第196話 床下へ (1)
「どなたが何を守られるのですの?」
軽くて冷たい声で、答えを知っている問いを発しながら、タイミングよく薮内さんとホリーが連れだって戻ってきた。
普段はこんな不気味なことを言いながら戻ってきた薮内さんを、「タイミングよく」なんて表現するわけはない。
だが、今の微妙な空気を一瞬で打ち破ることのできる強力な一撃を放てるのは、薮内さんのこういう介入をおいて他にない。
ところが。
「ああ、お疲れ様。台所はどうだった?」
伊賀はしれっと薮内さんのデンジャーゾーンを飛び越えてしまった。
前言撤回。
伊賀の回避力も大したものだ。
「うん。残念だけど、特に気になるようなのはなかったよ。ね、藪内さん。」
「ええ。」
ホリーの確認に、藪内さんも簡単に応じる。
藪内さんは、伊賀のスルースキルに不満を持ってるのがわかってしまう表情を一瞬浮かべたものの、おそらく俺と小山内と藪内さんの関係に何も気付いていないホリーは、臆することなく台所班の結果報告を続けた。
「冷蔵庫の音とか、何かよくわからないモーター?みたいな音とか、水が垂れているような音は聞こえたんだけど。幽霊の音みたいなのはなかったよ。」
ホリーのいうよくわからない音ってのが実は、という可能性がないこともないが、俺たちがこの部屋で聞いたときにはそんな音は聞こえてなかった。
ということは、仮に、今、台所で鳴っている音が何かの理由で、夜に音が大きくなったり、よく聞こえるようになったんだったとしても、その音はこの部屋よりも台所のほうがよく聞こえるはずだから、俺たちが求めている答えじゃなさそうだ。
俺の推理をどう思うかみんなの考えを聞いてみる。
「そうだね。僕もそう思う。」
俺の意見にホリーも賛成した。
口には出さないが小山内も納得したみたいで、小山内は慎一さんに尋ねた。
「他にこの家の中で、普段から音が鳴っているような場所に心当たりはありますか?」
小山内の顔つきからは、小山内が念の為に尋ねているのか、それとも床板を外したくないから尋ねているのかはよくわからなかった。
まあそういうことにしておく。
慎一さんはちょっと考えたが、何も思いつかなかったらしい。
「ちょっと思いつきませんね。もう一度家の中を見てまわって考えてみます。」
まあ、そうだろうな。ここで簡単に思いつけるようなら、俺たちに頼る前に自分で確かめてるだろう。
慎一さんが考え込みながら部屋を出ていく様子を見送ったホリーは、俺たちに向き直って、元気いっぱいに提案した。
「だったら次の説に移ろうよ。」
ホリーは薮内さんと台所班をやってくれたから、部屋班が床下チャレンジ始めようとしていたことを知らない。
でも夕方になる前に畳を戻さなくちゃならないから、床板を外して直接床下の状況を確認する方を先に片付けなくては。
「いや、さっき畳を上げた時に、床板がはずれることがわかったんだ。だから、先に床下に潜り込もうと思う。」
横目で小山内の表情チェックをすることも忘れてないぞ。
…睨まれた。
何も気付かないふりをして視線をそらす。
「というわけで、この部屋担当の俺と、それから、伊賀、悪いけど頼めるかな?」
「いいよ。ただ、記録係はホリーに交代してもらったほうがいいと思う。記録の時に床下を覗き込んだり、場合によっては応援に来てもらったりしなきゃならないかも知れないからね。」
こりゃ伊賀にも気付かれてるな。
「大丈夫、私でもそれくらいは出来るわ。」
小山内が強がりを言う。そう言いながらも眼が泳いでるのを俺が気付かないとでも思ってるんだろうか?
恐がってるんだから、そこは、好意に甘えろよ。
だから、俺も一言付け足す。
「いや、小山内。慎一さんが家の中を見て回ってくれるそうだから、藪内さんと一緒にそっちに回ってくれ。床下の狭いところで、ごそごそやってるときに当たったとか覗いたとか言い出しそうだからな。」
「なっ!?」
「いいから。」
最後は強く押す。
小山内はもともと大きな目をさらに見開いて、何か言いたそうな表情を浮かべたが、不意に視線から険しさがなくなった。
「わかったわ。それじゃ今回はそうさせてもらうわ。」
「ほら。早く行かないと、慎一さんを見失うぞ。広いお家なんだから。」
「わかったわよ。」
「藪内さんも頼んだ。」
「俺くんのお願いでしたら喜んで。」
またそういうことを言う。
なんか小山内と藪内さんを組ませるのは失敗だった、かも知れない。
一悶着が起こりそうな予感を部屋班に抱かせつつ小山内たちが去り、俺たちは早速床板を外すことにした。
美司子さんにお願いして、箒とちりとりを借りて、結構埃とかが溜まってる床の上を掃除する。
「お客様に掃除なんて。」と美司子さんは言っていたが、俺たちは宿の客じゃないし。その時の雑談でわかったことだが、美司子さんもここの床板がはずれることには気がついていなかったらしい。
「じゃ、床板を外すからな。」
俺だって緊張する。だが、声は震えてなかったぞ。これだけは断言できる。
かこん、というような軽い音がして、床板がはずれた。途端に微かな今まで嗅いだことのない臭いが漂ってくる。
床下の通気は良さそうなのに何故だろう。日が差さないからか?
疑問はとりあえず置いて、はずれるようになっている床板は3枚あったから、全部外してしまう。
3枚ともはずしたら、十分に床下に潜れるだけの穴がぽっかりと床に出現した。
誰ともなく、ごくりとつばを飲む音がする。
さすがに幽霊が出るという部屋の床下に潜り込むということの威圧感と恐怖感が入り混じったものをひしひしと感じて、幽霊なんていないだろ、と思っている俺ですら、ひどく緊張した。
「じゃあ、潜るからな。」
幽霊なんて平気だぞ、と聞こえるように言ってみたんだが、伊賀やホリーにはそう聞こえてくれただろうか。
「テルくん、頑張って。」
「テル、何だったら僕が先に行こうか?」
その声を背に俺は、仄暗い穴の中に足を下ろしたのだった。