第20章 鎮めの時 第208話 鎮めの時 (1)
「あっ。」
俺たちは、ほぼ同時に声を上げ凍りついた。
なんの予備知識も無しにこの音を聞いて、なんの音かと問われれば、怨みのこもった声、と答える…
かもしれない。
と言うより、いきなりこんな音が家の中ですれば驚くだろうし、それが夜ならすぐに幽霊と結びつけてしまうだろう。
そういう類いの不気味な音だった。
「今のが?」
冷静な声で伊賀が慎一さんに問いかけた。
「はい。これです。声の高さが違う気がしますが。」
「ということは幽霊復活成功だよね。」
ホリーが明るく言う。
ま、まあ、そうなるな。
「このタイミングで復活したということは、幽霊の原因はやっぱり井戸だったんだね。」
ホリーは、ほっとしたような笑顔を浮かべてそう言った。
うん、ホリー、間違っちゃいない。間違っちゃいないが、その言い方だと井戸に幽霊がいるみたいになってしまうぞ。
「僕は、テルならきっとおじさん達を救ってくれると信じてたんだけど、もしかしたら幽霊は守備範囲じゃないかも、無理なお願いをしちゃったかもと思ってたんだ。」
あ、ホリーの目が潤んでやがる。
そうか、ホリーはホリーで俺への信頼と、永井さん夫婦からの期待の間で苦しかったんだな。
…だが、だからと言って、幽霊は俺の守備範囲ではない。
断じて。
だがそんな些細なことは今はどうでもいい。
「慎一さん、この音が幽霊の声だということだとすれば、他の物が動くだとか、影が見えるだとかも同じように床下の井戸の蓋が原因かもしれません。もし、この3つの現象が、同じ時期に起こらなくなったりすれば。なら、物が動くというのも復活するかもしれません。」
俺は復活することを知っているが、俺の頭の中で徐々に形作られつつあるアイデアに沿うように、敢えて印象付けるためにそう口にした。
「そうですね。たしか起こらなくなったのは同じ時期だったと思います。」
「あれだけの大きさの音が出ていたのなら、もしかすると物が動くというのも共鳴が原因なのかもしれませんわ。」
話に入って来た薮内さんも俺と同じ結論になったようだ。
「でも仮にそうであれば、物が動くという現象は起こらないと思いますの。」
え?どういうことだ?
「もし俺くんのいう通り、井戸に蓋がされていたことが理由で音が鳴っていたとしますわ。それならおそらくそれは、ヘルムホルツ共鳴器の原理によるものですわ。」
ヘルムホルツ共鳴器?何だそれ?
俺だけじゃなく小山内含めて全員が同じ表情になった。
ちょっと安心した。
薮内さんの説明によると、ヘルムホルツ共鳴器ってのは、瓶の口に強息を吹きかけるとぼーっと鳴るようなものを言うらしい。
まあ、俺が井戸の蓋が原因なんじゃないかと睨んだのも同じ発想だから、そのイメージはすぐに掴めた。
問題はそこから先の説明にあった。
そのヘルムホルツ共鳴器から出てくる音の高さ、固有振動数というのらしいが、それは開口部の断面積に影響される。瓶で言えば飲み口の断面積ということで、井戸の蓋で言えば、井戸から蓋がずれて開いていた面積に当たるそうだ。
それが幽霊の声の高さに当たるんだが、さっき慎一さんは、以前と声の高さが違うと言った。それは、蓋の破損や、一旦落ちた蓋を戻したことで井戸の開口部の面積が変わったからと考えられるらしい。
まあ、そんなこと一切考えずに蓋を戻したから、違ってて当たり前というかなんというか。
そんで、そんなふうに井戸の固有振動数が変わったのなら、共鳴で動いていた方の物の固有振動数とずれたはずで、だとすれば、共鳴しなくなる、つまり物が動かなくなるはずだと。
ふう。
俺は薮内さんの説明通りに説明したつもりだが、もし間違ってたら、それは俺の責任だ。
というか、それは一大事じゃないか?
あれ?
俺は物が動くようにも超能力使ったぞ?
あれ?
「あ、こけしが!」
こけし?
何のことだ?
声を上げた慎一さんの視線の先を見ると、なにやら感慨深げに庭をじっと見つめるこけしがある。
あんなのあったっけ?
「動いてます。」
いや、こけしは静かに佇んでるだけだが
慎一さん以外、誰も慎一さんが何を言っているのかわからないという顔をしている。
「ですから、こけしは、もともとこの部屋の真ん中を見ていたんです。」
慎一さんが漸く一番大事な説明をしてくれた。
そうは言っても。
「ちょっと待てください。そんな、こけしの視線の方向とかを確実に記憶してるなんてことがあるのですか?それに、昨日、この部屋の畳をあげた後で掃除したときに、誰かが間違っておいたのかも知れないし。」
俺のその2つの疑問を、慎一さんは1つの答えで疑問の余地なく解き明かした。
「ですから、昨日の作業で埃をかぶったこけしを私が掃除して、この部屋の真ん中に向くように置いたんです。」
こけし、動いたんだな。物が動くのはわかっていたが頭でわかっているのと、実際に体験するのとではインパクトが違う。
「そんな…」
伊賀だけがその言葉を発したが、おそらくそれはみんなが思ったことだろう。
1人を除いて。
「あ、そういうこともあるかも知れませんわね。でしたら、それを新しい売りにされたらいかがかしら。」
いや、藪内さん、いくら何でも平然としすぎだろ。
という、俺の視線に気付いたか、藪内さんはくすりと笑った。
「まあ。察しのいい俺くんにしては、どうされたのかしら?先ほど説明した通り、固有振動数の同じもの同士は共振しますの。今度は井戸の音と、あのこけしの固有振動数が一致したのですわ。」
な、なるほど。
そういう理屈か。
幽霊がいなくても、そういうことが起こるのか。
こんな風に明快に解説されると、なんだか、この幽霊の声やものが動くってのが俺の超能力の結果なのかどうなのか、よくわからなくなってきた。
「藪内さん、解説ありがとう。」
若干硬めだが、冷静さを取り戻した小山内が声をかけた。
「今の藪内さんの話で、幽霊の声と物が動くということが、幽霊の仕業だというほかに、物理的に説明できる現象でもあるということがわかりました。でも、怪現象が復活したのは事実です。」
なんだか、手加減した言い方だよな。
まあ、幽霊なんいかいない、なんて宣言してしまうと、もし、ここで幽霊民宿を続けるなら、お客さんを騙したことになってしまうので、そこんとこへの配慮、ということか。
あるいは「嘘つき君」で傷ついていた俺がまた「嘘つき君」にならないように気遣いか。
…いや、自意識過剰だな。
「ですから、幽霊が復活した、と言っても、間違いとは言えないと思います。なので、あとは、永井さんご夫婦が、どうされるか、だと思います。」
うん。
幽霊が復活しなかったら、ここは単なる陰惨な過去を持つ家にすぎない。
だが、幽霊が復活したなら、れっきとした謂われをもった幽霊の出る家、になる。
つまり、元通りの売りの民宿が営める、ということだ。
一応営業再開のまえに、警察に連絡はした方がいいと思うが、事故物件の賃貸物件と違って、警察を呼んだからといってここの商品価値が下がるわけではなく、むしろそういう話しが大好きなコアな層にはアピールポイントになるだろう。
その意味で、あとどうするかは、永井さん夫婦の決断だけだ。
「あの、この家をそういうのが平気で幽霊民宿を営業したいって人に売るっていうのもあるかもしれないよ。」
ありがとう、ホリー。
だったら、選択肢は、4つだ。