第164話 やるべきこと (2)
俺は、頭のつむじあたりにお嬢様の視線を感じていたが、そこに軽いため息がかかるのを感じた。
「わかりましたわ。と言ってもお話しできることはあまりないのですが。」
俺は頭を上げ「ありがとう。」と言った。
「でもその前に。」
お嬢様は俺を見つめた。
早速交換条件が来るか?
「何故あなたがあのダムに興味があるのか説明していただけるかしら。」
まあ当然と言えば当然の疑問だろう。俺がお嬢様でも同じことを聞く。
ということはこれは交換条件じゃないな。
俺は榎本さんと小山内に視線を走らせた。
2人とも軽く頷く。
「実は、榎本さんの知り合いの方が、大規模なソーラー発電所が作られる計画が持ち上がってる、あの谷の名前が気になったというんだ。藪内さんは谷の名前を知ってるか?」
「存じてますわ。柿谷、でしょう。」
「そうなんだ。」
「それがどうかしたのかしら?」
「柿谷、というのは、漢字で書けば、果物の柿に谷と書く。」
「そうですわよ。」
「だが、こうも書けるんだ。」
俺は、榎本さんが以前書いたとおり、「欠き谷」と指で空中に書いてみせた。
「欠けた谷。つまり、山崩れが起きた谷、ということだ。」
「それはあまりにもこじつけすぎではないのかしら。」
即座にお嬢様が反論した。
「だって、柿を作っていた谷と読むのが普通でしょう。」
「どこで?」
「どこで、とは?」
「画像にもあったけど、俺たちはあの谷に行ってきた。果樹園なんてなかったぞ。」
「それは…そう、あの住宅地になっているところがそうだったのかも知れませんわ。」
「それはない。」
「なぜそんなことがわかるのかしら。」
俺は、榎本さんに目配せした。
榎本さんは、すぐに俺の意図を察して、タブレットを操作して、ある図面を表示して俺に渡してくれた。
「これを見てくれ。」
そこに表示されていたのは、榎本さんのお父さんの所にこの話しを持ち込んできた大学の先生が持っていた地図を、PDFファイルにして取り込んだものだった。あの「地図を見ても柿を作っていた形跡がないようだ」という判断の根拠になった地図、つまり、古い明治時代の地図だ。
そこには今の柿谷の住宅街にあたるところに「○...」や「小」みたいなマークが記されている。
「これは?」
お嬢様は困惑したような表情を浮かべ俺を見た。
そうだろう。こんな地図記号あまり見憶えがないし。
「こっちの『小』みたいな記号は笹地といって、今でもほぼ同じ地図記号が使われている。」
「そういえば、そう・・・かしら?」
こういうの、小学生の時にはならったけど、高校受験じゃ出てこないからな。
「そんで、『○...』こっちの方は、広葉樹林だ。」
「こちらは、なにか見覚えがあるような気がしますわ。」
「こっちの記号は、今は右下の部分が『...』ではなくて、棒線になってるんだ。」
「まあ。そうでしたの。」
恥ずかしかったのかお嬢様が顔をかすかに赤らめた。
俺はそれに気付かないふりをした。
「その上、この付近には家のある形跡がない。つまり、地図によると、このあたりに柿の木を植えていたから柿谷になったというのはなさそうなんだ。」
「そうですの。もっと昔なら作っていたかも知れませんわよ。」
実は、お嬢様が持った疑問は、榎本さんも持っていた。
それで、榎本さんがこの話を聞いて、自分でも調べた結果、榎本さんは自力でほぼ決定的なものを見つけていた。
俺が現地を見に行こうと思ったのも、それを見せられたことが大きかったんだ。
「はい。藪内さんの疑問ももっともです。私も同じように思いましたので。それで、図書館や郷土資料館に通って、こういうものを見つけました。」
榎本さんは、そう言いながらタブレットを操作して、俺たちにも見せてくれたある絵図を表示した。
「これは何かしら?」
「はい、江戸時代にこの辺りの村の大庄屋が作ったといわれている図面だそうです。ここを見てください。」
榎本さんはそう言ってその図のある一点を指した。
そこには山を示すらしいもこもことした線画が描かれた所の中ほどから、川を表していると思われる線が引かれている。その場所には俺たちにも読めるはっきりした字で「欠谷」と書いてあった。
そして、「欠谷」の川下、おそらく、現代は住宅街があるあたりに榎本さんは指をずらした。そこにはこう書いてあった。
「蛇場」
「地名に、『蛇』という文字がある所は、水が激しく流れる様子や土石流を蛇に見立てて名づけられたと言われているそうです。つまり、山が崩れ、ここを土石流が襲った、ということだと思います。」
「そんな。」
お嬢様は激しく動揺している。
なぜ、と聞きたくなるくらいに。
「ここの蛇場という場所に今は住宅街が作られ、その川上にさっきの砂防ダムが造られているんだ。」
俺は榎本さんの古地図に指を当て、柿谷と蛇場の文字の中間あたりの川を遮る線を描くように動かした。
「このダムのおかげなのか、それともそれ以外の要因があるのかわからないが、住宅街が作られてから土石流災害はどうやら起こってない。」
「昨日ダムの上流を見てきたわ。倒木に苔が生えるほどの期間はそういった災害は起きてなかったようなの。でも大規模な開発で盛り土がされたら、その影響がこの先どうなるかわからない。」
小山内もがるがるを引っ込めて目を怖れを含んだ声で訴えた。
「だから、薮内さんが何か知ってるなら教えて欲しいんだ。」
俺は真っ直ぐお嬢様を見つめた。
「…俺くんはまだ私の質問に答えていませんわよ。」
お嬢様は俺を見つめ返す。
「あなたが、そこまでこのダムにこだわる理由。」
お嬢様の口調は、ごまかしを許さない、という強い意志を滲ませるものだ。
だが、俺は超能力のことを話すわけにはいかない。
だが、もし俺に超能力がなかったら、俺はこの話を聞いた時どうしていたんだろうか?
おそらく、この学校に入学して小山内と再会する前だったなら、答えは「何もしない。」だ。
高校入学前に能力を封印した俺が、「嘘つき君」と呼ばれ続けた俺が、小山内と出会うことなく、仮に何かのきっかけでソーラー発電所の計画があの住宅街に住む人たちを危険に晒していると知ったとしたら。
…それが、まるで遠い世界の出来事のように何も心を動かされず、ただ世界にたくさんある悲劇の種がまた1つ増えたんだ、程度にしか思わなかっただろう。
だが、小山内と再会し、人助けをすることになってから俺が出会った助けを求める人たちは、ひとりひとりが恐怖に立ち竦み、痛みを感じ、苦しみ、もがきながら助けを求める生身の人たちだった。
俺がそうだったのと同じように。
その人たちとの出会いは、たしかに俺に超能力があったから起こったことだろう。
だが、俺に超能力があったから、苦しんで助けを求めているいる目の前の人を助けたいと思ったんじゃない。
救われることの、助けられることの意味を俺自身が知ったからだ。
小山内のおかげでな。
だとすると。
お嬢様への答えは。
「俺が自分の苦しみから救われたように、苦しんでいる人を救いたい、苦しんでいる人が救われて欲しいと思うからだ。」
なんだよこの恥ずかしいセリフは。
俺に似合わねえことこの上ないぜ。
だが、俺は、嘘はついてない。
このことは胸を張って言える。