0025 現代日本への帰還
地面が近づいていた。
猛スピードで落下する恐怖を感じる暇もないまま、映画のワンシーンのようにゴミ箱に追突する。
ゴミにまみれ、体中を強烈な臭いが覆った。
「もう少し優しく落としてくれてもいいだろ……」
幸いなことに、怪我はなかった。
オレは自分が思っているよりもタフらしい。
周囲に人はいなかった。
ただ、衝撃で目を丸くしたのは、顔を上げてすぐ視界に入った、日本語の看板だった。
「死んで蘇ったってか」
そう、オレは一度死んで去ったはずの、日本に戻ってきた。
始まりは唐突だった。
「あの巨大な目を狙うんだ!」
イレギュラーズが街に出没したサイクロプスの討伐に駆けつけた。
クリスが飛び回り、ジャックが得意の爆破魔術をぶつける。
ランランが素早い動きでサイクロプスを混乱させ、シエナが遠距離攻撃を撃ち込む。
たった1体の巨人なんて、オレたちの敵じゃない。
負けることなんて考えてなかった。
クリスの指示に従い、サイクロプスの目に手裏剣を投げつける。同時に放たれた5枚の手裏剣が、大きな瞳に直撃。
苦しんだサイクロプスにクリスが渾身の一撃を叩き込む。
そのままサイクロプスは息を引き取った。
「後始末が大変そうだな」
「あとは冒険者ギルドに任せよう。僕たちの出る幕は終わった」
今日の仕事はこれくらいか。
すっかり気を抜き、本部に帰ろうとしていた時だ。
「アキラ君、後ろ!」
普段から落ち着いているシエナが、いきなり大声で叫んだ。
ただ事じゃないと思い、振り返るも――。
「ポータル!?」
さっきまでなかった空間の穴。
人間が1人余裕で入れるサイズの、どこに繋がっているのかわからない未知への扉だ。
オレがこの世界に来るのに使ったのはポータルだった。
だからすぐにこの穴の正体がわかったけど、イレギュラーズの仲間たちは初めて見るはず。
「アキラ、危険だ! 離れて!」
クリスがオレの方に飛んでこようとする。
だが遅かった。
ポータルの引力には逆らえない。
一瞬にして吸い込まれたオレは、気づけば現代日本の空を落下していた、というわけだ。
事情はわからないけど、自分でポータルを開くなんてことができない以上、この状況を受け入れるしかない。
異世界に送られたり、異世界で新しい力を手に入れたり、イレギュラーズを創設したり――あらゆる出来事を経験しているオレにとって、こんな不可解な出来事も想定内。
オレを異世界に送り込んでくれた女神。
あの美しい金髪が頭に浮かぶ。今回の件も、彼女が関係しているのかもしれない。
とりあえず、この世界が本当にオレの知っている世界なのか確かめる必要がある。
オレはかつて、横浜の中心部に住んでいた。
落下地点はどうやら、オレの住まいの近くらしい。たまたま目にしたポスターに年号が書かれているのを確認したので、今の時間軸が死んでから3年後だとわかった。
オレも異世界で3年を経験している。
この世界はオレのいない3年間を過ごした。
「家はまだあるみたいだな」
母と姉、そしてオレ。
シングルマザーの家庭で、家族3人で育った。16年間を過ごしたオレの実家は変わらず存在している。
日は沈み、夜の8時になろうとしていた。
季節は夏。日付は8月18日。オレの命日だ。
あれから、ちょうど3年だな。
窓から家を覗いてみる。
オレの命日ということで、黒い喪服に身を包んだ母と姉が、生前のオレの写真に向かって祈りを捧げている。それを見て、胸が痛くなるのを感じた。
この3年間で、2人の家族ことを忘れた日はない。
でも、オレは異世界での生活を楽しんでいた。新しい家族に恵まれ、笑顔に満ちた生活を送っていた。
窓越しに見る2人の姿はやつれていて、急にこの世を去った息子・弟の死を受け入れることができていないような様子だった。
特に姉の秋菜とは特別仲がよかった。
3つ年上の姉さんは、自分で言うのもアレだけど、弟であるオレのことを誰よりも愛してくれていたと思う。
オレはどうするべきか。
急に現れたりしたら、2人を余計に困惑させることになるんじゃないか……。
「――ッ」
居ても立ってもいられなくなり、玄関に走る。
きっと2人なら、今のオレも受け入れてくれるはずだ。
意を決してピンポンを鳴らす。
インターホンのカメラに向かって、なんと言えばいいのかわからない、自分でも理解できないような表情で視線を向ける。
だいたい、自分のことを死んだと思っている家族に向かって、3年ぶりになんて言えばいいんだ?
ただいまって笑顔で言えばいいのか?
それとも、ごめんなさい、なのか?
3年ぶりの再会は、ピンポンを押してから30秒後だった。
恐る恐るといった様子でゆっくりと開いていく扉。
永遠に感じられるような20秒ほどの時間を経験して、ついに姉が涙にあふれた顔を見せてくる。
「……秋羅なの?」
3年前と変わっていない、大人びた声。
淡泊で感情がないようにも思えたあの姉さんの声が、悲しみと混乱、怒り……きっと、たった今巻き起こるあらゆる感情によって、荒ぶる波のような波長になっていた。
視線が絡み合い、お互いに確信し合う。
目の前の人物は、自分のよく知っている家族である、と。
「秋羅!」
「姉さん……」
気づけば姉さんの胸の中にいた。
シエナやランランと抱き合う時とはまったく違う。
自分がまるで、1人の小さな子供に戻ったかのように感じた。大好きな姉さんに包まれながら、嗚咽が止まらなかった。
「どうやって……遺骨はあそこにあるのに……」
しばらく抱き合って浮かび上がるのは、現実的な疑問だ。
火葬までして、遺骨を回収したはずの弟。
それなのに、肉体を持った19歳のオレがここにいる。
「秋羅」
姉さんの後ろから、普段絶対に涙を見せない母さんが、ぼろぼろと雫を流しながら近づいてきた。
オレと姉さんを覆うように、ギュッと抱き締めてくれる。
「……話すことがいっぱいあるんだ……」
鼻水をすすりながら、声を絞り出す。
この3年間のことを、説明しなくてはならない。この説明からは、逃げることができない。
涙はそのままで、オレは3年ぶりに自宅に足を踏み入れた。
***
イレギュラーズは必死になってアキラを捜索していた。
突然出現した謎のポータル。
魔術といえばのジャックでさえも、あのポータルの正体はわからない。
「あれは俺の理解を遥かに超える類のものだ。だがおそらく、アキラは空間、もしくは次元を移動した可能性が高い。王都か、その外か……もしかすると……」
「ジャックはあの異次元の穴について調べてくれ。僕は空を飛んでアキラを捜す。ランランとシエナには王都で聞き込みをしてほしい」
できることはなんでもする。
クリスの意志は固い。
ただ、アキラの恋人であるシエナや飼い猫であるランランも、アキラのことだけを考え、一目散に本拠地を飛び出した。
ジャックは部屋にこもり、魔導書や古書を読み漁った。
ポータルに関する記述を見つけると、何度も実験を繰り返して、自らポータルを生み出そうと魔術の限界に挑戦し続けた。
そうして3日が過ぎる。
その日の深夜。
全員がグランドホールに集まり、成果を報告し始めた。
「王国の全土を捜したけど、どこにもいなかった。明日には捜索範囲を大陸全土に広げるつもりだよ」
「聞き込みしてみたんですけど、成果なしですぅ……もうアキラさんに会えなかったどうしましょう……」
「絶対会えるよ。アキラ君はどこに行っても、絶対生き延びる」
得たものはなかったものの、3人はまだまだ前を向いている。
明日にはさらに行動範囲を拡げようと、アキラのためならなんでもするという勢いだった。
しかし、ここでジャックがその捜索活動が無駄であると言うかのように、とある推測を告げる。
「間違いであると思いたいが、どうやらあのポータルは異世界とこの世界を繋ぐ架け橋になっているようだ」
「「「……」」」
「異世界に関する書物が大昔の魔導書に載っていた。神々は多くの世界を統治する存在であり、世界同士を接触させないように均衡を保っている。だが……」
ジャックが魔導書を取り出し、声に出して読み始めた。
「神々の中には、世界同士の干渉を望む者も存在する。気に入った人間を抽出し、異世界に送り込む、そして元の世界に返し、世界の発展を促す」
「まさかそれに、アキラが巻き込まれていると言いたいのかい?」
「アキラはこれまで、自分の過去を伏せてきた。遠いところにいたと聞いていたが……異世界から来たのだとしたら、辻褄が合うだろう?」
「……」
「水の都で女神に気に入られたのが、単なる偶然ではなかったとしたら? 彼が神の世界において、特別な存在であるとしたら?」
「そんなの、ただのジャックの推測だよ」
シエナが指摘する。
アキラが別世界の住人であると信じたくなかった。
もしそうだとしたら、アキラには戻るべき世界があるということ。
そして、自分のいるべき世界に帰ったのなら、もう二度と戻らないのではないか。最愛の恋人に会えないかもしれないという不安が、一気にシエナに押し寄せる。
「実は俺は、水の女神とアキラの会話を少し聞いている。その時、女神はアキラのことを転生者と表現していた。異世界からの転生者であるとな」
「そんな……」
ジャックの発言は重い。
これまで、ジャックはイレギュラーズの頼りになる参謀として、豊富な知識や正確な考察でパーティを支えてきた。
アキラが異世界にいるかもしれないという一言は、再会への希望を少しずつ蝕んでいた。




