第191話 古い家 (3)
「遠いところをよくいらっしゃいました。さあどうぞ中へ。」
永井さんの「お着きだぞ!」の声に応えて姿を表したのは、小柄で笑顔の印象的な女性だった。永井さんの奥さんだろう。こちらも永井さんとお揃いの血の色の法被をきている。
奥さんが手で指し示したのは、いかにも元は古い民家でした、と言わんばかりの中央に囲炉裏の切られた広い板の間だった。
その囲炉裏を囲むように、い草で織られた丸い敷物が幾つか並べられている。
部屋全体が囲炉裏の煙で燻されたかのように黒ずんでいるものの、よく手入れされた感じの涼しげで清潔な感じを受ける、居心地の良さそうな部屋だ。
どうやらその囲炉裏の周囲が食事の場で、語らいの場でもあったようだ。
俺たちは素直に指示に従って、一段低くなっているところから部屋に上がり込む。
俺たちが全員囲炉裏の部屋に入ったのを見計らって、奥さんが姿勢良く正座して丁寧に頭を下げた。
「申し遅れました。永井美司子と申します。夫ともども精一杯おもてなしさせていただきます。」
「改めまして、永井慎一です。このたびは無理なお願いを聞いていただきわざわざお運びくださいましてありがとうございます。」
永井さん、いや慎一さんも正座して頭を下げた。
その声に部屋の方々に視線を走らせていた小山内は慌てて正座する。俺たちもすぐに小山内の後ろに並んで正座だ。
「ご丁寧にありがとうございます。でも私たちは永井さんのお宿のお客として来たのではありませんので、どうかお気遣いなく。」
小山内も丁寧に返した。
小山内はこういうときにも堂々とした受け答えができて、やっぱり立派だよな。
俺ならしどろもどろになってしまうこと間違いない。一緒に来てもらって良かった。
「いえいえ、わざわざお越しいただいたのですから。まずはお部屋にご案内いたしますね。」
笑顔でそう言いながら美司子さんは囲炉裏の部屋から奥に通じているらしい、奥の板張りの引き戸を開けた。
そこから先に黒光りするほどに年を経た縁側が伸びているのが見えた。
美司子さんの声を受けて立ち上がった小山内が、その縁側を見て、んく、と唾を飲んだ。
さっきの慎一さんからの聞き取りでは、縁側に沿って客さんを泊める部屋が並んでいて、その部屋こそが、まさに咽び泣くような声が聞こえたり物が動いたりする部屋だということだった。
そうか。
いよいよ幽霊の出るところに…出たところに行くのか。
「こういうお家も雰囲気があってなかなか良いものですわね。」
うきうきと弾むような声の薮内さんは、そのことに気付いていないんだろうか?
それとも幽霊なんて最初から信じていないんだろうか?
伊賀とホリーの表情はと見ると、2人はどうやら薮内さんタイプらしい。
まあこの3人は、慎一さんの車の中でも俺たちとは別に賑やかに喋っていたから、聞き逃していただけかもしれないな。
小山内に視線を戻すと、小山内はまだ動いていない。
唇を噛んで、縁側をじっと見つめるばかりだ。
そこまで苦手だったのか。
なので俺は、薮内さんから見えないように体で隠しながら小山内の指先に軽く触れ、「大丈夫、俺がついてる、行こう。」と小声で声を掛けた。
なんとなく気恥ずかしくなって、後を振り返ると、伊賀には気付かれたみたいで俺を面白そうにじっと見てやがる。
いや、その視線、藪内さんに気付かれるからやめろ。
「行きましょう」
俺が伊賀に抗議の視線を送っている間に、小山内は立ち直ったらしい。
ぴくんと一瞬俺の手に触れ返してからすっと手を離し、歩き始めた。
「行くぞ。」
俺は、僅かな残念感を強めの言葉で誤魔化して、美司子さんに続いた小山内を追いかけた。
縁側は、もともとこの家が建ったときのままのようで、艶が出るほど使い込まれている。
だが、ぎしぎし鳴るわけでもないので、匠の技で丁寧に造られたものをきちんと補修しながら受け継いできたようだ。
「ここから見えるあの山の姿もご好評をいただいています。ぜひ夕暮れ時にここからご覧になってください。」
俺たち全員が縁側に出たのを見た美司子さんは、そう言いながら、縁側の先にある里山という風情の山に手を差しのべた。縁側は風を通すためか、全開にされ、風景がよく見える。
美司子さんが指した山の裾野まで水田があり、稲が青々とよく育っていた。
たしかに、夕焼けの時とか、ロマンチックな光景になるんだろう。
小山内とこの縁側に並んで一緒に眺めてみたい。
「はい。ありがとうございます。ぜひ。」
「俺くん、こちらの縁側で待ち合わせしましょう。」
小山内と藪内さんが頭の中で思い描いている景色は同じなのかも知れないが、そういう言い方をされると、どうしても藪内さんへの警戒感が先に立ってしまう。
というか、なんで、藪内さんは俺にこだわるんだ?
なんだか浮かれているようにも聞こえるし。
「ではあとでみんなで見ようか。」
伊賀がナイスなフォローを入れてくれる。
「そうだね、僕も見たい。このまま晴れてるといいね。」
ホリーはいつも通りピュアなままだ。
いつまでもそのままでいてくれよ。
「では各自荷物を置いてここに集合。早速調査を始めましょう。」
小山内の声にみんなが反応して、どちらも10畳くらいはありそうな2つの部屋に別れて入った。
美司子さんによると、ここはどうやら昔から座敷や客を泊める部屋として使われていたらしいとうことだ。
たしかに、床の間があったり、欄間があったりして立派な造りになっている。
部屋割りは、ここに来る前から男子部屋と女子部屋に別れることに決めていた。
当たり前だな。
なのに、
「俺くん、私たちは着替えるから覗かないようにね。」
当たり前のことを何故か俺にだけ注意する小山内はいったい何を考えてるんだろうか?
「あんたは、特に要注意なの。自分でも解ってるでしょ?」
俺の抗議のこもった視線をきちんと理解したらしい小山内が、解説してくれた。
…いや、ちょっと待て。解説してくれたはないだろ。
「何よ。」
「その言い方じゃまるで」
だが小山内は、俺に最後まで言わせなかった。
「あんたが私にしたことをまさか忘れたとでも?」
「なんだよ、それ。」
「先生の車。」
「うん?」
「プール。」
「ちょっと待て。待ってくれ。もういい。しっかり思い出した。」
ええ、ええ、思い出したとも。というか、ついこの前の夏の出来事を忘れられるわけがないじゃないか。
「ちょっと何の話をしていらっしゃるのか説明していただけますかしら。」
「いいわよ、お望みとあれば、俺くんが私にしてきたことを克明に教えてあげるわ。」
待て待て待てよ、小山内。笑顔でなんてこと言う!?
これ、何の罰ゲームだ?
克明に、って何でわざわざそんなことしなきゃならないんだよ。
小山内の意地悪で楽しそうな目つきからすると、本当に赤裸々にあの恥ずかしい出来事を暴露されかねない。
「やめてくれ、小山内。わかった。俺が悪かった。覗いたりしない。」
焦って言った俺の背中に2人分の視線を感じる。
「何だよ。伊賀、ホリー。」
「テル、プールで覗きをしたん…」
「違う!絶対違うっ!断じて違うっ!!」
俺は最後まで言わせずに断固として否定した。
わかったもういい。高校になってようやくできた友だち2人に誤解されるくらいなら、辱めを受ける方がずっとましだ。
俺は覚悟を固めた。
「わかった。小山内。克明に何があったか、正確に、端折らず説明してくれ。」
端折ったり飛ばしたりすると、そこで俺が覗きをしたように聞こえてしまうからな。
「えっ?!」
なぜか、言い出した小山内が真っ赤になって絶句した。
「まあまあ、仲のおよろしいことで。」
ほのぼのとした美司子さんのその声に、救われたのは、俺だったのかそれとも小山内?
あるいは2人ともだったのか?
その答えは…誰が知ってるんだ?