第119話 複雑 (2)
斉藤先生に送ってもらって駅まで戻ってきた時に、そのあたりを小山内にそれとなく聞いてみた。
「あんたお寿司を食べさせてくれるなら誰でもいいわけ?」
「誰でもいいわけ、って言うけどな、薮内さんだぞ。誰でも食べさせてくれるような寿司じゃないだろ。」
「もう、そういうことを言ってるんじゃないの。バカ!」
以上現場からでした。
結局小山内の言ってることの意味がかわからなかった。
小山内は寿司に嫌な思い出でもあるのだろうか?
まあそんなこともあったけど、俺は明日の分のスポーツドリンクを仕入れてとっとと家に帰って寝た。
今日はほんと何が起こったか全部思い出せないくらい、いろんなことが起こりまくりだった…
翌朝。
寝ぼけた俺は、夏休みなのになんでアラームが鳴ってるのか分からず、停止させて危うく惰眠に戻るところだった。
今日は調査2日目。
ありがたいことに今日も蝉が絶叫で歓迎するくらいの晴れだった。
俺は昨日の斉藤先生の車の中で小山内と約束した通り少し早めに家を出て、駅で小山内と待ち合わせる。
デートみたいだろ?
…せめてこういう軽口くらいは許してくれ。
「小山内おはよう。」
「俺くんおはよう。」
小山内はやや眠たそうな顔で挨拶してきた。
「さすがに昨日は疲れたか?」
「ええ。それにいろいろ考えていたら眠れなくって。」
「七海さんには連絡できたのか?」
俺たちは、ゆっくりと学校への道を辿りながら話を始める。
話しが始まった途端、小山内は眠たげだった表情を吹き飛ばした。
「ええ。お兄ちゃんの言うとおり、やっぱりこっちに戻ってきてるって。七海さんの口からその理由までは教えてくれなかったけど、元気はなさそうだった。」
「ということは、SNSではなくて、電話で話せたってことだよな。」
「ええ。私も心配してたんだけど、そこは大丈夫だったわ。」
旧知の知り合いに電話ですら話せないようなら、俺たちが考えていた、演奏を聴かせて貰おう、ってのはとても無理ってことになる。だから、それを探るためにも、連絡は電話で、って話しを昨日していた。
幸い、小山内の電話には出てくれて、話も出来た、という意味だ。
「それで、演奏はしてくれそうか?」
「それは、ちょっと考えさせてって言われたの。あなたのことも話したからかも知れないわ。」
「俺のことをどんな風に話したんだ?」
俺がそう聞くと、小山内にしては珍しくまるで不意打ちでもされたかのように慌てた。
「そ、そんなこと聞く必要ないでしょ。」
「まあ確かに、どうでもいいか。」
「どうでもいいってなによ。」
どうも昨日からあたりから、小山内が何を考えてるのか、理解できないことが増えてるんだが、これは小山内が彼氏だか憧れの人だか好きな人だかの菅原先輩と再会したことと何か関係があるのだろうか?
俺の対女子スキルだと、これをどう返していいのかほんとにわからない。
「あのな、小山内。悪いが、俺は今まで女子と小山内みたいに親しくなったり、まして付き合ったりしたことがないから、小山内が何に怒ってるのかほんとにわからないんだ。だから、俺のレベルにあわせてもうちょっとわかりやすく怒ってくれ。」
ところが小山内は、わかりやすく解説してくれるどころか、上目遣いでますます謎の言葉を吐き始めた。
「それ本当なの?」
「ああ。」
小山内は嬉しそうな顔をする。
「悪いが、小山内が何に怒ってるのかほんとにわからないんだ。」
その瞬間、また小山内は怒りを表情に浮かべる。
「違う。私が聞いてるのはそこじゃないの。あんたまさかわかっててやってるんじゃないの?」
「何をだ?」
「もう。」
小山内は、そう言って、俺の腕をぽかっと殴った。
全然痛くは無いんだが、理不尽感だけが残る。
残ってないのは、打ち合わせの時間と、俺のヒットポイントだ。
さっきから小山内が俺に示している不可解な態度を、横を追い抜いて行くうちの生徒が遠慮なく凝視していく。
そのあと、たいていの男子は振り返って妬みか羨望の視線を置き土産に残してゆく。
美少女が、なぜか俺みたいな普通の男子にじゃれついてるとでも思ってるんだろう。だが。
その視線を送られるたびに俺のヒットポイントはがりがり削られていく。
昨日から、そう昨日からな。
今まではそんなの気にならなかったし、小山内との近さに、「ただし男女としての距離は除く」なんて注釈がついてるだなんて、昨日まで思ってもいなかった。
いや、今落ち込んでる場合じゃない。
「小山内。とにかく、今は七海さんの話だろ?」
「…そうね。あんたからそう言われるのはなんだか腹が立つけど、優先順位を考えないとね。」
何で腹を立てられてるのか、わからないが、とにかく元のルートに戻った。
「小山内が話したときの七海さんの様子だと、演奏はしてくれそうなのか?」
「なんとも言えないけど、出来ないことは出来ないって言う人だから、大丈夫じゃないかしら。」
「それじゃ、出来たら早いうちがいいな。夏休みが過ぎると東京に戻ってしまうかも知れないからな。」
「そうね。じゃ、もう一度聞いてみるわ。」
結局、七海さんに会ったあと、どうしようか、と言う話しまでは出来なかった。
これじゃあ早起きする必要なかったんじゃないか、ってのは斉藤先生の車に乗ってから気がついた。
現場に着くと、先に着いていた重機のオペレータの人が作業をしている音が林の外まで響いてきていた。
近所の人らしいお年寄りが自転車で近寄ってくる。
俺たちが何をやってるのか興味を惹かれたようだ。
斉藤先生がそのお年寄りの相手をしている間に、俺たちは車から道具やなんかを下ろし始めた。
「こんな風に、悩みとか苦しみなんかも目に見えていて、どんどん降ろしてあげることが出来たらいいのにな。」
おれは、ふと思ったことを隣で同じように作業をしている小山内に漏らした。
「そうね。でもこんな風に目に見えてしまうと、隠しておきたいことまでみんなに見えてしまうことになるわ。それは嫌。」
「そうか。それもそうだな。誰だって心は覗かれたくないもんな。」
「ええ。でも、口には出さないけれど、知って欲しいこととか気持だってあるってことはわかってね。」
そう言って、小山内は手を止め、俺をじっと見つめた。
「そうだな。苦しいときとか悩んでるときとか、そうだよな。」
「ええ、そうよ。でも、それ以外にもわかって欲しい気持ちもあるんだからね。」
俺には、小山内のいう「それ以外の気持ち」ってのがなんだかわからないが、小山内がこんな顔をして言うんだから、きっと大事なことだ。
「俺たちがこの活動を続けていくためには、そういう気持ちも含めてわかるようにならないとな。頑張るよ。」
「ええ。」
だが、頷いた小山内の表情は、俺に言いたいことが伝わったと確信できていないようなものだった。