鉱山に残した三輪車
夜ごと忍び込んで三輪車を造り続けて、一ヶ月が過ぎようとしていた。
鉱山の景色は少しずつ変わっていた。
重労働で腰を痛める者は減り、笑顔が増え、冗談が飛び交うようになった。
――そんな時。
執事が告げた。
「イリス様。明日、ご両親が帰還されます」
胸の奥がぎゅっと縮む。
(……ああ、そう。もう終わりね)
両親の目がある以上、これ以上こっそり鉱山へ行くことはできない。
イオリとしての生活は、おしまいだ。
⸻
翌日。
鉱山の空気は、いつもと同じように粉塵と汗の匂いに包まれていた。
けれどイリスの胸は、不思議な寂しさでいっぱいだった。
残土を運び、汗を拭い、休憩の鐘が鳴る。
――今しかない。
「なあ」
隣で水を飲んでいたガルドに声をかけた。
「……今日で、おしまいだ」
ガルドの手が止まり、じろりと睨まれる。
「はぁ? なんでだよ?」
イオリは帽子を目深にかぶり、低い声を作った。
「ばあちゃんの薬代、もう貯まったからさ」
「……でもよ、金なんていくらあってもいいだろ」
ガルドの声が掠れる。
イオリは小さく首を振った。
「ごめんな」
「ちぇっ! せっかく友達できたと思ったのによ!」
「そんなこと言うなよ……泣きそうになるだろ?」
「は? 男の涙なんて気持ちわりーんだよ」
その瞬間、二人は顔を見合わせ、爆笑した。
笑い声が鉱山の石壁に反響し、しばらく止まらなかった。
「……あー、お前ほんっとさいこーだな!」
ガルドは大きく息を吐き、笑顔のまま拳を突き出す。
「また来いよ!」
イオリは拳を合わせ、にやりと笑った。
「次会う時は……俺、騎士になってるからな! だろ?」
「いやいや、現実考えろや」
「確かにー!」
また笑い声が弾けた。
⸻
別れの時。
イオリはいつも通り帽子をかぶり直し、手を振った。
「じゃあな」
その背に、ガルドの大きな声が追いかけてきた。
「お前、絶対また会おうな!」
振り返らずに歩き出す。
胸の奥で、笑顔と寂しさが混ざり合った。
(……楽しかった。ほんとうに、楽しかった)
ふと振り返れば、鉱山の一角に並ぶ三輪車が目に入る。
汗まみれの仲間たちが笑顔で押し、残土を運んでいた。
――あれはもう、私だけの秘密じゃない。
皆のために生きる“証”だ。
こうして“イオリ”の鉱山の日々は幕を閉じた。




