第195話 古い家 (7)
俺たちが上げようとしている畳は、永井さん夫婦がこの家を買ったときからあったものだそうだ。
「畳を変えて、この部屋の幽霊が居心地が悪くなっていなくなったりでもしたら困りますので。」と、慎一さんは説明した。
だが、俺は、慎一さんがこの部屋で聞こえる音が幽霊のものではなくて、家自体や建具が立てる音だと思ってるんじゃないかという気がした。
というか、そう思ってなければ、幽霊の出る家になんて住めないだろう。
「それでしたら、畳を上げるのは止めたほうがいいでしょうか。」
「いえ、畳は干したりするためにあげたこともありますので大丈夫です。そのあとも幽霊が出てましたから。」
あくまで幽霊だと言い張ってるな。
まあ、それは今はどうでもいい。
「じゃあ、俺くん。畳を上げて。」
「俺だけ?」
「1人で出来ないの?」
「いややったことないから。」
というか、俺たちの歳で、畳上げの経験がある奴って少ないんじゃないのか?
「仕方ないわね。伊賀くんもお願いできるかしら?」
小山内は、いかにも俺が頼りにならないので仕方がない、という感じで頸を軽く左右に振りながら手伝いを伊賀に頼んだ。
おいおい。
俺に何を期待してるんだよ。
というか、なんで俺には命令で、伊賀にはお願いなんだ?
「あの、私がやりますので。」
その様子を見ていた慎一さんが申し訳なさそうに申し出た。
「そうですか。ありがとうございます。では力仕事の部分は俺くんをこき使ってやってください。」
小山内はにこやかな表情でそう言ってのけた。
だから、何故俺だけ?
慎一さんは、笑いながら、「ではよろしくお願いします。」と受けた。
小山内の中の俺のポジションてのは、一体どういうものなんだろう?
伊賀、せっかくのお節介なんだが、これだから、怖くて踏み出せないってのもあるんだよ。
小山内にとって、俺が部下とか、出来の悪い弟とか、お手伝いしてくれる便利な人ポジションじゃないかと思ったりしてな。
まあ、もうちょっとましなふうに、例えば心を許してくれてるのじゃないかと思う時が良くあるっちゃあよくある。
「手が止まってるわよ。無駄にしていい時間はないわ。」
だが、そう言うことを考えたとたん、こういう言葉が飛んでくることが多くてだな。
…作業に集中しよう。
睨まれたし。
「じゃあ持ち上げるよ。」
伊賀が声をかけて本格的に作業が始まった。
もう少し早く声をかけてくれていたら小山内に睨まれることも無かったのに、という八つ当たり丸出しの感情に任せて力任せに次々に畳をあげてゆく。
そうやってあげた畳は慎一さんの指示で、どんどん庭に下ろして、ついでに干しておこうということになった。
かなりの汗を流して作業を終えた後、俺ははたと気づいた。
これは、小山内の宣言通り、俺がこき使われてるってことなんじゃないか?
「何か言いたいことでもあるの?」
「いいや、別に?」
「とりあえずお疲れ様。少し休んでいて。」
今度も俺が小山内に視線を送ると、何故かすぐに反応が帰ってくる。
いや、こういう反応じゃなくて、顔を赤らめるとかいう反応だったらもう、すぐにでも、あれだその、あれをやろうと言う気にもなろうというものなんだがな。
な、伊賀。
そうだ。
きっと俺がヘタレなんじゃなくて、小山内のこの反応が問題なんだな。
また小山内睨まれたからもうやめとこう、と思う前に小山内は俺から視線を逸らした。
うん。まじでやめとこう。
「あの、この新聞は?」
「ああそれは、湿気を吸い取らせるためにひいてるのです。」
小山内の、俺から逸らされた視線は、部屋の畳が全て取り去られた下から出てきた新聞紙に注がれている。
小山内が視線を逸らしたのはそっちに注意がいったからか?
今度の俺の疑問込めた視線に小山内は全く反応せず、慎一さんとの話を続けた。
「この新聞紙ははがしてもいいのですか?」
「ええどうぞ。ついでに交換してしまいますので。」
「では、はがしますね。俺君、やって。」
「ああわかった。」
まあ、これくらいなら一人でも一瞬だしな。俺だけに指令が出たのに深い意味はないだろ。
俺が手早く敷かれていた新聞紙を回収すると、その下から灰色に色の変わった、古そうな床板が現れた。
とはいえ、さっきの囲炉裏の部屋の床や、廊下の古さとはだいぶ感じが違う。
俺はちょっとした違和感を感じた。
その違和感の正体を確かめようと床板を眺めていた俺はあることに気がついた。
俺は部屋の中央まで行き、屈んでよく見てみる。
「なあ小山内。」
俺は廊下に仮置きした机に見取り図を広げて調査再開の準備を始めていた小山内に声をかけた。
「ここの床板なんだけど、釘で固定されてないみたいだ。」
「えっ?どういうこと?」
「床板を剥がせそうだ。」
「剥がせそうって、あんたそんなことしたら。」
「言い方悪かった。無理やり剥がすってわけじゃなくて、ここの床板は外せるようになってるんじゃないかと思う。」
俺たちのやりとりを聞いて、慎一さんが寄ってきて、「本当だ。今まで気づかなかった。」とか言ってる。
その慎一さんの言葉に、小山内は少し頬のあたりを引き攣らせ気味になった。
「で、でもそんなことしたら幽霊が怒るんじゃないかしら?」
小山内の声はさっきよりも幾分小声になっていた。
まるで幽霊に聞こえてしまいやしないかと恐るかのように。
「いや、幽霊なんて…」
俺はそこではっと気づいて、一旦慎一さんに視線を送り「いないから。」と続けようとした言葉を変えた。
「幽霊なんて昼間は出ないだろ。それに幽霊が怒って出てくれたらそれで俺たちの任務は完了だろ?」
「えっ?!…そ、そ、それもそうね。」
小山内の言葉の「…」のあたりで小山内の表情に現れた気持ちの変化が、大そう面白かった。
やっぱり怖いんだな。
幽霊が。
という俺の視線に込められた問いかけを、もちろん小山内は理解した。
わざとらしく咳払いし、微妙に俺から目を逸らして、伊賀に問いかける。
「伊賀くん。俺くんはああ言ってるけど、どう?」
これは、伊賀に反対してもらおうって感じか?
何故か俺をちらっと見た伊賀は、小山内の儚い望みを断ち切った。
「コップを当てて聞くより、直接床板を上げてみる方がいいと思う。こういう古い家は、おそらく床板の下は直接地面になってるだろうから、ここから床下に入れるのならそれはそれで計画通りかな。」
そう。
俺たちの計画には、最悪床下に潜り込んでみよう、ってのもあったから、ここから潜り込めるのなら、むしろ好都合とも言える。
「小山内さんはテルが守ってくれるよ。だから怖がらなくていいから。」
しれっと最後にとんでもなく余計なことを付け足しやがった!
途端に真っ赤になる小山内。
さっきの視線はこれだったのか⁈
「ば、馬鹿なこと言わないで。」
「でもきっとテルは小山内を守ってくれるよ。小山内さんもそう思うだろ?」
「それは、そう、だけど…」
ますます真っ赤になって最後は聞き取れなくなるくらい小声で何かごにょごにょと取り繕うのが精一杯になる小山内。
「テルも小山内さんを守るだろ?」
こっちに矛先が向いた。今の流れから予想すべきだったんだろうが、小山内の様子に気を取られて完全に不意をうたれた。
「も、もちろん、守る。」
そこで、俺ははっと気がつき、慌てて付け足す。
「たぶん。」
「もちろん」なんて俺の超能力的に危ない言葉を使ったことに気がついたからだが、その言葉に返ってきたのは、小山内の「わかってるけど」という含みをもった少し恨めしそうな視線だった。