第61話 夕焼け (1)
部活再開にあわせて、鳥羽先輩からは郷土史研究会と3部合同での打ち合わせの連絡が来た。
テスト前に、参加するかどうかの確認があった、あれだ。
もともと3つの部全てアクティブな部員が少ないから、アクティブ部員は全員打ち合わせに参加だそうだ。
うちの顧問の参加は必要なのかって鳥羽先輩に尋ねたら、森先生は斉藤先生に「任せました。」の一言だけ言ってあとはなんかの数式いっぱいのサイトに魂を奪われていったって教えてくれた。
ま、まあ最初にそういう約束だったしな。
「斉藤先生に悪いことしてしまったわね。実際の活動するのだったら、最初から斉藤先生にお願いしたら良かったかも。」
とは小山内の弁。
「そうだよな。」て言ったら睨まれた。なんでだ?
そんな感じで打ち合わせの日程と、3つの部の中で唯一部室を持ってる(おおっ!)歴研に集合と決まった。
歴研の部室は、俺たちの教室のある校舎からちょっと離れた所に建ってる各部の部室がある棟の2階で、「部室棟」って呼ばれている。
ちなみに、運動部の部室が集まってるのは別の棟でそっちは「運動部棟」と呼ばれている。なので、「部室棟」には文化部だけが入っている。
教室などが入ってる校舎棟より明らかに古びていて、校舎棟の建て替え前から建っていたようだ。
歴研の部室の広さはだいたい教室半分よりちょっと狭いくらいで、その3分の1くらいはガラス戸つきの鉄の書棚や、いろいろな物が入っている段ボールが積み上げられて雑然としている。
残りの空いたスペースに、長テーブルとパイプ椅子がコの字型に置かれてた。
後で聞いた話だと、もともとこの部屋にあったのは長テーブル2本で、残りの1本は隣の文芸部から借りてきたそうだ。
窓から運動場で練習中の運動部の声が聞こえてくるが、うるさいって程でもない。
俺と小山内が約束の時間よりちょっと前に歴研に着いたときには、鳥羽先輩だけが先に来てて、「ちょっと待ってて」、といって椅子を勧めてくれた。
多分、コの字型の縦棒の所には歴研の部員が座るんだろうから、俺と小山内は、コの字の下の横棒のところに並んで座った。
んで、俺が待ってる間キョロキョロ室内を見てたら、いつの間にか小山内に睨まれてた。
そんないつもの感じで待ってたら、約束の時間ちょうどに出席メンバーが全員揃った。
集まったのは、俺たち中世史研の2人におなじみ歴研の鳥羽先輩と篠田先輩、それと郷土史研究会の3年生1人。郷土史研究会はもう1人いるけど、今日は都合が悪いってことで帰ったそうだ。
郷土史研究会の緒方先輩が眼鏡の奥の細い目を申し訳なさそうに伏せて、
「ちょっと変わったやつなんで。」
と言うから、俺も、つい、
「うちもそうなんで。」
と言ったら、先輩たちにはにこにこ笑顔を向けてた小山内に、長テーブルの下で蹴られた。
こいつ自覚あるんだ。
あとな小山内。この長テーブル、足が隠れてないから、おまえの鋭い蹴りが先輩達に丸見えだぜ。
鳥羽先輩は何故か温かい笑顔を向けてくれてるけど。
そんなの含めた自己紹介が終わったあと、鳥羽先輩は立ち上がって、早速今回の集まりの目的の説明を始めた。
「今回のテーマは遠西氏滅亡の謎に迫る、を提案します。」
遠西氏というと、この前に鳥羽先輩達と行った城跡の城主だっけ?
「遠西氏については皆さんご承知の通り、このあたりから勢力を伸ばしていった三辺氏が滅ぼした、といわれています。」
俺以外のみんなが頷く。
俺もその様子を見ながら慌てて頷いた。たしか、鳥羽先輩がそう言ってたしな。
「しかし、異説もあります。有名なのは、遠西氏が自ら三辺氏の勢力下に入ったという説と、もともと遠西氏は領主というよりも商人たちの代表であり、もとから三辺氏の支配下にあったという説です。」
やっぱり俺以外のみんなが頷く。
おい、小山内、お前いつの間にそんなこと調べたんだよ。
「この異説のうち、遠西氏が商人であった、という説について、これまで数回の調査で、城跡と言える遺構があり、とくに空堀跡と思われるものが複数確認されたことから、否定できると思われます。」
なるほど。あの調査はこういう意味があったのか。へえ。
素直に納得できた。
あの窪地に落っこちた俺としては、あれが自然の地形と言うよりも堀と言うべきものだということを誰よりも実感している。小山内も、だけどな。
というか、小山内、顔が赤いぞ。
あのときのこと思い出してるんだな。あんときは俺が大騒ぎしてしまって恥ずかしかっただろ。悪かったな。
そういう回想の間にも鳥羽先輩の説明は続く。
「中世の遺構としては、もう一つの可能性として環濠集落跡という可能性もあります。」
なんか、聞いたことだけはある言葉が出てきたぞ。
俺の微妙な表情に気付いたか、鳥羽先輩が説明を追加してくれた。
「環濠集落というのは、古代や中世に作られた集落の形で、集落の周囲に空壕や水濠を巡らしているものを言います。中世に作られたもので有名なのは、奈良県にある稗田環濠集落で、地図サイトの航空写真で見ることが出来ます。集落を取り囲むように環濠が残っているので一度見てみてください。この環濠集落も襲ってくる者から集落を守るために濠を巡らせているので候補の1つにはなるんです。」
ほうほう。なるほど。それで。
「ただ、あそこは、空堀に囲まれた範囲が集落があったにしては堀で囲まれた範囲が狭すぎます。また、環濠集落の跡であれば、家が建っていたはずですがその形跡がありません。なので、環濠集落ではないと考えます。」
「たしかに、古代の環濠集落であれば、小規模のもので70メートルくらいのものがあるから、可能性は残りますが、中世のとなると、規模が足りないと思います。」
古代好きの篠田先輩も意見を出す。
「そうですね。それに規模という点では、あの空堀の規模とも合わないと思います。環濠集落の濠で、あの幅と深さをもっていたというのはちょっと考えにくいですし、集落があるはずの平地の規模との釣り合いもおかしいと思います。」
小山内も手を挙げながら、すっと席から立って、堂々と意見を言う。
かっこいいな、小山内。
俺は素直に感心した。
俺なんか、環濠集落って言葉すら記憶の片隅に眠ってなかなか起きてくれなかったのに、その規模がどうとか、意見を堂々と筋道立てて言えるところとか、ほんとに凄い。
そのせいで、いいか、そのせいで、だ。他意はないんだぞ。
意見を言い終わって椅子に座った小山内は、横で感心しながら見てた俺をチラッ見て、小声で
「何よ。」
って言うから、つい、
「小山内、おまえ、凄いな。かっこいい。」
って言っちゃったよ。
もちろん、小山内の答えは
「あんたバカなの?」
だった。