第197話 床下へ (2)
床下は、案の定狭くて暗かった。
俺は降りた場所で身を屈めると、持ってきたマグライトをつけて、四方に光を走らせる。
収束された光線が、闇に隠れていたさまざまなものを暴き出す。
ライトの光を半周くらい回したとき、すぐ近くに異様なものの影が浮かび上がった。
石を積み上げて造られた低い壁。
床までの高さの半分ほどまで積み上げられていて向こう側がよく見えない。
いや。
光を左右に動かしたことで、その石積みの幅が、壁というにはあまりにも狭い幅しかないと気付いた。
「テル、どうだい?僕も降りたいからちょっと場所を開けてくれるかい?」
異界のような床下の有様に気を取られていたが、俺はまだ床板を外して床下に一歩を記したその場所にいる。その頭上から伊賀の声が降ってきた。
「ああ。」
俺は短くそう答えて、身を屈めたまま見つけた石壁の方に2歩分ほど近寄った。
「よっと。」
という声を立てながら、伊賀が俺の背後に降りてきた。
「何か見つけた?」
「ああ、あれを見てくれ。」
そう言いながら俺は、マグライトを石壁の方に向けた。
「あれは何なのかな?」
伊賀の声にも僅かに緊張の色が混じる。
「わからない。」
「だね。とりあえず近づいてみよう。そうだ。永井さんたちが何か知ってるかもしれない。ホリー、慎一さんか美司子さんを呼んできて。」
伊賀がホリーに声を掛け、ホリーが「うん。」と言いながら、とたとたと部屋を出ていくのが足音でわかった。
落ち着け俺。
見慣れない光景に幻惑されそうになるが、ここは人が今も住んでいる家の床下にしか過ぎない。
背後には伊賀もいるし、ホリーもじきに慎一さんか美司子さんを連れて戻るだろう。
だから今俺が感じている、ひり付くような嫌な感じは、ネットに転がってる都市伝説の読みすぎが起こしている錯覚だ。
そうに間違いない。
「テル、大丈夫かい?」
「ああ、もちろん。」
「それじゃいい。さっさと見つけたものの確認をしよう。」
伊賀の平静な声に、俺も落ち着きを取り戻した。
そうだ。
こんなところに異界や霊界への入り口があるとか、そんなのあるわけないだろ。
「わかった。伊賀ついてきてくれ。」
といっても、見つけた石壁まで普通に歩けば10歩もないくらいの距離だ。狭い上に床を支える材木が入り組んでいる床下だから、道を歩くように簡単に近づけないものの、すぐ近くと言ってもいいくらいの距離でしかない。
あの上はどこの部屋に当たるところなんだろう。
もともとの床下探索計画だと床下に入り込んだ位置から見た方向と距離をさっきの平面図にマッピングしていって、何かを見つけたらその位置を特定していく予定だった。
「しまった、メジャーを忘れた。」
伊賀が不意に声を挙げた。
メジャーと言っても2メートルくらいしか測れないよくある金属製のやつじゃなくて、歴研から借りてきた長い距離でも測れる優れものだ。
さっき言った平面図用に用意周到に用意してきたものだが、肝心な時に持ち込むのを忘れてしまったらしい。
だが、日頃は冷静そうな伊賀が、メジャーを忘れるとは、これでも伊賀は伊賀で緊張しているのかもしれない。
「取りに戻るよ。」
「いや、すぐにホリーが戻ってくるだろうからその時に持ってきてもらおう。」
「わかった。」
もちろん、この何やら曰くありげな石積みのすぐそばの暗闇に一人で残されるのが嫌だったからだ。
俺はヘタレだからな。
俺も伊賀も口を開かない。
何か雑談をとも思ったが、この「幽霊部屋の下に正体不明の石積み発見!」というある意味究極の状況で、いつもみたいな軽口を叩くことの踏ん切りがつかなかった。
すぐ頭の上にある部屋で、さっきまで小山内や薮内さん相手にいたずらを仕掛けていたってのに、だ。
伊賀も伊賀で口を開かないもんだから、暗闇をさらに重くする沈黙が広がってしまった。
「なあ、伊賀。」
耐えられなくなった俺は、何も話すことを思いついていないのについ呼びかけてしまった。
「何だい?」
いつも通りの伊賀の反応だが、一拍の反応の遅れとややかすれたような声が伊賀の緊張を物語っている。
「ああ、その、あれなんだと思う?」
「なんだろうね。でも古そうに見える。昔作られたもののようだね。」
たしかに、ここからでも、石だけで作られた、つまりコンクリートなんかで隙間を固めていない石積みは古い時代に造られたことが見てとれる。
「あと」
「お待たせー!」
いきなり場違いともいうべき明るい声でホリーが戻ってきた。
「おじさんを連れてきたよ。」
「ホリー、メジャーを鞄から持ってきてくれるかい?」
伊賀は、口にしかけた何かを続けることなく、ホリーにいまだ緊張の色が残る声を掛けた。
まあ、続けて何も言わないなら、伊賀が言いかけたことはおそらく大したことじゃなかったんだろう。
「慎一さん、ちょっと確認していただきたいものがあるので、降りてきて頂けますか?」
俺からも声をかける。
勿論俺の声も普段通りというわけにはいかない。
「はいはい。」
「あ、おじさん、このメジャーを伊賀くんに渡してもらえますか?テルくんでもいいです。」
あくまで明るいホリー。
床を隔ててこれ程の明暗の対称があるのは、第三者なら何かのコメディーみたいで面白いかもしれないが、暗側の当事者の俺にとっては多少イラっとくるだけだ。
「どうしました?」
「よっこいしょ。」という掛け声と共に降りてきた慎一さんは不思議そうな声で問いかけてきた。
幽霊の震源地と言ってもいいここに、こういう緊張感の感じられない様子で降りて来られるということは、やはり慎一さんは幽霊の存在を信じてないんだろう。
まあ、今はそんなことはどいでもいい。
「あんなのがあったんですが、ご存じでしたか?」
伊賀は自分のマグライトで石積みを照らしながら慎一さんに問いかける。
その間、俺は、ホリーからメジャーを受け取って巻尺部分を引き出しながら、元の位置に戻ろうとしていた。
伊賀が問いを発したのは丁度俺が慎一さんの真横に並んだときだった。
だから、俺には慎一さんの呟きが聞こえてしまった。
「そんな、まさか。」
その声は驚愕に染まっていた。