第215話 エピローグ
その後、俺たちと急いで服を着替えた小山内達は、個別に警察の人から簡単に事情と連絡先を聞かれた。
俺達への事情聴取と平行して進められた井戸の内部確認は、少し手間取ったらしい。
中でガスが発生していたりする可能性もあって、中に降りていくのを慎重にしなければならないせいだと事情聴取の警察官に教えてもらった。
俺達の滞在リミットぎりぎりになって、漸く井戸の中からいくつかの物が運び出されてきた。
内容についてはよくわからないが、下に降りた人の話だと、結構な数のものがまだまだ底に散らばっているようだ。
だが、骨や遺骸のようなものは見つからなかったという。俺の超能力がきちんと仕事をしたんだろう。
このことについても警察の人に教えてもらったんだが、遺骸が発見されなかったことは警察の人たちの間では事前に予想されていたことらしい。
というのは、もし、言い伝え通りに犠牲者の遺骸を床下の井戸に投げ込んだりしてたら、酷い臭いがしてとてもじゃないがその上で暮らすことなんてできなかったはずで、もし本当にそんなことがあったのなら、とっくに井戸を埋めてしまっていただろう、と。
その話を聞いた俺の脳裏に、あの時見た井戸の蓋の印象が蘇ってきた。
しっかりした頑丈な造りの。
あるいは警察の人が言う酷い臭いがしたためにしっかりとした蓋を造ったのかもしれない。
それにあの井戸に投げ込んだ石は最後まで水に落ちた音がしなかった。
俺はその原因を井戸が枯れていたせいだと考えたが、蓋をしただけでは臭いが我慢できず、これも警察の人が言った通り、土か何かを上から入れてしまったからなのかもしれない。そしていつの頃からか、遺品だけを投げ捨て、遺体は別のところに。
確かに俺も、遺骸が発見されないように超能力は使ったが、遺骸が井戸の中にないというふうには使っていなかった。
だから、井戸の底のさらに下には、今も犠牲者が眠っているのかもしれない。
結局、俺達がこの宿を出るときまでには最終結論は出なかった。
それは、遺骸は発見されなかったものの井戸の底から運び出された古い何枚もの布きれに、どす黒い何かが付着していたからだそうだ。
しかし、俺達が時間切れになったので、そのどす黒い何かが一体何だったのかは結局聞けずじまいだった。
「せっかく来ていただいたのに、ゆっくりおもてなしすることもできず、お帰りもこんな慌ただしくなってしまい、申し訳ありません。」
駅前の広場に俺達を送ってきてくれた美司子さんは不吉な色の車の前で申し訳なさそうに詫びた。
「夫も本来でしたらお見送りに来なくてはなりませんのに。」
というと美司子さんの視線は家の方に向いた。
慎一さんは警察の調査の立ち合いでどうしても家を離れられなくなってしまったからだ。
「落ち着きましたらまた皆様ゆっくりお越しください。」
「でもおばさん、また井戸の蓋を開けちゃったけど、幽霊の声はまた聞こえてくるのかな?」
ホリーが疑問を口にし、薮内さんも頷いた。
「井戸の蓋が外れていた時には幽霊の声が聞こえてこなかったのですから、少なくとも井戸の蓋は元に戻さないと声は聞こえてこないかもしれませんわ。」
だが美司子さんはふんわりと笑い、意外なことを口にした。
「もし幽霊さんが皆様のおかげで成仏されたのでしたら、蓋を戻してももう声が聞こえて来ないかもしれませんね。」
「でもそれなら…」
小山内が口にしかけたことは俺にもわかった。
もし幽霊の声が聞こえて来なくなったら、俺たちへの依頼は失敗したことになり、民宿のお客さんも戻って来ないということになってしまうんじゃなかろうか?
「ええ。でも永い間苦しまれてきた方々の魂が救われたのですから、私たちにとってもそれはよかったと思うの。」
「それじゃあ幽霊の声が聞こえてきた時は?」
ホリーの疑問はおそらく俺たち全員が思った疑問だろう。
「その時は幽霊さんが、私たちの宿を応援してくれてるわけだから、これからもどうぞよろしく、ということかしらね。」
…やっぱり美司子さんのメンタル強すぎだ。
「じゃあ、どちらであっても美司子さん的には解決だと?」
今度は伊賀が問いかけた。
「ええそうですね。私たち夫婦がここでのんびり暮らしていけるならそれでいいかな、と。」
さっきも言った通り、俺の超能力が上手く働いてくれてるなら、今後も永井さん夫婦は、怪現象とともに生きていくことになる。
それが美司子さんの言うような、のんびり、という生活かどうかはわからないが、少なくとも永井さん夫婦は、怪現象が元通り起こるなら、それは幽霊が自分達を応援してくれているから、と感じるんだろう。
それなら怪現象が起こっている限り、たとえ辛いことや苦しいことが永井さん夫婦を襲っても、それが怨念のせいだとは思わないだろう。
うん。
なんか今回も悪戦苦闘したけど、ミッションコンプリートした感じだ。
「だよな、小山内。」と言う思いを込めて小山内を見ようとしたら、既に小山内は同じ気持ちを込めたらしい視線を俺に送っていた。
俺たちは、お互い頷きあう。
「俺くん。小山内さんを変な目で見てますわね。離れなさい。」
こっちの方のミッションはコンプリートか?
いや、これからきっと教室で俺は辛い目に遭う。
「薮内さん、テルくんはそんな人じゃないよ。」
ホリーが弁護を試みてくれる。
「あなたは俺くんが本性を現した決定的現場を見ていないからそんなことが言えるのですわ。ね、小山内さん。」
「え、ええ。」
小山内さん?早くもなにやら悪評が広がっていますわよ。
小山内のこめかみに一筋の汗が流れた。
うん。
これは想定外なんだよな。
わかるわかる。
だから俺がジト目で見る気持ちもわかってくれよな。
こんな厄介なフラグを立てられたものの、俺は結構満足している。
ホリーと永井さん夫婦の力になれたし、あるいは、遠い過去にあった惨劇の幕を引けたかも知れないからだ。
「ではそろそろ行きますね。慎一さんにもよろしく。」
そうお別れの言葉を発した俺の耳に、かすかな「ありがとう。」という声が響いた気がした。
季節に後れたタンポポの種が、吹き抜けていく風に飛ばされ高く天に昇っていく。
俺と同じものを見ている小山内の横で、俺は、もし地上に犠牲者の魂がとどまっていたなら、この種とともに天に昇れと祈った。