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 第126話 七海さん (2)

いやだ。


この時間を失うのは絶対に嫌だ。


俺は、小山内と、こうしていたいんだ。


心を堰き止めていた何かがどんどん力を失っていくのを感じた。最後まで支えているのはただ一つ、そして決定的なことだった。


俺がこの気持ちを口にした瞬間、全てが終わってしまうのだろうという予感。

小山内の、菅原先輩への想いがある以上、俺はこの気持ちを隠し続けることのみが、俺が失いたくないと感じたこの瞬間を失わずに済む方法なんだと。


こんな、ラノベやマンガでありふれたシチュエーションが俺の身に起こるなんてな。


「どうしたの?お味噌汁に嫌いなものでも入ってた?」


お椀を凝視している俺に小山内が笑いかけてくる。


「小山内、俺…」


どうしたの?という表情を浮かべた小山内の視線を捉えた。

俺は、


「おまえが」


わずかに小山内の表情が動く。

俺はこの小山内の表情を曇らせてしまっていいのか?


「おまえが作ったこういう味噌汁大好きなんだ。」


人生で何度目かの大ヘタレをやらかした。

だが、小山内は満面の笑みを浮かべてくれた。


「よかった!お味噌汁はおばあちゃんたちからも自慢していいって言われてるのよ。ねえちょっと味見してみる?」


すぐにも食事だというのに、小山内は俺がなんというか待ちきれないとでもいうように、小山内は小皿に少し味噌汁を入れて差し出してきた。

笑顔の中に不安を混ぜて俺が受け取り口に運ぶのを見ている。


料亭やホテルの豪華な味ではなく、毎日でもいただける、素朴で、でも手をかけてくれた味だ。


「うん、とても美味しい。毎日作ってほしいくらいだ。」


俺としては純粋に味の感想をたとえで言っただけ。

だが、小山内は何か別の意味にとったらしい。


「あ、あんた、毎日味噌汁作ってほしいって、それって。」


小山内は真っ赤になってまるで狼狽でもしているかのように小声で何かぶつぶつ言い始めた。


「そういう不意打ちはどうかと思うわ。」


俺は何かを不意打ちしたのか?


「悪い小山内、とっても美味しくて毎日飲んでもきっと飽きのこない味だって言いたかったんだ。なんか不意打ちになったのなら謝る。だけど美味しいってだけじゃ伝わらないかと思ったんだ。」


小山内の狼狽はかえってひどくなっている。


「そ、そうよね。付き合ってもないのにいきなりなんてないわよね。わ、私って。」


耳まで真っ赤になりながら、手にした焼き上がった玉子焼きの入ったフライパンを持ったまま両手で顔を覆いそうになった。


慌てて、小山内の腕を両手で抑える。


「えっ!?」


小山内の声とともに小山内が振り向き2人の顔が急接近する。

俺の視線の先には小山内の可愛く艶やかな唇が。

魅入られたかのように俺は…


「だめ…だめよ。」


俺はその言葉ではっとした。

そうだ。小山内の好きな人は。


「ごめん。」

「いいの。あなたは私が火傷するのを止めてくれただけなんだから。」


すっと小山内は身を引く。

俺から視線を逸らして、小山内は玉子焼きをお皿に移す。


「半分こでいいわよね。」

「ああ。」


小山内は俺に背を向けて切り分けた。

髪の間から覗く耳たぶはまだ赤い。


「じゃ、じゃあ、お味噌汁を持ってきて。」


小山内は俺を振り向きもせずに玉子焼きの皿をダイニングに持っていく。

俺も慌ててお味噌汁の入ったお椀を持って小山内の後を追った。



とても心のこもったお昼ご飯をいただいて、俺たちは七海さんの家に行くことになった。

少しぎこちなくなった会話も、美味しいご飯の間になんとか普通に戻った。

一緒に洗い物を終えた後、小山内が着替えてくるというので、俺はダイニングでそのまま待つ。


さっきのはなんだったんだろうな。

お味噌汁に何か意味があったんだろうか?

特に変わった具が入ってたわけでもない、お出汁と野菜の甘みがしっかりした豆腐と野菜のお味噌汁だったんだが。


なんてことを考えていたら、小山内が着替えてきた。

夏らしいワンポイント入った清楚な白の半袖ブラウスと、空色のプリーツスカートだ。

美少女の小山内が着ると、その美しさが何倍にもなる。


「どう?」

「きれいだ。」

「あんた、さっきからなんなのよもう。」


怒ってるのか?

と思ったが、恥ずかしがっている?

だったら聞くなよ、と思ったがそれより大事なことがある。


「そろそろいかないと。時間大丈夫か?」

「そうね。あんた、今日は私の調子狂うようなことを言うの禁止。今日は七海さんのことを1番にね。」

「わかった。行こう。」


何に調子を崩してるのかよくわからなかったが、とにかく小山内が最近たまに挙動不審になってるのは事実なので、とにかく頷いておく。


小山内と一緒に外に出たら、当たり前だが、俺が着いた時よりさらに灼熱の太陽が照りつける。


小山内は日傘を差してるんだが、これまた似合ってて変なことを口走りそうになった。


「七海さんのおうちはすぐだから我慢してね。」

「大丈夫だ。さっきまでしっかりクーラーかけてくれてたからまだまだ平気だぞ。」


実はあまり平気ではないが、すぐそこならバレないだろう。



5分ほど歩くと、白い小さなバルコニーのある洋風のお宅に着く。

「ここよ。」と言って小山内は躊躇いなくチャイムを鳴らした。


「はーい、凛香ちゃん?」


そう言って出てきたのは、優しそうな雰囲気を纏った、いかにも「お姉さん」と言う感じの大人びた女性だった。


「お姉ち…七海さん、こちらがこの前話した俺くんです。俺くん、こちらが七海さん。七海さん、急にごめんなさい。」

「いいのよ凛香ちゃん。私も凛香ちゃんの話を聞いて一度会ってみたかったの。ようこそ俺くん。お話しは凛香ちゃんから聞いてるわ。よろしくね。」


そう言って七海さんはふわっと頭を下げた。


俺も慌てて名前を名乗り、


「今日はいきなりお邪魔しまして失礼しました。つまらないものですがこれを。」


俺は母さんから言われた通りのセリフを口にし、持たされた手土産を差し出した。


「まあ、お気遣いなく。」


またふわっとした笑顔で受け取ってくれた。


「さあどうぞ。」

「お姉…七海さん、今日はお家の人は?」

「前みたいにお姉ちゃんでいいわ。今は仕事と買い物。ママはもうすぐ帰ってくると思う。さあ遠慮せずに。」


そう言って七海さんは家に上げてくれた。

小山内は七海さんに「ピアノのところに先に行っててね」、と言われて、俺を案内して、ある部屋の厚めのドアを開けた。

そこには黒光りしているグランドピアノが鎮座して威光を放っていた。


「すっごい。」

「ね、すっごいでしょ。」


小山内は自分のことのように自慢する。

俺は小山内に促されてそこにあったソファーに腰を掛けたが視線はピアノに持っていかれたままだ。


もともと小学校時代から友達の家にはほとんど行ったことがない俺だが、個人のお宅にグランドピアノってのがあるんだって知らなかった。


「お待たせ。紅茶でいいわよね?」


七海さんがアイスティーを持ってきてくれた。

なんか俺、場違いなところに来てるんじゃないだろうか?


「七海さんありがとう。」


小山内の声に俺もはっと気づいてお礼を言った。


「何か食べる?」

「いえ、さっき家で食べてきたばかりなの。」

「そう。」


と言って、七海さんは俺を見た。


「凛香ちゃんの作るご飯美味しかった?」

「えっ、あっ、はい。とっても美味しかったです。」

「そう、気に入った?」

「はい。」

「だって、凛香ちゃん。」


七海さんはいたずらっ子のような表情になって小山内に視線を戻した。


「もう、七海さん。」


小山内は恥ずかしそうに笑った。


なんか七海さん、思っていたより元気そうか?

しばらく談笑した俺はそう感じた。

小山内は俺にちらっと視線を走らせるとついに切り出した。


「ね、七海さん、何かピアノを聴かせてもらえます?」

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