第33話 最初の依頼 (3)
「今日はここまで。帰りましょうか。」
「ああ。」
「はい。あっ!」
ビクッとする俺と小山内。
「先生に呼ばれてそのまま来たんで、教室に鞄を置いたままでした。私は取りに戻りますね。」
そう言って頭を下げて昇降口に戻っていく榎本さん。笑顔は…なかった。
榎本さんを見送った俺は小山内に向き直った。
「小山内、ありがとう。」
「お礼の言葉は、結果が出てからにしましょう。いい?労いの言葉もね。」
「ああ。明日…だな。」
「ええ。明日。じゃ私も鞄を取りに戻るから。」
そういえば小山内も鞄を持っていなかった。榎本に付き合って職員室に一緒に行ってたのかもな。
俺はなんとなく、はじめて俺の超能力を信じてくれた人の前で力を使った余韻からか、小山内と離れ難い感じがしたから、
「俺も付き合うよ。一緒に帰ろう。」
とつい言ってしまった。
「遠慮するわ。誤解されたら嫌だし。」
「なんだよ。同じ部活なんだから、誤解されたりしないだろ。というか一緒に帰ってたじゃないか。」
「言われてみればそうだったわね。でもそれは話さないといけないことがあったからだし。あー、なんか変な空気になって調子が狂う。いいわ。ついてきなさい。」
小山内、おまえ笑いながらでも、あくまで上から目線なのな。
俺たちが並んでのんびり昇降口まで戻ると、ものすごい勢いで榎本さんが鞄を両手で抱きかかえて走ってきた。
榎本さんは…泣いてる?
まさか?
何があった?
俺の超能力を信じてくれた人の前で超能力を使ったのは今回が初めてのことだった。
だから、まさか、超能力が今までなかった発動の仕方をしたんじゃ?
息が詰まる。
小山内の顔も一瞬にして引き攣る。
榎本さんは、昇降口にいる小山内の姿を見つけると泣きじゃくりながらそのまま小山内の胸に飛び込んでいった。
「鞄の中に入れっぱなしにしていたスマホにママからメールが届いてて。ハイネの様子が変だから今から病院に連れて行くって。どうしよう。ハイネに何かあったらどうしよう。」
榎本さんを受け止めている小山内が、激しく動揺している。
そんな、まさか。
顔から血が一気に引いていくのがわかる。
落ち着け俺。
俺は何を……何をすればいいか頭が真っ白になって、思いつかない。
何かできることはないかとあたりを見回して気付いた。
下校する奴らがまだまだ多く行き交う昇降口で泣きじゃくる榎本さんを、好奇の目で見ながら通り過ぎていく奴らがいる。
そうだ。まず榎本さんを守らないと。
俺は榎本さんの姿をそうした視線から隠せるよう立ってる場所を変えて、つっかえながら小山内と榎本さんに言った。
「一旦、教室に戻ろう。」
何故、とは言わない。泣いている榎本さんを腕で包んでいた小山内は、俺を、それから周囲を見て榎本さんに優しく声をかけた。
「ユリちゃん。一度教室に戻ろう。」
俺も小山内も、「大丈夫だから。」とは口にできない。
だが、出来ることがあるんだったら、俺を、俺たちを信じてくれた榎本さんのためになんだってしよう。
俺は榎本さんが取り落とした鞄を持ち上げ、小山内にうなづいた。
「さあ、ユリちゃん。」
榎本さんは、声を出さず小さく頷く。止まらない涙を小山内が渡したハンカチで拭いながらとぼとぼと歩き出した。小山内が榎本さんの肩を抱いて寄り添う。
何が。
一体なぜ。
俺の心の中でも大嵐が渦巻いている。
階段を上がって3階にたどり着いた時、俺は、榎本さんの鞄の中に入れられてるスマホの画面が明るくなったのに気づいた。
「榎本さん、スマホに何か着信だあったかも。画面が明るくなってる。」
そう言いながら俺は榎本さんに鞄を返した。
涙を貯めた目のまま榎本さんはすぐさま両手で鞄を受け取ると中を漁ってスマホを取り出した。
スマホのランプが瞬いている。
榎本さんは怯えたような表情でそのランプを凝視した後、スマホの画面をもどかしげにタップした。
俺と小山内は、ハンカチを握ったままスマホを操作する榎本さんの横に並んで立って見守る。
榎本さんは1度解除コードの入力をミスしたみたいだが、メール画面を呼び出したらしい。着信はメールか。
一番上の方をタップしてメールを読みはじめる。
俺たちは、硬い表情でメールを読む榎本さんの横顔を固唾を呑んで見守った。
榎本さんの視線が何度か左右を往復するうちに、また目に涙がにじみ出す。
何度か、メールを読み直すくらいの時間が経った後、榎本さんは画面から目を離して、俺たちを見た。
どんな知らせだったのか。
「ママからメールがありました。ハイネ、よろよろとだけど立ったって。最初、いつもおとなしいハイネがいきなり悲鳴のように鳴いてもがくように動いたから、ママびっくりして、メールしたって。」
声に涙がのる。目からも涙があふれ出した。
一度鼻をすすり上げて榎本さんは、続けた。
「でも、病院に行くためにママが準備してる間に、動かなかった右側の足も動かしてたんで、頑張れって言いながらさすって上げたら、ちゃんと右の足も使って立ち上がったって。これから、お医者さんに連れて行って診てもらうから、私が帰ったらもっと詳しく教えてくれるそうです。」
俺と小山内は、ハイネが右足も使ってという言葉を聞いた瞬間、目を合わせて、
小山内は、「やったー!」と言いながら、ぐちゃぐちゃになるほど相好を崩して飛びはねた。そのあと、榎本さんの両手を取って、榎本さんを振り回しながらぐるぐる回る。振り回される榎本さんも泣き笑いの変な顔だ!
俺も勝手に右手が突き上がて「やった!」とか「よしっ!」とか、らしくねえことを叫んでしまった。
何人か教室に残ってた奴らが顔を出して、なんだなんだ?!って顔してるけど、良いじゃねえか、こんな時くらい。
ひとしきり舞い踊って、目でも回ったんだろうう。小山内と榎本さんが、フラフラと壁により掛かって、一回休み。
荒い息をつきながら、小山内が声を掛けた。
「ユリちゃん。良かったね。本当に良かったね。」
「はい。まだ詳しいことはわかりませんけど、今までハイネ全然立てなかったですので、きっともう大丈夫と思います。ありがとうございます。俺君、ありがとうございます。」
「そんなのはあとあと。とにかく、おうちに帰って、ハイネちゃんを迎えてあげて。」
「はい。でもお礼をちゃんと言いたい。」
「いいから。そこのバカみたいに突っ立ってるのもきっとお礼言われるよりも先にハイネちゃんの様子を知りたいと思ってるよ。」
おい、小山内の中の人。交代忘れてるぞ。
言ってることはその通りだけどな。
「とにかく、お礼なんか良いから、すぐに帰って様子を見てやれ。俺も先に知りたいから。落ち着いてからで良いから小山内に連絡してくれ。」
俺も小山内に、榎本さんと連絡先の交換してるか確認して、すぐ帰るように言った。
榎本さんは、俺と小山内の顔を交互に見て、深く頭を下げて、「わかりました。ありがとうございます。」と言って、駆けだした。「あぶない、階段気をつけて。」という小山内の声が聞こえたかどうか。
残った俺たちは、お互いの顔を見合わせ、2人してクスクス笑いながら、
「おかしー、あんた泣いてるの。」
「おまえこそ、涙流してるじゃないか。」
と言い合った。
俺はそう言いながら、小山内がハンカチを榎本さんに貸したままになってるのに気付いて、鞄から予備のハンカチを取り出して、小山内に渡した。
きちんと洗い立てをジッパーつきのビニールに入れてたから、きれいだぞ。
小山内も文句も言わずに受け取ったんだらからな。