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 第127話 七海さん (3)

「いいわよ。凛香ちゃんの好きな曲を俺くんに聴いてもらいたいって凜香ちゃんが言ってたけどそれでいい?」


ピアノの椅子に腰掛けた七海さんの視線が俺を向いてたから、この問いはきっと俺にだろう。


「はい。七海さんがよければ、ぜひ。小山内の好きな曲を聴いてみたいです。」


七海さんはちょっと考えた。


「凛香ちゃんはショパンやラヴェルよりベートーヴェンの方が好きだったのよ。ベートーヴェンで聴きたい曲ってあるかしら?」


ベートーヴェンという名前は聞いたことがあるし、年末に耳にするあの曲もベートーヴェンの曲だってのは知ってる。だが、あの曲をピアノでは無理だろ。


「よくわからないので、小山内が1番よく聴いた曲をお願いします。」


とりあえずそう言ってみた。


「凛花ちゃんもそれでいい?」

「はい。お姉ちゃんのあの曲聴きたい。」


なんか小山内の口調が幼い気がする。

幼い時から積み重なってきた時間がそうさせたのだろうか。


小山内の言葉を受け、七海さんはピアノに向き直り、途端に表情が一変した。

鋭い目つきで鍵盤に視線を送るとそれまでの柔らかい雰囲気が消え去った。


タララ タララ タララ


ゆっくり静かに音が流れ出す。

しっとりした幻想的な曲で、どこかで耳にしたことがある。


指先まで神経が張り詰めているのだろうか。

流れ出す音のすみずみにまで張り巡らされた繊細さが、素人の俺にも伝わって来る。


ゆっくりと進む旋律の中、どんどん引き込まれ…寝そうになった。

とてもゆったりした気持ちになったし、お腹もふくれてるし。


小山内には気付かれただろうか。

と思って、チラ見したら、予想どおりこっちを見ていた。

これは「もう。」の目だな。

「悪い。」の目をして意識を戻す。


すぐに次の楽章に入って、落ち着いたなかでも音が跳ね回るような感じになった。

これもいいな。


さすが音大に通ってる人だな、と思って聴いていると、その楽章が終わって一呼吸もおかず。


一転していきなり激しい音楽が始まった。

七海さんの指がすごい勢いで鍵盤の上を魔術師のように動き回って、音楽を叩きだしていく。

これがさっきとおなじ曲とは。

目にもとまらない勢いで一気に指が鍵盤を駆け抜けていくのを俺はひたすら度肝を抜かれながら聴いていた。

そして、高潮のまま終わる。


俺はとにかく拍手だ。

圧倒的なものを聴かせてもらった。

小山内も一緒に拍手をしながら、今の曲が「月光」という曲だと教えてくれた。


「お姉ちゃん、また凄みが出たね。」


小山内がそう声をかけると、ピアノの椅子に座ったままの七海さんが、笑顔の中に陰を感じる表情で「ありがとう。」とだけ答えた。


俺は初めて生で聴いたクラシックのピアノの演奏で、しかもあんなすごいテクニックを見せられて、もう興奮しかない。


「七海さんすごいです。指ってあんなに動くんですね。」


なんてガキ丸出しの感想だったんだが、ガキなんだから許してくれ。


「ありがとう。練習したから。楽しんでもらえたかしら?」

「はい。もう指の動きが全然追えなくて。」

「でも指が動くだけじゃだめなのよ。」


七海さんの言葉に俺ははっとした。

これって聞いていた七海さんの悩みに繋がる話しじゃないのか?

なので俺はもう少し話を掘り下げようと、敢えてガキとして尋ねた。


「指が動く以外に何がいるんですか?」


七海さんは寂しそうな笑顔を浮かべた。俺の隣で小山内が緊張したのが伝わってくる。


「すべての曲には意味があるの。私の演奏だけを聴いたらすごいってなるかも知れないけれど、もっと曲の意味を的確に捉えて素晴らしい演奏をする人がいるのよ。私よりずっと感受性が豊かなのよ。きっと。」


七海さんがいう曲の意味ってのが俺には分かるようで分からないが、この言い方だと、七海さんの悩みというのは、自分が、というよりも、他のもっと才能がある人と較べて、ってことなんだろう。


音楽の才能がある人が行くのが音楽大学なんだろうから、きっと七海さんは、そこでもっと才能のある人と出会って衝撃をうけたんだ。

七海さんの悩みを解決するためには、やっぱり才能が芽生えるように超能力を使うしかないのだろうか?

だがそれは。


「お姉ちゃん、そんな言い方しないで。」


小山内が僅かに目を伏せて悲しそうに言う。

おそらくだが、小山内にとっては、両親や陽香ちゃんがドイツに行ってしまってひとりぼっちになってしまったときに、七海さんは音楽を通して小山内の心を支えてくれたんだろう。


俺の脳裏にさっきの曲の記憶が蘇ってきた。

もの寂しいとすら言える出だしは、そのときの小山内の心に訴えるものがきっとあったはずだ。

とすれば、最後のあの力強い乱舞で、小山内は勇気づけられたのかも知れない。


それなら。それなら、なおさら七海さんの苦しみをなんとかしたい。


「その素晴らしい演奏をするという人の演奏がどうだか分からないんですが、俺が今聴いた演奏も癒やされたり力づけられたりしました。」


俺の言葉に、小山内ははっと目を上げる。


「うん。お姉ちゃんのピアノは私を救ってくれたのよ。」


七海さんは小山内の視線を受け止めた。

だが、その視線を返すことはせず目を伏せた。


「ありがとう。でもね。私は、プロのピアニストになりたいの。だから、私は現実をしっかり受け止めなくてはならないの。」

「お姉ちゃん…」


小山内はその拒絶とも取れる言葉に絶句してしまった。だが、七海さんの言っていることの意味はなんとなくだがわかる。

夢を実現するために、いまの自分をしっかりと見つめる、ということだろう。

プロになるってことの厳しさを身をもって知っているからこそ、自分を追い詰め、もがいているんだろう。圧倒的ななにかに肩を並べなければならない。その圧倒的な存在と自分とのギャップ。言い換えれば、夢と現実とのギャップ。


だが、七海さんは、そのギャップに苦しみ、演奏を聴かせてもらって手放しに演奏を讃える俺たちにこんな表情を見せてしまっている。


この七海さんの苦しみを、まだ、なにも何も成していない、守られてる立場の俺たちが解決出来るのだろうか。


自分でも解決出来ないような何かに直面して、押しつぶされそうになっている人に、何か俺たちに出来ること。


あ。


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