第174話 未来への戦い (6)
「何かな?」
言葉は柔らかいままだが、俺を見つめる省三さんの目つきが鋭くなる。顔に刻まれた皺も厳しい表情を作り出した。
さすがに人生経験を経てきた人が形作る表情には、迫力というものがある。
気圧されるな。
「実は僕と小山内さんの親しい友人から聞いた話なのですが、羽矢市柿谷という所のお話です。」
選択肢1。省三さんの土地だってことを知らんぷりして、地元の人の意見を聞いてみたいので、的な切り出し方をする。
選択肢2。小細工を考えず、薮内さんからあの土地が省三さんの土地だと聞いたと切り出す。
俺は何日か頭を捻ったんだが、結局この2つの選択肢しか思いつけなかった。
そんで、出した結論は。
「その谷の上流に造られようとしているソーラー発電所のことでお聞きしたいことがあるのです。」
さらに省三さんの目が厳しくなる。
ああ、こりゃ孫の同級生を見る目じゃねえな。
だが、俺の切り出す話を一応聞いてはくれるつもりなのか、口は開かない。
ごくんとつばを飲み込んで話を始める。
「その発電所の予定地の土地の持ち主が省三さんだと偶然薮内さんから聞いて、そのことでお話をさせていただきたいのです。」
「たしかにその通りだ。だが君にはなんの関わりもないことだろう。」
省三さんは至極もっともなことを言う。
その通りなんだが、ここで折れては何にもならないし、このパターンは想定内だ。
想定内とはいっても早くも心臓はばくばく言い出してるが。
「はい。でも僕たち、僕と小山内さんと、友人の榎本さんが少し気になることがあって、現地を見に行ったのです。」
省三さんは無言。しかも腕を組んで睨みつけている。
なんかこういうのデジャブとか言うんだっけ?
「その気になったことというのが、この土地の昔の名前なのです。」
やっぱり無言で睨みつけられているが、やめろとも言われないのでどんどん説明する。
だが、残念ながら横の小山内はもちろん、正面の薮内さんの表情を確かめる余裕はない。とにかく射るような視線を送ってくる省三さんの圧に対抗して目を逸らさないようにするので精一杯だからな。
「その名前が『欠谷』です。」
俺は榎本さんが俺にしてくれたように、その文字を指で座敷机の上に書いてみた。
「それで。」
字を書き終え、手を止めた一瞬、窺うように省三さんの表情を確かめた俺に、省三さんは目の鋭さを一切変えずに続きを促した。
「この字が示しているのは、かつてこの谷に山崩れが起こった可能性があるということです。」
だが、省三さんは全く動じない。
やりにくいが次に行こう。
「そして、今、柿谷の下流にある住宅街のあたりはかつて、『蛇場』と呼ばれていたらしいのです。」
また俺はその地名を指で書いて見せた。
「このような『蛇』が含まれている土地の名前は、水が激しく流れるところや土石流を蛇になぞらえて名づけられたそうです。この2つの地名、欠谷と蛇場の意味するところは、このあたりの山が昔崩れて柿谷川を流れ下り、下流の住宅街のあたりまで土石流が達したということです。」
今度はどうだろう?
省三さんの反応をみるために、一旦そこで言葉を切る。
だが、省三さんは俺をじっと見たまま、反応しない。
なぜだ?
欠き谷とか蛇場の話しはかなりのインパクトがあったと思うんだが。
戸惑いが俺の肚の底からむくむくと湧き上がってくる。
それを感じ取ったのだろうか。省三さんが組んでいた腕をほどき、口を開いた。
「言いたいことはそれだけか?」
「いえ。もう少し聞いてください。」
ここからが重要だ。
藪内さんと俺が、御前プレゼン試合を始められるように慎重に運ばないと。
省三さんは、無言でまた腕を組んだ。続けろってことだろう。
「現地を見に行ったときに、昔は蛇場と呼ばれているところに造られた住宅街に住んでいらっしゃる方と偶然に出会って、その方とお話しさせて頂いたのです。その方もソーラー発電所の計画も、柿谷という名前の由来もご存じで、自分たちの住んでいる所の上流にそういうものが出来ると不安を持っていらっしゃいました。」
ここまで話してもやっぱり殆ど省三さんは反応しない。戸惑いがさらに増すが、戸惑ってばかりいても仕方がない。
いよいよ藪内さんにも話しに加わってもらうタイミングが近づいたので、藪内さんに合図がわりのチラ見をする。
藪内さんがかすかに口元を引き締めたのを視界の端に捉えることが出来た。
「それで、お願いがあります。このソーラー電所の計画は、省三さんの土地を使うことになっていて、武光さんがされている会社がその事業をする事になっていると聞きました。なので、地元の方の不安を取り除いて頂けないでしょうか。」
省三さんはまた腕組みをほどき、またさっきの質問を繰り返した。
「言いたいことはそれだけか?」
省三さんのいかめしい表情に、なにか付け足しを口にして、「その時」を引き延ばしたい気分に駆られたが、そんなことをやっても自分が苦しくなるだけだ。
「はい。」
「まず、欠き谷だの、蛇場だのという話しだが。」
「はい。」
省三さんは、声に力はあるものの、落ち着いて話し始めた。頭ごなしに怒鳴りつけられたりはしないらしい。
「そんなことは昔から知っとる。わしを誰だと思っとるんだ。」
へ?
「わしがあの山一帯を持っておるのは君も知っておるだろう。藪内家がこの土地に根を下ろしてどのくらいになると思っておるのだ。」
へ?
あっ!
ばかだな、俺。
俺は省三さんから藪内家のご先祖様は、遠西氏から、あの城跡あたりの領地を「裏切りの代償」みたいな扱いでもらったという話しを聞いていたじゃないか。
だったら、藪内家はそれこそ中世からこの辺りに根を張って生きてきたことになる。
藪内家があの山を手に入れたのはいつの事かはわからないが、あのあたりの昔の土地の名前を知っていて当然とも言える。
「つまり、省三さんはあのあたりの昔の名前をご存じだったと。」
「だからそう言っておる。」
「でも、だったら。」
「さらに言えば、あの住宅地を開発したのが誰か、君たちは調べたか?」
「えっ?」
意外な質問に戸惑う俺。
咄嗟に、小山内を見るが、首を横に振って何も聞いていないと伝えてくる。
おそらく榎本さんが調べていれば、きっと小山内に説明していたはずだ。
だから小山内が知らないってことは、調べていないってことんなんだろう。
「すみません。調べていません。」
「あそこを開発したのは、武光にわしの会社の宅地開発部門を譲る前のわしだ。市と県に掛け合って、あの柿谷川に砂防ダムを造らせたのもわしだ。」
省三さんの口から想定を遙かに超える話が出てきてしまった。
ええと、ということはどういうことなんだ?