第68話 亡霊 (3)
俺と小山内の早口での打ち合わせが終わって、直後に薮内さんが戻ってきた。単にお手洗いに行ってきただけにしては異常に時間がかかってくれたおかげで、なんとか小山内と話しあわなければならないことは全て話せたと思う。
俺たちはまた座敷机の前の座った薮内さんを前にし、お互いを見交わして微かに頷く。
薮内さんが戻って来る直前に、俺たちは賭けに出ることを決めた。
もしかしたら、帰れとも言わず、反論も、否定もせずにただ黙って、俺たちの話をずっと聞いている薮内さんは、何かを話すきっかけを待ってるのかもしれない。俺と小山内、2人ともが抱いた印象はそれだった。
だから、分の悪い賭けじゃないはずだ。
「薮内さん、先ほどのお言葉から、薮内さんは遠西氏の最後についてご存じなのだと思います。今からそのことについての僕たちの推測をお話します。もし間違っていたら訂正していただけませんか。」
話し始めたのは俺だった。
ここまで頑張ってくれた小山内と選手交代だ。
藪内さんは、嫌とも応とも言わない。俺はそのまま話し続けた。
「やはり、遠西氏は三辺氏に滅ぼされたのだと思います。ただ、そこには秘密があった。」
薮内さんは、何も言わずに腕を組んで俺を見据えている。
「遠西氏は水運と陸運が交わるという重要な場所を押さえていて、現代に伝わるくらいに栄えていた。にもかかわらず、三辺氏に滅ぼされたのには必ず理由がある。
僕たちはそれを、遠西氏の重臣が裏切った、つまり三辺氏に内通して、一気に滅ぼされたのではないかと考えます。」
裏切りという言葉が俺の口から出た瞬間、薮内さんは鬼のような凄まじい形相になった。やはりそうなのか?
裏切りがあった、というのは俺の推理だが、一気にというのは小山内の推理だ。
一気にという理由は、こうだ。あの城は空堀こそあったものの土塁の跡はなかった。もし数か月以上の軍事的対立があったのなら、もっと様々な防御施設が築かれていただろう。そのうち、おそらく後世まで形として残るのは土塁の跡だ。しかし、鳥羽先輩達の地形図には空堀の跡しか描かれていなかった。
何故か?
作る時間がなかったから、これが小山内の推理だ。
俺たちが落ちた空堀だけで十分だと思っていたかもしれないが、軍事的緊張が高まれば当然十分以上の備えをするはずだ。
だからその時間も与えられずに一気に滅びた。
そして、そんな怨み、憎しみが残る方法で遠西氏を滅ぼしたにもかかわらず、遠西氏を尊ぶ薮内さんのご先祖が生き残れたのは、薮内さんのご先祖こそがその裏切り者だったからだ。
しかし、これだけでは謎が解けたことにならない。
「しかし、その重臣はおそらくただ欲に釣られて裏切ったのではない、と思います。」
俺はそう思う理由を説明した。
もし欲に釣られて裏切ったのなら、新しい主君からもいつか金に釣られて裏切るかも知れないやつと疑われ、早々に始末されていただろう。だから三辺氏の時代を経て生き残れたはずはない。
理由はもう一つ。
もし裏切りの代償に、遠西氏の居城のあった場所を与えられたのなら、新たな支配者が誰かを領民に知らせるためにその場にその屋敷を構えたはずだ。そのことによってそこが城跡だと後世に伝わったはずだ。しかし、そのことは、後世に伝わらず、そこに城があったのではないか、としかわからないようになってしまっている。
つまり、単なる裏切りではない。
俺の説明を聞くにつれて、薮内さんの表情に葛藤が現れ始めた。
小山内と俺が、あんな短い打ち合わせの時間でよく思いつけたなと思う最後のピースを今から話す。
「先程お話ししました遠西氏の最後についての異説を覚えておられますか?」
薮内さんは答えない。
「遠西氏は自ら三辺氏の支配下に入った、この異説がどこから出てきたのか僕は知りません。しかしもしこの説に何らかの根拠があったのなら、それは遠西氏の領主一族の誰かが三辺氏の配下に名を連ねていた、ということなのかもしれません。」
俺は推理の大部分を語り終え、一旦、言葉をきった。
「おまえ達は推理だけでそこに辿り着いたのか?」
薮内さんは重い口を開いた。
「はい。」
俺たちは真っ直ぐ薮内さんの瞳を捉え、口を揃て肯定する。
「そうか。」
俺たちは、その「裏切り者」が誰かを口にしなかった。
だが、薮内さんには俺たちが誰を、いや誰の先祖を、その裏切り者と考えているかは伝わったはずだ。
「そうか。」
薮内さんはもう一度そう呟き、苦悩の表情を浮かべて視線と落とした。
しばらく無言の時間が続き、
庭でつんざくような鳥の鳴き声がした。
薮内さんは、ため息とも、腹が決まったともとれるような深い息を吐いた後、
「待っていなさい。」
と深い皺の刻まれた顔で言い残し、また立ち上がって廊下の奥に消えた。
その姿を見送った小山内は、薮内さんの消えた正面に視線を戻して、ぽつり、と呟いた。
「私たち、いまとても酷いことをしてるのね。」
「ああ。」
それ以上の会話はない。
小山内は口元を引き締めてじっと正面を見続ける。
成り行き、そしておそらくは歴史の真実とはいえ、俺たちは薮内さんに、あんなことを言うことは許されるんだろうか。
「なあ小山内。」
「うん。」
「俺たちは。」
「うん。」
その時、それまで閉まっていた、廊下と反対方向の襖を開けて、薮内さんが姿を現した。顔つきはさっきの恐ろしい形相よりは少し穏やかになった気がする。
藪内さんが開け放った襖の奥には、また座敷が続き、蛍光灯の光で照らされている。
やはり部屋の真ん中には座敷机が置かれていて、その上に紫色の風呂敷で丁寧に包まれた箱のような物が置かれていた。
「入ってきなさい。」
藪内さんは落ち着いた声でそう俺たちに呼びかけた。
なぜか小山内は、その言葉にすぐに反応して立ち上がることが出来て、
俺は完全に痺れきった両脚のせいでコケそうになった。
というか、飛び上がりそうなほどじんじん激痛が走ってるんですが。
あのな、今時の高校生に長時間の正座なんて出来るわけがないだろう。
なんで小山内は立てるんだよ。
小山内は、まるで哀れなものを見るような目つきで俺を見て、「ブザマね。」といいながらも俺に手を差しのべてくれた。
どこかで聞いたようなセリフだが、もちろん俺は、その手に縋るしか、立ち上がる方法がなかった。
もちろん、身体的にも、メンタル的にも涙目になりながらな。