第159話 谷を遡って (3)
道らしきものは、やっぱり道だった。
砂防ダムまでの道よりもかなり狭くなってはいるようだが、人が通った気配が感じられる。
などと偉そうなことを言っているが、要はあれからいくつもピンクのテープを見けたってことだ。
やはりあのピンクのテープは、川に沿って遡っていく道を指し示しているようだ。
かなり新しそうなのものあい変わらず。
やはり、ソーラー発電所の調査をした人たちがつけていったんだろうか。
道のあちこちにも、草の踏み跡や刈ったような所がある。
これらの痕跡は、今年に入ってからのものだろう。なぜかというと、冬の間に草なんかは一旦枯れてしまっただろうからな。刈られた痕跡のある、つまり先っぽが切られたような草がまだ青々として生きてるってことは、刈られたのは今年のはずだ。
こう言うとじっくり抜け目なく観察したように聞こえるかも知れないが、俺も小山内も榎本さんも、揃って運動部に入っていないから、体力には自信がない。榎本さんだけはお姉ちゃんの訓練の賜物だろうかまだマシのようだが。情けないことに、俺は余裕をもって観察してたというより、目に入ったものを見ていただけという方が正しい。
まあ、足元にも注意を払わなきゃいけないし、足元ばっかり見ていたら、頭を木の枝にぶつけたりするしな。なのでひーひー言いながらきょろきょろしてたら気づいたってわけだ。
とは言っても、
「このへんはもう開発会社の私有地かも知れないから、何か見つけても勝手に持って行ってはだめよ。」
「へいへい。」
これくらいの会話は出来るけどな。
それでも何とか暫く歩くと、真新しい木製の杭が打ってある場所に着いた。
険しい谷底というわけではないが、川が流れるくらいのはっきりとした谷だということはわかる。だが、木が生い茂っているせいで、周囲の山肌がどうなっているのかは見渡せない。
「状況からすると、この杭は、やっぱりソーラー発電所と関係ありそうね。」
「そうだな。」
俺は、そう答えながらも、周囲を動画も含めて撮影していった。
「この谷はやっぱり崩れたことがあるんだろうか?」
「わからないわね。でも、今まで登ってきたところも含めて、崩れたような所はなかったし。」
もし崩れたのなら谷に土砂が流れ込んでたり、何かの痕跡が残ってたりするんじゃなかろうか?
俺がここに来た目的を果たすためには、やはり谷底に降りないと。
「俺は川の方に降りてみる。」
「私も一緒に行くわ。」
小山内が「反対なんて言わせない。」という強い視線を俺にぶつけてくる。
「俺くん、りんちゃん気をつけでくださいね。」
「足元注意で。」
大木さんの口数が少ないのは、やはりお年のせいだろう。
今日はこれ以上、進むのは無理かもしれないな。
木々の間から見える川は、ごろごろ転がる岩の間をぬけていっている。幅ももうかなり細くなっていて、一またぎで越せるくらいの小川とすら言えない流れになっているようだった。そこまでは、斜面になっているものの、木を伝いながら降りていけば安全に降りられるように見える。
なので、川に降りるといってもそれほど危険があるとは思えない。だから小山内が一緒に来ることに反対しなかった。
だが、転がっている石やコケやなんかで滑るかも知れない。
「小山内、手を出して。」
「え?なに?」
「手を出して。滑ると危ないから、手をつないでいこう。」
「はうっ。」
いや、これ、安全のためだから。恥ずかしがらないでくれ。
こっちまで照れるだろ。
「ほ、ほら。」
「わ、わかったわ。」
小山内がおずおずと差し出してきた手を、俺はしっかり握りしめる。
ちょっと汗ばんでるが、それはまあ、ここまで登ってきて汗かいてるせいだろう。
「しっかり握ってるのよ。」
「わかってるって。」
「離しちゃだめよ。」
「だからわかってるって。それより足元しっかり見てろ。」
「わかってるわよ。」
「じゃ行くからな。」
俺と小山内は手をつないだまま、並んで歩き出す。
「うん。」
なんだか嬉しそうな声で答える小山内。
横顔を盗み見ると、少し赤く染まった笑顔がまぶしい。
あ、やっぱり俺、小山内が好きだ。
いきなり襲ってきた感情に、小山内を意識していまう。小山内の手を握った腕を、どう動かしていいのかすらわからなくなって動きがぎくしゃくしてしまった。
「あなたが緊張したら私まで緊張しちゃうじゃない。」
さらに赤くなった顔で小山内がささやいた。
「はうっ。」
俺は少し困ったような小山内の声のかわいさに、思わず変な声を上げてしまった。
「な、何よ!バカなの!?」
「小山内、危ないって!」
照れた小山内が手を繋いだまま上半身をのけぞるように反らせたことでバランスを崩しかける。
小山内がよろけて足を乗せた石が音もなく動くのが見えた。
「きゃ!」
俺たちは坂を降ってる途中なのに。
小山内がこのまま転落してしまう!
俺は繋いだ手にぐっと力を込めて小山内を引き寄せた。
「え?!」
「あっ!」
思った以上に力が入り、そのまま小山内を抱きしめるような格好になった。
突然の危険に跳ね上がった2人の鼓動が、ピアノの連弾のように速いリズムのハーモニーをお互いに伝え合っている。
「ごめん、小山内。」
「…いい。」
小山内を離さないといけない。でもずっとこのままでいたい。
数舜が過ぎて、小山内はつぶやいた。
「今度は超能力は使わなかったのね。」
「ああ。その前に体が動いてしまった。」
「そう。」
また無言の時間。
小山内を腕の中に抱いたまま、俺たちの時間が過ぎようとしていた。
「手を繋いでくれて、嬉しかったわ。あなたは私の横にいなきゃだめなの。」
小山内がささやく。
このまま時が止まってしまえば。
だが運命の神様はそこまで俺にサービスしてくれる気はなかったらしい。残念ながら。
「川につきました?」
榎本さんの心配そうな声が天の声の如く頭上から響いてきた。
俺が小山内を抱きしめていた腕の力が緩まったのを感じたのか、小山内が惜しむかように体を離す。
小山内は耳まで真っ赤になっていた。
「何かあったんですか?」
小山内は俺から視線を外すと、少し掠れ気味の声で榎本さんに返事をした。
「大丈夫よ。少し足を滑らせかけただけ。」
「えっ?怪我してませんか?大丈夫ですか?」
「本当に大丈夫。俺くんが支えてくれたの。」
小山内はそう答えたあと、少し間をあけ、俺に微笑みかけながら続けた。
「いつもみたいにね。」