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僕のしたいことはストリートピアニスト

作者: カケル

何をしているんだろう。

何のために生きているんだろう。

不意に、そう思う時がある。

仕事は順調で、プロジェクトの総責任者に選ばれ、成果もしっかり残している。

人間関係も良好で、僕を嫌いな人間はこの世にいないのではないかと思えるほどに順風満帆だった。

けれど僕はそう思う。

これが、僕の進むべき道だったのかと。

これほどの恵まれた環境、恵まれた状況を前に何を言っているんだと、誰かに満天星擦れんば確実に言われるだろう悩み。

「ふう……」

会社の帰り道。

スーツ姿で、スーツケースを手に持って歩いていた。会社から家までの距離は徒歩五分。自転車ならもっと早いが、その徒歩五分を過ごすのが僕にとっては有意義だった。帰りの五分もまた、もうすぐ家だと思いながら歩く帰路は満足感に満たされる。

無線イヤホンを耳にして、クラシック音楽を聴きながら。

家に帰るとまずは風呂に入る。仕事で流した汗や疲れを湯船でしっかりと落とすのだ。風呂から出ると、休日に作り置きしていたおかずを温めて食べる。明後日の仕事の計画を立て、そのイメージをしながら書類をまとめる。資格勉強も怠らずに、SNSや新聞からの情報収集ももちろん。

そして最後に。

「さて」

僕はピアノの前に座った。ピアノと言っても電子ピアノだ。ヘッドホンを付けての演奏。流石に生の演奏では近所迷惑だ。

楽譜は頭の中に入っている。

ショパン:華麗なる大円舞曲。

最初に鍵盤を一つ叩くところから始めるのが僕のやり方。この最初の余韻が、僕を音楽の世界へと誘ってくれる。

そして弾く。

指を押し込み、弾き、身体全体で演奏するようにリズムに乗る。本物のピアノのあの感触が好きなのだが致し方ない。強弱と付けて弾きながら、その名に恥じぬ華麗に優雅で明るい空気のワルツを、今ある空虚な気持ちを吹き飛ばすつもりで思い切り弾いた。

「はあ~」

引き終わると、完了したその曲の最後の余韻に浸り、脳の中で揺れる音に耳を傾けた。響き渡る音質、音のそのものに酔いしれ、それこそ明るい気分になれる。

「良い心地だ」

同じ曲を弾きなおす。何度も何度も周回して、十二時に回る手前で弾くのを止めた。

寝るか。

明日は休日だ。けれど一日のリズムは崩したくない派なのだ。

「歯を磨いて寝よう」

そして布団の中に入る。

翌朝目が覚めるとまずやることはストレッチだ。何もせずに起きるのとでは身体の動きが違う。

そして作り置きしていた朝食だ。食パンとサラダ、そしてスープ。今日はこれだ。

温かいものから身体に流し込み、食パンをかじる。サラダで野菜を味わい、スープを飲み込む。食べ終わると、今度はランニングだ。マンションから少し離れたところにある大きな公園。そちらへ自転車で赴き、駐輪場へ鍵をかけてから中へ入り準備運動。そして走り出す。初めはゆっくりとした足取り、身体が慣れてくると徐々にその速度を速めていく。いきなりトップスピードで走ると身体がすぐにばてる。それでは駄目だ。呼吸を整えつつリズム乗って走る。公園をぐるりと回って一キロ、それを十周。

「……」

ふと見かけたショッピングモール。

ストリートピアノが今日から新しく設置されるというという看板が目に入った。

そちらへ行くのはひとまず置いておく。まずはランニングを終わらせてからだ。

帰ってシャワーを浴びて、この後考えていたプランを後回しにしてそのショッピングモールへと足を運んだ。

既にそちらには何人も人が集まっていたが、僕はその列に並んだ。

一回弾いては代わるという流れだった。子供や学生、主婦と言った人まで。何ならピアノに詳しい人までいた。けれどどの曲を聞いてもあまりピンとこなかった。

誰かに聞いてもらうためのものではないモノばかり。

そう言えば、誰かに曲を聴いてもらうのは何年ぶりだろう。

そう思い、普段聞いているクラシックではなく、今流行りの曲を考えてみる。けれどすぐには思いつかない。

ふと、店内に流れる曲を聞いた。

たしかSNSでもチラリと流れていた曲だったはずだ。

「弾いてみるか」

耳コピー。

音源はあくまで店内放送に対する雑なものだ。基礎的な音符にアレンジを加えればいいだろう。

そして僕の出番。

ポーンと一つ音を鳴らす。

スイッチが入った。

弾き始める。

「あ、この曲知ってるッ、鬼滅のだッ」

「ほんと、ちょっとアレンジしてる?」

「ポップな感じだなあ」

「でもなんかジーンと来るねえ」

店内放送の流れていたところだけを抜き取っているからかなり抜けがある。けれど聞いている人たちは少し楽しんでくれている様子だ。

店内放送で聞いた範囲までの場所で良い具合で終了する。小さな拍手を貰った。

「……あ」

立ち上がり頭を下げる。

場所を空け、次の人に渡した。

そそくさと逃げるように、僕はその場を後にした。

恥ずかしい。こんな注目は大会でいくらでも浴びて来たのに久しぶりに、それも演奏会でない場所でするのは初めてだったから。ついついその場から急いで逃げてしまった。

家に付き、玄関に座り込んだ。

「ははっ……」

自分の手を見る。

この久しぶりに感じるピアノの生の音。身体に響く凄まじい音、残響感、身体の芯から震える高揚感、手に汗握るこの感覚。身体の奥深くにまで残る音が、振動が、そしてあの拍手がまた。

僕の中にポーンと落とし込まれていくのが解った。

「またあの舞台に立ちたい。今度は、今度は違う形で」

親や音楽の先生を失望させてしまった。けれど今回は違う形で、コンクールではなく観衆の前で、皆を楽しませるために。

靴を脱ぎ捨て、パソコンの前に座る。

今の流行りの曲、流行りの音楽を隅から隅まで調べた。

曲を聞き、楽譜を手に入れ、入念に練習した。この後の予定を全て放り投げて、支障をきたさない範囲で僕は電子ピアノに向き合った。録音されただけの電子ピアノ。

こんなのじゃ全然満足できない。

舞台の上に立った時みたいに、皆から視線を浴びて、そして喝采を上げてもらった時のあの頃みたいに、楽しませ、喜ばせるためにっ。

「あっ」

気づくと昼を過ぎていた。

キッチンへ向かい、昼食を食べる。そしてまたパソコンと電子ピアノに向き合った。何度も何度も試行錯誤と研究を繰り返し、いつの間にか夜になっていたことに気づく。

「明日の準備しないと」

仕事の準備。

けれど頭の中は小さい頃みたくピアノのことで一杯だ。

「私情は私情、仕事は仕事だ」

ふっと気持ちを切り替えて、僕は翌日のために寝た。

「――さて」

仕事を終わらせると、僕は急ぎ足で家に帰った。私服に着替え、あのショッピングモールへと足を運ぶ。

時間は十九時ごろ。まだ人通りは多い。

何人かがストリートピアノにいたが、順番が来るまで待つ。

そしてピアノを弾く。全部違う曲だ。

Lisa、Ado、YOASOBI、King Gnu等々、若い世代で聞かれている曲を今回は弾く。僕の後ろに人が並ぶまで何曲も弾いた。都度横を確認しながら、皆が知っていて皆が聴いたことある曲を。

人だかりができる。足を止めて聞いてくれる人が増える。

リズムに乗って手を叩いたり、脚を動かしたりする人も目につき始める。

これが、僕がしたかったこと――。

曲を終えて振り返ると、オーディエンスが大きく拍手をしてくれた。

――それから毎日のようにここへ通った。

流石に何曲も弾くのは悪かったので、三曲ほどに絞った。その分、二回目にしたときに比べてお客さんは減ったけれど、それはそれとして、それでも楽しかった。

それを一か月続けていると、不意に声を掛けられた。

「コラボしてみない?」

カメラを携えた数名がこちらにやってきたのだ。

周囲の反応からして有名人だろう。

ティックトッカー、ユーチューバー――誰でも良い。

「構いません。何を弾きますか?」

「そうだねえ」

椅子に座ってくる。

カメラをこちらに向けてくる撮影陣、そしてギャラリー。

「さっき弾いてた曲にしましょっか」

そして始まる演奏。

初めは曲の楽譜通りに進む。順調な滑り出し。

連弾は互いの息を合わせるのは勿論、ただ楽譜通りに進めればいいというわけだけではない。掛け合い、ちょっとした演出、そういったアレンジやアドリブを入れて感動させる演奏へと変えること。これが連弾の醍醐味だ。

そして始まるアドリブの高速演奏。けれどあくまで元の楽譜に新たな音を入れて演奏している。それを合わせるのもまたパートナーの役割。

「ほお」

僕もそれに合わせて新たに音を作り高速で音をはじき出す。と思うと、急にテンポダウンして音を減らすパートナー。僕は音が途切れないよう、音が盛り下がらないようそのまま高速演奏を続ける。そして一番が終わると、再び楽譜通りになる。

なるほど、サビに入るとギアを入れるタイプか。それならそれに合わせよう。

Aメロ、Bメロが終わり、サビが入る。それに合わせて僕も一気に転調を繰り返して曲を変容させた。相手もそれに合わせてか、メロディーを買えて別に方向性へ――そうやって互いに掛け合い、まるで別の曲のように様変わりさせていく。けれど曲のテーマや基礎は崩さずに、テンポやリズムを変えて印象を変えるといった手法だ。僕も僕で気持ちが上がって楽しくなる。

そしてCメロ。ここでもまた一気に曲のテンポやリズムを落とした。それに合わせて、足りない部分を補うように音を出す。

そして最後に大サビ。盛り上がりを見せてより高揚とした空気へと変えていった。

曲が終わると大きな拍手。大歓声だった。

「いやあ、楽しかったあ」

「僕も楽しかったです」

握手を求められ、僕はそれを返した。

「また今度もいい?」

「いいですよ。またやりましょう」

――そしてその一週間後にまた来た。

ユーチューバー、そして連弾と言うこともありショッピングモール内はたくさんの人。次からは外で機材を準備して演奏した。目の前は公演だ。広い場所でのそれはうってつけだった。

まるでコンサート。最高に良い気分だった。

「一緒にもっと仕事がしたい、報酬は弾むからどうだろうか?」

「いいですね。でも僕は主業があるから時間があるときしか出来ないですよ?」

「良いよ。僕はいつでも。予定が開いているときに会おうか」

「解りました」

――連弾ストリートピアニスト。

そう呼ばれて僕と彼女は今も、全国を津々浦々回っている。


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【集】我が家の隣には神様が居る


こちらから短編集に飛ぶことができます。

お好みのお話があれば幸いです。


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