第147話 どうすんだよ、これ。 (5)
2学期始まって何度目かの呆然とする俺だが、今日の呆然は文字通り、開いた口がふさがらず口をぱっくりと開けてしまった。
「俺くんとあの発掘現場で会ったときには、まだ私にもお爺さまの計画は知らされていませんでしたわ。ただ、お祖父様は、俺くんのことが気にいったが、俺くんは小山内さんにべったりのようだ、だから私にあなたと小山内さんと同じくらい仲良くなれ、と仰っただけでしたの。」
お嬢様は全部話してくれる気になったようだ。
だから耳から入ってきた話がそのまま出て行ってしまわないよう、俺は宇宙を彷徨っていた意識を努力して地上に呼び戻した。
「なぜそのようなことを、と思ったのも事実ですわ。ですが、あのお祖父様がそんなことを私に命じるなんてどんな人なんだろうと思って興味が湧きましたの。」
なるほど。あの発掘の日のお嬢様の俺への絡みはこういう裏事情があったのか。
なんだ、お嬢様自身が俺に何かを感じたとかそういうのじゃなかったのか。
「それで。」
俺は続きを促す。
「あなたは、人は良さそうだけれど、小山内さんに好意を寄せている普通の頼りなさそうな男の子、それが私の印象でしたの。悪く思わないでくださいましね。」
「いや、俺が言うのもなんだけど、かなり正確な判断だと思うぞ。」
「何度も大事なところでヘタレたし。」とお嬢様に聞きえないように呟く。
「ですから、お祖父様がまさかあんなことをお考えだなんて。」
お嬢様の表情がふっと揺れた。
「その話、本当なのか?」
我ながらバカな質問だとは思ったし、お嬢様の態度からも間違いはないんだろうが、こんな話、真に受けるより、お嬢様の壮大な勘違いだと言われた方がよっぽど信じられる。
だが俺の質問はお嬢様の怒りに油を注いだだけだった。
「当たり前でしょう。でなければ私がこの学校に編入してくるわけがないですわ。」
そうだよな。
「だけどな、薮内さん。」
さすがにこんな話を聞かされて「あんた」呼ばわりは気が引けたので、呼び方を戻した。
「さっきも言ったけどな、俺はお祖父さんに取り入ったり籠絡したりなんてしていない。俺は薮内さんのお屋敷に行った時に感じた違和感をつなぎ合わせて推理して、それをぶつけただけだ。小山内の言葉に助けられながらな。それも今までの歴研の積み重ねがあったからだし。それで偶然当たっただけなんだ。」
俺の言葉にお嬢様の目にまた冷たさが戻ってきた。
「それですわよ。」
「何が。」
「あなたが来るまでにも、お祖父様の元を訪ねていらしたこの学校の生徒はたくさんいたそうですの。でも初めて会ったその日に、冷静に何かを観察して真実を言い当てた生徒なんていなかった、いや生徒に限らず今まで真実に近づけた人もいなかった。仮に真実に近付いた者がいてもそれを口にするだけの肝が据わった者はいなかった。そうお祖父様は仰ってましたわ。」
そりゃまあそうだろう。
あんたの先祖は主君を裏切ったんだろう、なんてことを言える奴がそうそういてたまるか。
だから今まで薮内家先祖代々にわたる秘密は秘密であり続けた。
「ですからお祖父様は、あなたを高く評価されましたの。私の夫に迎えて薮内家の跡継ぎにしたくなるほどに。」
「いやそれは飛躍しすぎだ。」
「私もそう思いますわ。でも、薮内の家を守り繁栄させてゆくためには、俺くんのような誰にも気付けないようなことに気付け、それを目的にために躊躇いなく使え、肝の据わった人間が必要だそうですわよ。」
お嬢様はあからさまに疑わしそうな視線を俺に注いでくる。
へ、へえ。あの時の俺はそんなふうに見えたのか。ただ必死でしがみついて行っただけなのにえらく俺をかってくれたもんだ。
だが。
「お祖父さんがそう思ったからと言って薮内さんがお祖父さんの指示に従わなきゃならない理由はないだろ。誰と結婚するかなんてことならなおさら。」
だがお嬢様は憐れむように言ってのけた。
「私は薮内家の人間であり、薮内省三の孫、薮内武光の娘なのですわ。」
「それがどうした。」とは思ったが、口に出さないだけの分別が俺にはまだ残っていた。
人にはそれぞれの事情も考え方もある。俺を夫にするとか、お嬢様の人生にとって並大抵の重さじゃないことにすら、お嬢様が薮内さんの意思に従うってのは俺には理解できないが、きっとお嬢様もその重さをわかった上で、こんなことをやってるんだろう。
だから。
だから、どうしたらいいんだよ、これ。
悩む俺におっかぶせるようにお嬢様が口を開いた。
「あなたを見ていて、お祖父様がおっしゃっていたような秀でた方ではとてもないようでしたので、てっきりお祖父様に取り入ったか籠絡したのかと思っておりました。ですが、あなたのその様子では、お祖父様に取り入ったなどというわけではないようですわね。」
お、自分で解決の糸口を持ち出してくれるのか?
「じゃあ、それを薮内さんに報告すれば全部解決じゃないか。あんなのと結婚なんてしたら薮内家はおしまいですわよ、って言えばいい。」
自虐的な言い方だが公平に言って間違いじゃない。
お嬢様の口調からしても、俺との結婚なんか嫌だってのが溢れてるから、これこそウィンウィンてやつだろ。
「あなたには人を見る目もないのですね。」
お嬢様の目つきがまた険しくなった。
なんだよ。
「お祖父様が私の言うことを聞くとでも?」
ああ?
「私が、あなたとの結婚なんて嫌だと言わなかったとでも?」
ま、まあな。
「でもその度にお祖父様は、俺くんには特別な能力がある。わしの考えに従え、それが薮内家に生まれ、薮内家を継いでいく者の務めだと。お祖父様はどうしようもなく頑固ですの。」
そうだった。薮内さんがおそろしく頑固なのは、最初にあった時俺にもわかったじゃないか。
しかも薮内さんの俺への評価は完全に外れてるってわけじゃない。俺には確かに「特別な能力」がある。
だが、だが俺の気持ちを完全無視、小山内から引き離してしまえってのは許せるわけがない。
薮内家がどんなに伝統ある家で、うちの学校に孫を編入させることができるほどの力があったってな。
だが、当のお嬢様は薮内さんにいやいやながらでも従う気みたいだし、ほんとどうすんだよ、これ。