第133話 お寺にて (3)
男の子ことで頭がいっぱいになっていた俺は、陽香ちゃんが戻ってくるかもしれないということを完全に意識の外に追いやってしまっていた。
しまった。
だが、後悔は後でする。
「陽香ちゃん、後で説明するから。小山内、俺がこの子を起こすから、意識が戻ったらこれを飲ませてくれ。」
「わかったわ。」
俺が脇の下のペットボトルを落とさないように抱え起こすと男の子が小さな声を漏らした。
「ぼく、大丈夫?」
俺たちがやろうとしていることに気付いた陽香ちゃんが、何も言わずに、俺のリュックからのぞいていたペットボトルを取り出して男の子の首筋に当てる。
男の子が目を開けた。
「お姉ちゃん誰?」
子供とは思えないしわがれた声だ。
「これ飲める?」
小山内がペットボトルを渡そうとするが男の子はまだ持てないようだ。
小山内はペットボトルボトルを口元まで持っていってあげた。
「ありがとう。」
「お礼はいいから飲んで。」
男の子は次第に意識をはっきりさせていっているようだ。
口元から少しこぼしながらも一口自分で飲めた。
もう一口。
そこに榎本さんが作務衣を着た中年の男を引っ張ってきた。さっき入場券を買った時に見た気がする。
俺たちの只事でない様子を見て、ようやく事態が飲み込めたのか、お寺の人は急いでかがみ込んで男の子の顔を確かめた。
「すみません、この子は熱中症のようです。お寺の事務所でクーラーが入っているところに寝かせてあげてくれませんか?」
「それもいいが、この子はそこのお土産屋さんの子供だ。お店の裏に休憩スペースがある。そっちのほうが近い。」
そういうとお寺の人は、「家族に知らせてくる。」と言ってすぐにお土産屋さんの方に走って行った。
「俺たちもこの子を連れて行こう。」
俺はそういうと、男の子の前に背を向けてしゃがんだ。
「背負って行ってあげるから、お兄ちゃんの背中に乗って。」
「ぼく、このお兄ちゃんがお家まで連れて行ってくれるから、背中に乗ってくれる?自分では無理?」
男の子はその言葉で立ちあがろうとした。だが。
「ごめんなさい。ぐらぐらして立てない。」
どうやらめまいもあるようだ。ならば。
「大丈夫。安心して。お兄ちゃんは力があるからな。」
俺はそう言って、男の子をお姫様抱っこで持ち上げる。
「気分は悪くないか?」
「ちょっと気持ち悪い。」
「わかった。大丈夫だから安心してな。」
その時、お土産屋さんの一軒から、さっきのお寺の人が顔を出して手招きした。
あそこか。
続いてエプロン姿の女性が飛び出す。
俺は、出来るだけ男の子の体を揺らさないように気をつけながらゆっくり歩く。
「そこ段差あるから気をつけて。」
小山内は俺が足元が見えにくいのをフォローしてくれる。
榎本さんと陽香ちゃんは、俺が抱き上げたときに落ちたペットボトルや俺のリュックを持ってついてきてくれる。
「颯真!」
駆け寄ってきたエプロンの女性が引きつった顔のまま悲鳴じみた声で男の子に呼びかけた。
「意識も戻ってますのでとりあえず大丈夫だと思います。涼しい場所まで運びますから案内してください。」
小山内が簡潔に伝えると、エプロンの女性が、お店の裏側に回り込んでいく小道を指さした。
「クーラーはついていますか?」
今度が俺が尋ねる。
「はい!はい!」
裏に回り込むと通用口らしき扉が目に入った。
女性はその扉に駆け寄って開ける。
「ここに、お願いします。」
狭めの扉なので扉に男この子があたらないように細心の注意を払って中に入る。
中の空気はひんやりしていて、中でがっしりした体型の男性が待ち受けていた。
「ありがとうございます。代わります。」
「パパ。」
弱々しいながらも、男の子はその男性に呼びかけた。
俺は男の子を父親に預ける。
俺の両腕にかかっていた男の子の重みが消えた。
ふう。
「お寺の前のベンチで意識を失っていました。おそらく熱中症だと思います。」
小山内が説明を始めた。
榎本さんが、男の子に飲ませたスポーツドリンクのペットボトルを渡しながら、「ここまで飲ませました。」と補足する。
「颯真!」
母親は男の子を抱きかかえようとして父親に止められた。
「今はとにかく体温を下げないと。それより救急車を呼んでくれ。」
どうやら父親は落ち着いている。
これなら安心して良さそうだ。
榎本さんが持ってきてくれた俺のリュックを肩にかけて、俺たちは帰ろうとした。
あ、そうだ。
「これ、体温を下げるのに使ってました。良かったらどうぞ。」
俺は、男の子に当てていたペットボトルを差し出した。
「ありがとうございます。でもうちでも売っているのでたくさんあります。」
そうだった。ここ、お土産屋さんだった。きっと、飲み物も売ってるんだろう。
小山内が、見つけたときの状況とか詳しく話してくれたし、もう俺たちは用がなさそうなので、帰ろう。
「では俺たちはこれで。」
「本当にありがとうございます。どうお礼を言って良いか。」
「人助けは慣れてますので、お気遣い無く。」
その俺のセリフに、小山内は、なぜか俺の足を軽く蹴飛ばす。
そういえば、陽香ちゃんのお土産買わないといけないけど、今は、颯真くんのことで大変だろうから、別の店に行った方がいいな。
でも、さっき後回しにした話を先に話しした方がいいのだろうか。
俺は、先に裏口から出た小山内に追いついて、さらにその前を行く陽香ちゃんが榎本さんと何か話しているのを確認してから蝉に負けるくらいの小声で話しかける。
「小山内、ちょっといいか?」
「なに?」
「お土産だけど、このお店はいまそれどころじゃないだろうから別の店に行った方がいいと思うんだ。」
「そうね。そうしましょ。」
そう小声で返してくれたものの、答えた小山内は、「こんなこと話すためになぜ小声にしたの?」という視線を送ってきた。
「その前に、陽香ちゃんに、さっきの俺の言葉のことを話した方がいいかと思うんだ。小山内は、陽香ちゃんには俺の超能力のことは話してないよな?」
「ええ。まだ何も。」
「さっきの俺の言葉はたしかに酷い言葉だが、あのときの颯真くんの状態だと、ぜったにおかしい言葉だとも言い切れないと思うんだ。もし、小山内が陽香ちゃんには超能力のことを黙っているべきだと言うなら、そうすることも出来ると思う。」
「あなたはどうしたいの?」
「陽香ちゃんには、できれば秘密は持ちたくない。」
「そう。」
「それにほら、せっかく仲良くなれたのに、酷い奴って思われなくないしな。」
おどけた調子で答えた俺の顔を小山内はじっと見つめるだけで、すぐには答えを出さなかった。