池田屋の猫々 みいこと私
みいこと私
私は一人っ子だ。
でも、姉がいた。
名前はみいこ、私より1歳上の三毛猫だ。
みいこは、すらっとした綺麗な日本猫で、白ベースのボディの左側には、右半分が茶色で左半分が黒のハートマーク模様があった。顔も茶色と黒のハチワレ。瞳は透き通るような黄緑色。茶色と黒の縞々模様の長いしっぽは、先端が少し曲がっている。とても綺麗好きで、暇さえあれば耳の先からしっぽの先まで毛繕いをしていた。
みいこが我が家に来たのは、私が生まれる前の夏。時代は昭和だった。
その日は台風が近づいていた。
新婚ほやほやの両親は、2階建てのアパートに住んでいた。昭和のアパートらしく、玄関横に洗濯機が置いてあり、子猫だったみいこは、台風の雨風を避けてその洗濯機の上に居たそうだ。
「こーちゃん(父のあだ名)、猫がいるよ!」
猫好きの母は、すぐにその子猫を飼いたいと思ったそうだが、もしかしたら母猫が探しているかもしれない。
「明日の朝もここにいたら、うちで飼おうよ」
父も動物が好きだったので、その意見に賛成した。
翌朝。
まだ、台風の風が残る中、玄関の扉を急いで開けると、子猫は洗濯機の上に心細そうにしていた。
子猫は家の中に連れられて、みいこと名付けられ(母が名付けた)、池田屋の一員となった。
みいこは動物病院で健康診断と避妊手術を受け、すくすくと大きくなっていった。
そして、春、私が生まれる。
ベビーベッドに寝かされた私を、不思議そうに覗き込むみいこ。そんなみいこに、母は
「みいこの妹だからね、仲良くしてあげてね。」
みいこは賢い猫だったので、その言葉に「わかった」と返事をしたのだろう。私のベビーベッドの下を定位置にして、ねずみや虫の番をしていたそうだ。
「赤ちゃんってミルクの匂いがするから、齧っちゃったり、赤ちゃんが温かいからって上に乗っかっちゃったりする猫もいるんだけど、みいこは賢かったのよ」
と、母は自慢げに話してくれる。
月日は流れ、私が歩き始めると、みいこを追いかけ回すようになる。遊んでくれることもあったが、大抵は逃げられていた。今思えば、子供嫌いな猫だったのに、よく付き合ってくれたものだ。
食事の時は、いつも私の隣にはにはみいこがいた。みいこは自分の事を人間だと思っていたフシがある。
まず、カリカリ(ドライキャットフード)は食べない。他の猫とは馴れ合わない。人間の言葉を分かっている。
プライドが山のように高く、普通の猫が喜ぶ事も、みいこにはイマイチ響かない事が多かった。ノドゴロゴロ触ると嫌がるし。
そんなみいこだけれど、私が親に怒られて泣いていると、そっと寄り添ってくれた。私が反抗期の時には、親の愚痴を聞いてくれたり(すごく迷惑そうな顔をしていたけれど)、優しいところもあった。
夜は、掛け布団をめくると、私の布団に一緒に入って寝てくれたりもした。暑くなると出ていっちゃうけど。
ちなみに、みいこは超グルメで、少しでも鮮度の落ちた魚は食べなかった。この魚、傷んでないかな?と思ったら、みいこに味見してもらうのが1番だと、よく母が言っていた。
グルメ猫みいこが1番大興奮で食べたのは、ふぐの刺身だった。うぅうーと唸りながら食べていたのを思い出す。
猫好きな私が子猫を拾ってくると、みいこはとにかく怒って、押入れの毛布の上にわざと粗相をした。粗相を見つけた時の母の悲鳴が、今でもハッキリと思い出される。
私が高校生になると、みいこは寝込む事が多くなった。病院に連れて行くと、腎臓が悪いのと、高齢なので仕方がないと言われる。
ヨロヨロになりながらも、みいこは食事の時は私の隣に座る。父が魚好きだったので、我が家の食卓は刺身率が高い。その日も私の横に座るみいこに、ヒラマサのお刺身をお裾分けしてあげる。
ヨボヨボで食べるのも大変そうなのに、食べながら何かしゃべるみいこ。
「うにゃにゃにゃ…うにゃ…」
父はその時の事を思い出す度に、あれは私達にお礼を言っていたように聞こえたなと言う。
そのヒラマサの刺身が、みいこの最後の晩餐だった。
その後、みいこは寝たきりになって、母が看病していた。流動食をチューブで流し込んで、オムツをつけているみいこを見るのが辛くて、あまりみいこの側にいてあげなかった。
ある日の朝、私が登校しようとすると、母が珍しく
「今日はみいこに挨拶してってあげなさい」
と言う。
朝の忙しい時間に…と思いながら、バタバタと
「みいこ、いってきます」
と、寝たきりのみいこの頭を撫でて家を出た。いつも通りの、いつも通りじゃない朝。
学校から帰宅すると、みいこは冷たくなっていた。母は、みいこの命が僅かだと分かっていて、私に挨拶するように促してくれたんだった。
小さな箱に入れられたみいこ。
以前母と作ったピンクのドライフラワーを、みいこに添えてあげる。ピンクの花に囲まれたみいこは、何も言わない、動かない。
火葬屋さんに引き取られて行くみいこの入った箱。
私は涙が止まらなかった。
私の小さなお姉ちゃん。
いつも一緒にいてくれてありがとう。
大好きだよ。
そう、心の中でつぶやいて、火葬屋さんの車が見えなくなるまで見送った。
あれから数十年経ったが、みいこはいつも私のそばにいる気がする。今でも、辛いことがあると、みいこがそこにいるつもりで、みいこに愚痴話をする。面倒くさそうな顔で、話を聞いてくれているみいこが見える気がする。
鼻筋をなでる、小さな額をなでる、背中をなでる。そんな仕草をして、そこにみいこがいると思って、語りかける。
そんなことをしていると、だんだん心が落ち着いてくる。私にとっては永遠のお姉ちゃんだ。