第207話 謂われ (4)
「とにかく、一旦戻って、永井おじさんたちの考えを聞いてみるのが先決じゃない?」
ホリーが重い空気を破って提案した。
そうだ。
ホリーの言う通りだ。
何より大事なのは、住んでいる永井夫婦がどう考えてるか、だった。
ミスをして、その上時間も限られていることで、また自分勝手な思いで突っ走るところだった。
ありがとうホリー。
俺は理由を言葉には出せないから、今の俺に可能な限りの笑顔を作ってホリーに頷いた。
他の皆んなもそれ以上のアイデアを持ち合わせていなかったので、俺たちは連れ立って宿に戻ることになった。
その途中。
宿の門に入った時、俺は頬に右横から送られてくる視線を感じた。
無意識に近く振り向くと、俺を見ていたらしい小山内と視線が交錯する。
その視線は、俺が1人でミスを背負い込もうとしていることへの非難と一緒に、決意の色も見て取れた。「私たち2人のミスだからね。」と。
俺は、ミスと焦りで冷えていた心の真ん中に、何かじんわりと暖かいものが広がるのを感じ、軽く頷くと、「ありがとう。」と口にした。
小山内は表情を変えることはなかったが、俺から視線を外し、正面を向くと、「当たり前でしょ。」と呟いた。
ほんとありがとうな、俺の大事なパートナー。
戻ってすぐに俺たちの部屋に入ってきた慎一さんは、俺たちの顔を見て、俺たちがこの家の謂れを知ったことを察したらしい。
部屋に入ってきた時のわざとらしい笑顔はすぐに消え去った。
「ええ。確かに。おそらくあの井戸がその話の井戸です。」
慎一さんは淡々と認めた。
「話しに出てくる、血で汚れる畳の交換を少なくするための小さい部屋というのも、あの3畳間を指していると思います。」
慎一さんによると、慎一さん自身もあの3畳間のことは以前から不思議には思っていたそうだ。
何故か、景色がいいはずの庭に面したこちらの部屋とは板壁で仕切られ行き来できなくしてあるし、もう一つの壁も板壁で、さらに押し入れが作られ、出入り出来るのは一方向からだけ。
そのことからも、慎一さんは、人があまり出入りしない物置き部屋だと考えていたそうだが、逆に考えれば、襲われた人が逃げられないように作ってある部屋だともいえないことはない。
床下の井戸が3畳間の押し入れの下にあるとわかるまで、慎一さんは、話に出てくる小さい部屋のことは、あの部屋の特殊な造りを見た誰かが想像力を働かせただけだと思っていたそうだ。
それから、慎一さんは決定的なことを教えてくれた。
「皆さんが聴き取り調査に出発された後、どうしても気になって、3畳間の押し入れを調べたのです。そうしたら。」
慎一さんは、まるで調べてしまったことを後悔するかのように唇を噛み、顔色もさらに悪くなる。
慎一さんの口からなかなか続きの言葉が出てこないが、俺たちは続きを促す気にはなれなかった。
「すみません。調べたら、3畳間の押し入れの床板も外れるように作ってあり、ちょうどあの井戸に何かを投げ入れるのにちょうどいい位置になっていました。」
沈黙。
まだまだ暑さの残っている時期なのに、薄ら寒い空気がその場を支配する。
決定的、といっていいだろう。
もう、あの井戸の底に、怨みを抱いて死んでいった旅人たちの骸が眠っていることを疑う余地はなさそうだ。
「永井さん。」
藪内さんが声をかけた。
だが、その後に続けるべき言葉は持たなかったようだ。
だから俺が引き取った。
「慎一さん、美司子さんは、昨日俺たちが井戸を見つけたことをご存じなのですか。」
「いえ、まだ話していません。聞かれたのですが、床下で幽霊の声に繋がるようなものがあったので、またその声が聞こえてくるようにしてもらった、とだけ。」
嘘はついていないけど、一番大事なところは誤魔化した、ということか。
「それで美司子さんは納得されたのですの?」
「まあ、怪訝な顔はしましたが、『俺に任せとけ。』と私が言ったので。」
当てになりそうにもない俺たちに幽霊復活を依頼することも、美司子さんは、慎一さんの「任せておけ。」の一言で任せたのかもしれない、と俺はその説明をする慎一さんの顔を見て思った。
まあ幽霊退治ならぬ幽霊復活なんて誰に頼んでいいものか見当もつかなかっただろうから、任せろと言うのならまあいいか、と言うことなのかもしれない。
その続きで、昨日の発見も、深く追求しなかったのかもな。
俺はなんとなくそう感じた。
ん?
もしそうだとすれば。
「慎一さんは、あの井戸が言い伝えに出てくる井戸だと考えておられる訳ですね。」
「ええ。」
慎一さんは話の念を押した俺を訝しげに見た。
だが、そんなことで引いてる場合じゃない。
「慎一さんは、もし、あの言い伝えが本当で、この家で殺された旅人が床下にある井戸に投げ込まれていたのだとすれば、どうしますか?」
「おいおい」という伊賀の表情や、「なんてストレートな」とでも言いたそうな薮内さんの表情が視野の端っこに見えるが、それでも聞かなきゃ前に進めない。
小山内だけは、俺が何かを思いついたのに気がついたみたいだ。
視線で「暴走は止めるからね。」と言ってるからな。
「そうですね。やっぱりきちんとお祓いはしないといけない、と。」
「お祓いの後は?」
俺はさらに聞く。
「それは…そうですね。美司子と相談ですね。」
「それはどういうことを相談することになりそうですか?」
「どういうこと、とは?」
「つまり、ここから引っ越しするか、それとも住み続けるか、あるいはそういう謂われのある宿だとして宿を続けるか…」
「そうですね。確かにその3つの中から選ぶことになりなりますね。」
やはり、あの井戸が言い伝えに出てくる井戸だと知った今でも選択肢は1つだけではないのか。
「美司子さんは、この家の謂われをご存じなのですか?」
「はい、もちろん。ご近所の方から最初に聞いてきたのも美司子ですし。」
たしかにお隣のおばちゃんなら、この家に住んでる人にも遠慮なく喋ってしまいそうだ。
…偏見なのはわかってる。
「美司子さんは、その話を聞いたときにどんな反応でした?」
慎一さんはその時のことを思い出すように顎に手を当てた。
「たしか、『この家にこんなことがあったんだって』と言って聞いてきたことを詳しく教えてくれました。」
「それで?」
「『こんな古い家なんだから、それくらいの過去はあったって不思議じゃないわね。』と。」
意外な反応だな。
「おそらく前の住人はその話を聞いて逃げ出したんでしょうけど、幽霊民宿をするには、それくらいの因縁話があった方がいいわよね。とも言ってたかな。」
おいおい。メンタル強すぎないか?
「いや、そのお気持ちはわかります。私もおいおい、と思いました。でも庭の井戸がそんな恐ろしい過去があるようにも見えないし、言い伝えでも役人が何も見つけられなかったとあるので、よくあるいつの間にか心霊スポットになってしまった廃墟の類いと思ったのかもしれません。」
気持ちが表情に出てたらしい。慎一さんがフォローしてくれた。
「もともと、美司子は霊感が全然ないくせに、廃墟とか、幽霊屋敷とかが大好きなたちで。私もそれを知っていたので、この家の住人が幽霊騒ぎで逃げ出した、と聞いたときに、夫婦2人で民宿が出来る、と思ったんです。」
まあ、そういうことでもなければ、幽霊騒ぎのある家に引っ越そうなんて言い出したら、離婚問題になるよな、普通。
そうか。
だったら、いけるかも。
俺の脳裏にあるイメージが浮かんできた。
それと同時だった。
うおおぉぉぉぉ。うおおおおぉぉぉぉん。
という不気味な声が床下から響いてきたのは。