第76話 サポーター (1)
薮内さんのあの書き付けを、斉藤先生が大学の研究室に持ち込んでから2週間くらい経った水曜日。
帰りのホームルームで、担任の今井先生がみんなへの連絡が終わった後、小山内に、「小山内、掃除が終わったら職員室まで来てくれ。」と軽く声をかけた。
小山内は「はい。」と答えたものの、なんだろう、って顔をしてる。思い当たることはない様子だ。小山内のことだから、やらかし系の呼び出しじゃないとは思うけど、わずかに不安げだ。小山内の後の席の河合さんが早速食いついてるけど、小山内は顔を横に振ってる。
小山内のことが心配なんで、部活の話しのふりをして聞きに行こうとしたけど、今、俺が声かけたら、またひと騒動起こりそうだ。
ようやくセクハラ男の異名が輝きを失いつつある今日この頃、小山内に迷惑かけるようなことはしたくない。
俺は、単なる小山内の部活仲間でしかないし、ヘタレだしな。
とはいえ、心配は心配だから、掃除の時間になってから、ショートメールで「なにかあったら必ず俺に言えよ。」
とは送っておいた。
すぐに反応がなかったのは予想どおり。だから、寂しいとか感じてなんかないからな。
反応があったのは掃除が終わって暫くしてから。
なんとなく、そう、小山内とは全く無関係になんとなく、教室に残ってた方がいい気がしてぼーっと座ってたら、職員室から、ちょっと困ったなって顔をした小山内が戻ってきた。
教室に入ってすぐ、俺に、ちらっとした視線を走らせた小山内は、待ってた榎本さんや河合さんに取り囲まれる。
「大丈夫だった?」
「ええ。この前、私が振り込め詐欺にあいそうになってたおばあちゃんを、コンビニの店員さんと一緒に止めたって話し、知ってる?」
「もちろん。」
そりゃ聞かなくても、河合さんが知ってるのはわかってるって。あの後、「凜ちゃん、かっこいい!」とか「正義の味方!」とか散々べったりしてたからな。
小山内は榎本さん達と一緒に自分の机に向かいながら、なぜかいつもの女子トークの時より大きめの声で説明を始めた。おかげで俺にも良く聞こえる。えーと、そのせいで…いやもうおかげで、でいいや。
「あのとき、警察の人が来て、私の名前とか学校を聞かれてたんだけど、そのことで学校に警察から連絡があったそうなの。」
瞬時に河合さんが鬼の形相で臨戦態勢に。
「おのれ警察め。凜ちゃんを犯人扱いとは絶対に許さない。呪ってくれるわ。」
こ、こわー。まじでこわー。
河合さん、あんな顔できるんだ。
いつもの俺に向ける顔なんか、そよ風みたいなもんだったんだな。
「違う!違うの!待って!」
立ち上がって教室から走り出そうとした河合さんの左腕を慌てて机越しに両手で捕まえる小山内。
へにゃっとなった河合は、幸せな顔になって甘い声を出した。
「凜ちゃんがそう言うのなら~。」
河合さん、自分がちょっと変だって思ったことはないんだろうか?
とにかく、河合さんのせいで話が進まない。
お願いだから、落ち着いてくれ。
いや、俺は自分の席でぼーっとしてるだけなんで、口出しできる立場にはないんだけどな。
「凜ちゃん、それで先生から何を言われたのですか?」
なぜか、榎本さんが俺をちら見して、話を進めてくれた。
なぜ俺をみたのかは謎だが、榎本さんナイス!
「警察の人は、この前の事件で、私と店員さんが粘っておばあちゃんを止めたおかげで犯罪を防げたから店員さんと私を表彰したいって、学校に言ってきたそうなの。」
「警察万歳!」
だから、河合さん…
「ありがとう、河合さん。でもね、私そういうつもりでおばあちゃんを止めたわけじゃないし。」
そう言いながら、小山内は、俺をもの問いたげにみた。
いや、小山内の気持ちはわかるけど、このタイミングで俺をみるのは不味いって。
「凜ちゃんが表彰されたらますますセクハラ男が狙ってくるかも知れないけど、私が必ず凜ちゃんを守って見せるから、大丈夫!」
河合さんが目をらんらんと輝かせて俺を指さした後、首をかききる仕草をした。
冗談に思えないところが恐い。
「やめて、河合さん、俺君はそういうのじゃないから。」
「ちょっと落ち着いた方がいいと思います。」
小山内も弁護してくれるし榎本さんも。
俺の感じた命の危機感を共有してくれたのか。
「とにかく、私だけじゃ決められないから、家で家族と相談してきなさいって。待ってくれてありがとう。でも私もう帰るわね。」
小山内は、とりあえず話を打ち切って家に帰る準備をしながら、偶然みたいに俺に軽く手を振って合図を送ってきた。
どうした?
はっと気付いて、おれはスマホをみた。
いつの間にか、小山内からショートメールに着信がある。
「前に行った歩道橋のカフェに来て。」
歩道橋のカフェ?
あー、あのときの。もうちょっと別の言い方ないのかよ、と思ったけど、俺が言うとしてもやっぱり、「歩道橋のカフェ」になるだろう。
そんだけインパクト強かったもんな。
俺はもう一度こっちを見た小山内に軽く頷いて、了解の合図を送った。
だが、なんの呼び出しなんだろう?
とりあえず、普段からバカバカと小山内に言われてる俺でも、小山内が帰ってすぐに教室を出たらいろいろ問題がある、特に俺の生命維持的に、ってわかってる。だから、小山内を見送って、教室に未練はないとばかりにとっとと帰った河合さんの姿が消えるまで俺はぼーっとしてることにした。あくまで、ふりな、ふり。
「俺君。」
そろそろ行こうかって時に俺に近寄ってきて声をかけてきたのは榎本さんだった。ちょっといつもの大きなメガネの奥の目は、ん?緊張気味?
いつもとちょっと感じが違う?
「おう、なんだ?」
思わず構えてしまった俺。
「あの時はありがとうございました。ハイネはもう前と同じように走り回っています。」
「よかった!」
榎本さん、笑顔になって教えてくれた。
ちゃんと治ったんだな。超能力を使ってよかった。
そうかそれを教えてくれるためにわざわざ俺が1人になるのを待ってくれたのか。
ありがとう、榎本さん。
だが、またちょっと緊張気味に戻った榎本さん、俺に頭を下げて
「これからよろしくお願いします。」
だって。
どいうこと?何が?
よくわからない。また困りごとか?
小山内を待たせることになるけど、榎本さんの話を聞いてたって言ったら許してくれるだろう。
「何か…」
「凛ちゃんが待ってると思いますので、早く向かってください。」
機先を制せられた形になった俺は、
「ああ。」
としか言えなかった。
まあ榎本さん自身がそういうのなら、急ぎでもあるまい。
それなら俺が小山内キックを受けないように、早くあのカフェに向かおう。
「じゃあまた明日な!」
「はい!また明日!」
俺は榎本さんに軽く手を挙げて笑顔を向けた。
俺が榎本さんが、なんで小山内が俺を待ってることを知ってたんだと疑問に思ったのは、なんとカフェのある大通りに出てからだった。
小山内が何で俺を呼んだのかが気になって急ぐことに気とられてしまってたんだ。
よっぽど俺は小山内のキックが怖いんだな、うん。