながら、目を細めた。
「お貴族様が、こんな小汚い商館にどういったご用件で?」
挑発めいた口ぶり。
私はにっこりと微笑み、室内をゆっくり見渡した。
「小汚い? そんなことありませんわ」
わざとらしく指先を向ける。
「……あら、燭台に飾られているのはスピネル鉱の欠片ではなくて?
一粒で城が買えると噂の真紅の宝を、よくぞこんな場所に」
一瞬、男の眉が動く。
「……お目が高い」
「まあ。口先だけで商人をやっているわけではなさそうですね」
探り合い。
彼の目に、僅かな興味が灯った。
私は懐から小瓶と布包みを取り出し、テーブルに置いた。
「これを使ってみてくださいな。そして――売れるか、売れないか。明日、そのお返事を」
小瓶の中には三回分ほどのハンドクリーム。
布包みを開けば、淡く香る匂い石鹸。
「は? ……ど、どういうことです?」
商人は思わず声を上げた。
「ちょっと待ってくださいよ! これは一体――」
彼の問いかけには、一言も答えない。
私はマルタとともに振り返り、扉へ向かった。
「では、また明日」
外に出ると、昼の喧騒が肌に心地よい。
マルタが肩を寄せ、小声で囁いた。
「……あの方、絶対性格が悪いですよ」
私はくすりと笑う。
「そう? でも商人なんて皆、性格が悪いものよ――私も含めてね」
口にした瞬間、胸の奥に妙な高揚が広がった。
――狩りはもう始まっている。




