第130話 嵐の終わり (2)
「何のことですか?」
俺は菅原先輩の強エピソードトークにまだ続きがあるのかと興味が出た。
「私とあいつが高校を卒業して、いよいよ2人とも東京の大学に行くということになった時に、突然あいつが凛香ちゃんに頼んで私を呼びだしたのよ。3月の半ばだったかな。」
俺と小山内が再会するちょっと前、受験が終わってのんびりしてる頃か。
「あいつが想像もしてないことをいきなりやるのには慣れてると思ってたんだけど、あれは別格だった。凛香ちゃんは前から聞いてたの?」
「いえ、あの日初めて聞かされて、いきなり連れ出されたんです。」
「やっぱり。ごめんね、迷惑かけて。」
「いえ、大丈夫です。それよりもあの瞬間に立ち会えてよかったです。」
あれ、これはもしかすると?
いや、これラノベなんかでよくある期待を持たせてやっぱりダメってパターンに違いない。期待なんかしてはダメだ。
「あ、話がそれてごめんなさい。」
七海さんは、俺が微妙な表情を浮かべた理由を誤解したらしく、軽く謝罪して話を続けた。
「その日ね、あいつは凛香ちゃんに頼んで、家にいた私を最初に3人が出会ったあの公園に呼び出して、やってきた私に大っきな花束を差し出したの。」
「そう。うちに私を連れ出しに来た時からその花束を持ってたから、勘違いしそうになったわ。」
小山内が笑いながらフォローを入れる。
「あいつ、ひどいよね。」
「ねー。」
2人は仲良く笑い合う。そうか、そういうのは女の子にとってひどいのか?
それで?
「それで、大学を必ず4年で卒業して、ちゃんと就職することを誓うから、4年後に結婚してください、証人も連れて来ましたって。」
あれ?もしかして?
「まだ付き合ってないどころか告白さえされてないのに、いきなり結婚て言われてもね。」
「え、付き合ってもなかったんですか?」
「凛香ちゃんと一緒にうちに来たり、2人で一緒に遊びに行ったりはしてたんだけど、はっきりとそう言われてはなかった…気がする。」
「お兄ちゃんは、かなり凝った告白をしたけど気づいてもらえなかったって言ってたわ。だから今度ははっきり正面からぶつかるんだ、ってあの日言ってました。」
「そうだったの。返事を聞かされてないうちに東京に行くって思ってあいつ焦ったのね。」
んんん?
菅原先輩が七海さんに求婚?
七海さんは、今になって事情がわかった、みたいな顔をしているが、俺にとってはそんな些細なことより、もっととんでもない情報が入ってた。
だが、七海さんが断って、小山内に、ってストーリーだってあるっちゃある。
心臓がすごい速さで鼓動して、早く聞けとせき立てるが、こんなことを尋ねるチャンスは絶対一度きりのはずだ。だから、絶対疑問の余地を残さない聞き方をしなければ。
「七海さんは、その菅原先輩のプロポースをOKしたんですか?」
なのに口が勝手に聞いてしまう。いや、よく考えてる間にタイミングがずれると聞けなくなってしまうし。
「ううん。」
ひ、否定か。そうか。やっぱりそうなのか。
「いきなり言われてもね。そしたらあいつ、俺以外と結婚する未来が想像できるか?俺は七海以外と結婚する未来なんか想像できないし、そんな未来は断固拒否する!とか言い出して。」
すごいセリフを吐いたもんだ。
だが。
あの精悍な顔をした菅原先輩ならあり得る。
「それで、思わず勢いに飲まれちゃって。」
七海さんは頬を染めて両手で顔を覆った。
最後までは聞けなかったが七海さんのこの態度からすれば、七海さんが菅原先輩のプロポーズを受け入れたのは間違い無いだろう。
小山内が何か言いたそうな視線を俺に送って来ているが、何か言いたいのは俺の方だからな。
あの小山内の菅原先輩への態度は、小山内の窮地を救ってくれた人に心を許した態度だってのは理解できたとしても、少なくともあの「お兄ちゃんの家族になる人のことなの。七海さんていう人。」という、俺を絶望に叩き込んだセリフについてだけはきっちり説明しもらうからな。婚約者ならそう言えよ。
俺はそういう意思を込めて小山内を見つめた。
その後、俺たちは七海さんにもう一曲聴かせてもらって、お暇した。
聴かせてもらったもう一曲もベートーヴェンの曲で、低音に特徴のある情熱的な第1楽章と、あの厳しい顔のベートーヴェンがこんな粋な曲を書いたのかって驚いた第2楽章からなる曲だった。
ちなみに俺には七海さんの演奏がプロにしか聴こえなかったことだけは言っておく。
あれは、素人目にも難曲だってわかる曲で、それを弾き切ったんだからな。
俺は、七海さんの家を出た後、一旦おばあちゃんの家に戻るという小山内を送って行った。
途中にある公園を横切りながら、ふと、ここが小山内たち3人の出会った公園なんだろうか、という気がした。
それなら、今か、聞くのは?
「なあ小山内。」
俺は出来る限りなんでもないふりをして切り出した。
「なに?どうしたの深刻そうな顔をして。」
小山内にはやっぱりバレるか。
まあいいや。
「小山内は、七海さんのことをお兄ちゃんの家族になる人って言ってたよな。何故婚約者って言わなかったんだ?」
おかげで俺は盛大な勘違いをして、大ダメージ受けたんだぞ。
小山内は、きょとんとした顔をした後、さも当然みたいに言った。
「それはまだお兄ちゃんが婚約指輪を贈ってないからよ。」
意味わからん。
「お姉ちゃん、リングしてなかったでしょ。」
そう言われれば…そうだったか?
「形は大事なのよ。お姉ちゃんはあの時、大学を卒業した後なら結婚してもいいって言ったけど、やっぱりね。」
「そういうものなのか?」
小山内は真剣な表情になった。
「高いリングじゃなきゃダメとか、お給料3か月分とか、そういうお金のことを言ってるんじゃなくて、ちゃんと自分を好きだってことを態度とか形で示してくれることが大事なの。
だからあんた、付き合うことになったらちゃんと毎日好きだって伝えなきゃだめよ。」
「ダメなのか?」
「絶対ダメ。ちゃんと口に出して。」
「口に。」
「そうね、1日2回は言ってほしいわね。」
「…」
「あんた、できるの?」
小山内はそう言って俺を、何かの期待を込めているかのように見つめた。
俺はどう答えたらいいんだろう。「出来る」と答えて良いんだろうか?
俺は嘘になってしまう言葉を小山内に伝えたくない。
「はあ〜〜。」
小山内は大きくため息をついた。
「あんた、その表情は、自信がないってことよね。」
「あ、ああ。そうだ。」
「そうね。」と言いながら小山内は曲げた人差し指を唇に当てて少し考え込んだ。
「じゃあ、今練習してみたらどう?」
「練習?」
小山内が何を言っているのかマジで理解できない。
「練習って好きになる練習か?」
「そうじゃなくて、口に出す練習よ。」
「それは。」
「はい、言ってみて。」
「ちょっと待ってくれ小山内。」
「いいからやんなさい。そうね、壁に向かってならあなたにでもできそうだし練習にならないから、ちゃんと人に向かって言いなさい。」
「待て小山内、そんなこと誰に言っても、練習でしたなんて言ったら絶対許してもらえないだろ。」
「あ、そうね。じゃ私が練習台になってあげるわ。ほら言ってみなさいよ。」
「…小山内、本当に良いんだな。」
「ええ、いいわよ。ほらやってみなさい。」
小山内はそう言うと、俺の前に立って、なんでもないような顔で俺を見上げた。
俺は大きく息をついて心を落ち着かせる。
これはあくまで練習だ。練習なんだぞ。
だがどうしても真剣な表情になってしまう。
小山内は俺のその表情に気づいたらしい。
瞳が大きく広がる。
小山内の肩にそっと手を添える。
小山内はびくっと震えたが、拒まない。
俺は顔を小山内の耳元に近づけ、そっと囁く。
「小山内、俺はお前が好きだ。」
忙しなく鳴いていた蝉の声も、響いていた子供の声も、その全てが消え失せ、ただ俺たちの息遣いだけが世界を満たす。
時間が止まった。
「わ、わたし」
小山内はそう口にしかけて、何かに気づいたかのようにさっと顔を伏せる。
どれくらいの刻が経ったのか、あるいは経たなかったのか。
時間がゆっくり動き出した。
「や、やればできるじゃない。その気持ち絶対忘れちゃダメよ。ダメなんだからね。」
泣き出しそうな声で小山内は小さく囁き返してきた。
公園に植えられたハイビスカスの花が鮮やかに咲き誇っている。
菅原先輩が七海さんに差し出したという花束はきっと色とりどりだったろう。
だが。
まだ歩み始めたばかりの今の俺たちには、この赤一色で咲く花のほうが似合っているに違いない。俺たちはこれからいろいろな色の花を咲くに違いない。
「小山内。」
小山内は顔を上げて、俺の視線の先を追った。
「きれいね。。」
俺は小山内に視線を戻して、答えた。
「そうだな。綺麗だ。」