第193話 古い家 (5)
「うぎゃ!」
そんな余計なことを考えながら歩いていたせいで、柱に足の小指をぶつけてしまった。
涙目になった俺が、危うくお盆ごとコップを落としそうになったところを助けてくれたのは、藪内さん。
コップが安定したところで、咎めるような視線とともに注意が来た。
「何をしてらっしゃるのかしら。」
「バカなことよ。」
間髪を入れずに小山内が答える。
いや、慣れない家で考え事をしながら歩いてた俺が悪いし、「バカ」と言われりゃその通りなんだがな、もうちょっとこう涙目の俺に優しくしてくれてもいいんじゃないか?
半分は小山内のよくわからない態度にも原因があるんだし。
「もう、しっかりしなきゃだめでしょ。」
俺に向き直り小山内が言ったこのセリフ、バカなことをした弟を叱る姉の言葉に聞こえないか?
もしかして、小山内から見た俺は、友だち兼出来の悪い弟ポジションだったりするのか?
…と。
小山内の顔を見ながらそんな余計なことを考えてたら、もう片方の小指もぶつけるかも知れないから、この件はしばらく考えずにそっとしておこう。
何かを察したらしい小山内が睨んでるしな。
「ちょっと考え事をしてたんだ。悪かった。」
「もしかすると、私のことを考えてらっしゃったのではないかしら。」
だから、余計なことを考えさせるなよ。
でも、はぐらかさせないぞ、ともとれる表情を浮かべている藪内さんには俺の決意なんて通じるわけがないんだろう。
だから、誤魔化すことにした。
「そうだよ。やっぱり3人もいらなかった、って考えてたんだ。」
これには、藪内さんも追及の手を緩めざるを得なかった。
とっさに閃いてくれた俺の脳に感謝だ。
ふう。
とにかく、しばらくは小山内との関係とか、藪内さんとの距離とか、そういうのを考えずにおこう。苦しい中で旅費を出してくれた永井さんたちにも悪いしな。
いまは、謎の解明と、幽霊の復活に集中だ。
なんてことを考えてるうちに、俺たちは小山内を先頭にぞろぞろと部屋に戻った。
俺たちがコップを受け取りに行っている間に伊賀が荷物から取り出しておいてくれていた家の平面図を前に、さっき永井さんに案内されて巡った家の中でどこか気になる場所があったかそれぞれの意見を出し合った。
「まずは、出るっていう部屋を念入りにだよな。」
「そうだね。それとガイくんが言ってた通り、キッチンだよね。」
「夜だから冷蔵庫のモーターの音とか水道の流れる音とかが響いて良く聞こえるだけかもという仮説ね。」
「こういう古い建物は防音とか考えずに建ててるはずだからね。」
「異議ありませんわ。では私と俺くんはキッチン組で、他の方は出る部屋組に分かれましょう。」
そのセリフが薮内さんから放たれた瞬間、ピキッ、っという音が確かに俺には聞こえた。
まさかこれが正体か?
んなわけないよな。
わかってるって。
「待ちなさいよ。なぜそんな分け方になるのよ。」
ああそうだ。これが始まる音だ。
「当然だと思いますわ。小山内部長はやはり責任者ですから、問題の部屋を調査すべきですわ。」
「でもそれは、俺く…いえあなたが俺くんと組む理由にはなっていませんわ。」
「あら、小山内部長は私に親しくもない男の方と一緒に組めとおっしゃるのかしら?」
「クラスメートだからいいじゃない。」
「では小山内さんは、クラスメートの親しくない男の子と平気で一緒に共同作業できると仰るのかしら。」
なんかさっきからちらちらと、不穏な言葉が混じっている気がする。
何故か俺が薮内さんとクラスメートの関係を超えた親しい関係だと決められてしまった気がするし、共同作業ってなんだよ。
あ、小山内も同じところに引っかかってやがる。薮内さんの言葉を受けて、俺に送ってよこした、「ううーっ」といううなり声が聞こえてきそうな視線が間違いなくそう語っている。
「なに黙ってるのよ早いとこ何とかしなさい、ばか。」だよなこれ。間違いなく「ばか」まで入ってるぞ。
だが俺は、冷静に視線で問い返す。
「どうやって?」
たしかに、藪内さんは、俺や小山内とは色々あって、親しく(?)なった。
だが、藪内さんの言うとおり、藪内さんは転校してきてから女子にガードされていて、あまり男子とは親しくなっていない。
・・・そうか!
「いい機会じゃないか藪内さん。ホリーや伊賀がいい奴なのは俺が保証する。今がクラスの男子とも打ち解けるチャンスだぞ。・・・俺の言葉が信じられないか?」
藪内さんは、小山内にばかり行きが向いていて、俺からのこういう側面攻撃を予期していなかったのか、目を白黒させた。
あ、なんだかこういう藪内さんは可愛い。
「それに、ここに来たってことは、ホリーや伊賀とも一緒に調査するってわかってただろ?」
「それはそうですが。」
藪内さんが何かを考えつく前に、ホリーか伊賀に振ろう。
そこで、面白そうに俺たちの話を聞いてる伊賀、お前だ!
「というわけで、伊賀、頼むな。」
「僕はいいけど、藪内さんが納得してくれるかな。藪内さんは僕より君の方をご希望だと見えるんだけどな。」
おい伊賀。何か怨みでもあるのか?
「伊賀くん、私からもお願いするわ。早く藪内さんをクラスになじめるようにして文化祭を盛り上げないと。」
小山内が、有無を言わせない視線で、伊賀を刺す。
そう、刺したんだ。
だが、伊賀は、笑顔でいなす。
「それは藪内さんが決めるべきことのような気がするよ?」
「ガイくんが苦手なら、僕でもいいかな?」
おっと、伏兵あらわる!
「テルくんや、小山内さんが言うように、クラスに早く馴染んでほしいし、僕たちとも仲良くなってほしいんだ。ね。」
輝くような無垢の笑顔でホリーが誘った。
ホリー、お前ほんといい奴だな。
「え、あの…わかりましたわよっ。もう。」
たじたじとなった藪内さんはついに陥落。
なんとなくだけど、頬に赤みが差しているような?
「ありがとう!じゃ、僕たちでキッチンを担当するね!」
ホリーは純粋に喜んでいる。
そのホリーの様子を見ている藪内さんの目には、意外にも棘がない。
というか、純粋な善意の申し出に棘のある眼差しで応えるかも、と疑うのもどうかなんだが、策を練っていたような形跡のある藪内さんの計画を邪魔した形になったのは事実だから、もっと、冷たい扱いをするかと思ったんだが。
藪内さんはもともと悪い奴じゃないから、こういうふんわりアプローチには弱いのかも知れない。
「では、私と俺くんと伊賀くんで、この部屋を確認するわ。」
そう言って、小山内は、用意していたもう一枚の見取り図をとりだした。
さっきも使ったものだが、これは何かというと、あらかじめ永井さんに頼んで、方眼紙にこの家の上から見た見取り図を描いてもらって送っておいてもらったものを、何枚かコピーしてきたものだ。
これから、ここにコップを宛てた位置と方向を書き入れていく。
同じことを何かのアプリでやれないか、と相談したんだが、俺たちの手におえて、永井さんに作図をお願いできる簡単操作のアプリでいいのが思いつかなかったので、こんな歴研伝統のアナログに頼ることになった。
でもどうやら、十分役に立ちそうだ。
「じゃ、調査開始。」
小山内の宣言に、みんなで「おーっ」とか応えて、俺たちは調査を始めた。