第206話 謂われ (3)
はっきり言うが、俺は幽霊なんて信じていないし、呪いなんてのも信じていない。
だから、幽霊の声というのも床下の井戸が立てる音で、それは、物理的に説明が出来るものだと思っていた。
だから、さっきも超能力を使ったんだ。
だが、本当にそう言い切ってよかったんだろうか?
疑念というか不安というか、そういう言葉で表現しにくいものが心に湧き出してくる。
「ね、今聞いた話、忘れましょう。」
「ああ。えっ?」
別のことを考えていた俺は、小山内の提案を何も考えずに肯定してしまった。
だが、今聞いた話は、昨日俺たちが謎に思ったことをあまりにも的確に説明できてしまう話だ。それを聞かなかったことには。
「だから、忘れましょうって言ってるの。」
「なぜだ?」
小山内は、無意識に握り続けていたらしい俺の手を離して、俺の眼を覗き込んだ。
「さっきの話しを、永井さんにしたとするわよね。」
「ああ。」
「永井さんご夫婦、どうなると思う?」
「どうなるって、どうなるんだ?」
小山内は一呼吸置いて、いつものセリフを口にした。
「あんたばかなの?」
だが、今日の小山内の「ばか」にはいつもの勢いがない。
「今の話をして、もし永井さんご夫婦が信じたら、きっともう、永井さん夫婦はあの家に住めなくなるわよ。」
「いや、図太そうだし。」
「そういうこと言わないの。あんな話を聞いてあの家で幸せに暮らし続けられると思うの?」
俺は小山内の言葉に、美司子さんの人の良さそうな笑顔を思い浮かべた。
今、俺たちが聞いた話を美司子さんが知ったとする。
幽霊の話が、単なる人のやっかみや与太話ではなく、昨日の俺たちの発見と符合したことで、言い伝え通り、本当に血塗られた歴史がその背後にあったらしいと知れば。
何より、あの隣のおばちゃんが言った通り、幽霊が出なくなって、永井さんが経済的に困っているというのが、怨霊によるものだとしたら。
いやいや、実際に祟りが起こっている必要はない。
自分達に突然起こって苦境に追い込んだ出来事が怨霊の祟りかもしれないという意識が頭の片隅にでも残ってしまったら?
これから何かうまくいかない事があるごとに、その意識が鎌首をもたげ、心の弱い部分に噛み付くだろう。
もちろん、そんな馬鹿なと一笑に付せる人ならどうってことはないかもしれない。好んで事故物件に住んでる芸人さんだっている事だし。
だが、普通の人は耐えられない。だからこそ事故物件と呼ばれるのだからな。
そうか。きっと永井さんの前の住人も、誰かからさっきの話を聞いただろう。
あるいは俺たちとは違い、決定的なもの、つまり井戸は見つけていなかったのかもしれないが、さっきの話と、幽霊が出すような音や不気味な影と、話に出てくる血塗られた歴史は直結したはずだ。
そして、住めなくなった。
幽霊の存在を信じようが信じまいが、そんなの関係なしに、「もしかして。」の入り込む余地がある以上、そこには人が落ちてしまう陥穽がある。
しかも、その幽霊が自分達に不幸をもたらす存在だとすれば、その結論は、逃げ出す以外にはないだろう。
たとえ悪魔祓いや怨霊退治をやったところで、人生で必ずぶつかるはずの良くないことが起これば、そこに幽霊の影を見出すのは必然だし、そこから逃れるためには、ここから去るのが最も普通の対応と言っていいからだ。
だとしても。
「小山内、俺たちが黙っていても、あの話が永井さん夫婦の耳に入るのは時間の問題じゃないのか?」
俺がそう言った瞬間、脳裏に昨日の情景が浮かんだ。
井戸を見た時の慎一さんの恐怖感のこもった声も。
「というか、永井さんたちはもう知っている。」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「それはな…」
俺がかいつまんで小山内に昨日の永井が床下で見せた様子を話した。
深刻な表情を浮かべながら小山内は呻いた。
「だったら、もう言い伝え通りの井戸を、しかも一番小さい不思議な部屋の下で見つけてしまった昨日の時点で取り返しがつかなくなってるのね。」
「ああ。そうなるな。」
永井さん夫婦を助けにきて、幽霊騒ぎの原因らしきものをうまく見つけて、超能力でさくっと解決したはずが、事態は取り返しのつかない方向に進んでいた。
というか幽霊の声を復活させる超能力を使ったのは、失敗だったんじゃないか?
「そうなるわね。どうしよう。」
小山内の表情がさらに暗くなった。
しかし、さっき聞いた恐ろしい話への恐怖の色は消え、永井さん夫婦をどうやれば救えるかだけを考えている。
「時間もないわね。すぐにいい方法を考えないと。」
そうだ。俺たちは週末を利用してここに来ている。つまり、もう今日の午後にはここを出発しなければならない。
じっくりと考えてる時間なんてない。
「どうしよう。」
俺と小山内の声が重なった。
そこへ。
「俺くん達も、聞かれたようですわね。」
「?!」
いつの間にか、俺たちの背後に薮内さん達が立っていた。
「どうして?」
驚いて尋ねた俺に伊賀が珍しく眉を寄せながら説明した。
「僕たちも訪ねた先で、聞かされたんだよ。あのお家で、昔、旅の人が殺されて持ち物を奪われたって。そのおかげであの家が裕福になったってね、な、薮内さん。」
「はい。井戸の中にその犠牲者のご遺体を投げ込んでいたと教えて頂きましたの。」
そう言う薮内さんの表情もさえない。
「それでとりあえず、テルたちと相談をと思って戻ってきたんだ。そうしたらテルと小山内さんがお隣の家の前で深刻な顔をして何か話してたんで、きっと同じ話を聞いたんだなと思ってさ。」
伊賀は冷静に説明してくれた。伊賀はあんまり普段と変わらないな。井戸を直接見たのにこの落ち着きようとは、なかなか肝が据わっている。
「そうだ。俺たちも聞いた。」
横で小山内も頷いている。
「この話を少なくとも慎一さんは知ってそうだね。」
伊賀のその言葉に、誰もが沈黙せざるを得なかった。
永井さん夫婦が今までそういう噂を耳にしていても、平気で過ごせていたのは、あの家の庭にある井戸が、そうした陰惨な謂れのあるものとは見えなかったし、底から何も出てこなかったからなんだろう。
ある意味当然といえば当然と言える。
もし言い伝えの通り、あの家で持ち物を奪った犠牲者の遺体を井戸に投げ込んでいたとしたら、いずれは村人の噂になるだろうし、犯人たちはそのカモフラージュのために底をさらっても何も出てこない別のダミーの井戸をもう一つ掘って捜査の手が入ったときに備えておいただろう。
その偽装工作に、年月を経て永井さん達も引っかかった。
昨日までは。
「昨日床下に潜った時に、落ちていた井戸の蓋を戻したけど、良かったんだろうか?」
俺は自分に問いかける。
しかも俺は蓋を戻しただけじゃなくて、「幽霊の声」や影の復活までやってしまっていたが。
俺は昨日の段階で、古い家ならあっても仕方がないと思えるような不思議な音が聞こえたりしただけで、幽霊が出ると言って住人が逃げ出すということに違和感を覚えていた。
だから、そうした不思議な現象と幽霊を結びつけるようなエピソードがあるんじゃないかと考えてきちんとした聞き取り調査をしようと思っていたんだ。
今思えば、超能力を使うのは、その結果が出てくるまで待つべきだった。
俺は、感じていたはずの違和感を軽く考えて、井戸の発見で事態が変わってしまっていることに気付かず安易に超能力を使ってしまった。
これは間違いなく俺のミスだ。
俺はどうしたらいい?
どうすれば俺はミスを取り返せる?
一体どうすれば?