第115話 波乱 (3)
俺の問いかけにどこまで本当のことを言葉で答えてくれるか、なんてことはかまわない。
「実は私たち付き合ってるの。」でも、「なんでもないの。」でもどっちであっても、すぐに本心が顔に出てしまう素直な小山内ならきっと真実を読み取れるだろう。
まあ、それくらい読み取れる関係は、俺と小山内の間にはあると信じる。
「お兄ちゃん…菅原先輩は私の家の近所に住んでいて、私が中学校に入る時に、家族と別れておばあちゃんちに引っ越してきて、1人になっちゃった私とよく遊んでくれてたのよ。」
小山内はそう言うと、菅原先輩をはにかんだ表情で見上げた。その頬は薄くだが赤くなっている。
小山内は菅原先輩を見たまま説明を続けてくれた。
「あんたも覚えてるでしょ。私がこの中世史研を作る時に、歴研の人たちが古代と戦国期しかやってないって言ってたの。」
たしかに小山内は、新しく部活を作る口実にそう言うことを言っていた気がする。
「そのことを教えてくれたのが歴研のOBだったお兄ちゃんなのよ。うちの学校のことをいろいろ教えてくれたのもお兄ちゃんで、それで私もうちの学校に入りたいなと思ったの。おかげであなたは私と再会できたんだから、あなたもお兄ちゃんに感謝しなさいよね。」
そうか。
「今はお兄ちゃんは東京の大学に行っててあっちで下宿してるの。夏休みで帰ってくるなら教えてくれたらよかったのに。意地悪なんだから。」
最後の言葉を笑顔で菅原先輩に向けた後、小山内と菅原先輩は「ごめん、驚かせようと思って。」「十分驚いたわよ。」と、また2人の話に戻っていった。
そうか。やっぱり。
林の中を歩くかさっかさっという音や、小枝を踏折るぽきっという音がやけに耳につく。
なのに横で話してる小山内と菅原先輩の声は、まるで濁った水槽が間に入っているかのように歪に聞こえる。
ああ、これは想定内だ。問題ない。小山内のように優しくて繊細で面倒見がよくて誰からも好かれる美少女に恋人がいないはずが無いじゃないか。
俺はさまざまな思いが心の中に噴き出してきそうになるたびに、そう唱えた。
いつもなら小山内が「あんたどうしたのよ。」ときっと声をかけてきてくれるんだろうが、それがないせいで、ひたすら俺は同じ言葉を繰り返す。
ふと気づくと、林の中で足を止めて俺たちを待っているお嬢様の視線が俺に注がれていた。
まあもうどうでもいいや。
「あなた、お顔の色が優れないようだけれど、大丈夫なのかしら?」
お嬢様の多少からかいが入っているようにも聞こえる声が聞こえてくる。
「大丈夫です。」
今の俺にはそう答えるのが精一杯だ。
「あんた、あの子が言うように顔色が悪いわよ。本当に大丈夫なの?」
「大丈夫って言ってるだろ。」
俺の口から出た声は俺自身も驚くくらい強いものだった。
「なによ。あんたが心配だから言ってるんじゃない。」
「大丈夫だから。」
今度は、弱くなった。
どうしたんだろ、俺。小山内にどういうふうに言えばいいかわからない。
小山内は、最初の俺の言葉で浮かべた怒りを、心配の色に変えて俺を覗き込む。
「あんたさっきから変よ。一体どうしたの?」
今度は優しい。
ああ。小山内がこういう奴だから、誰でも小山内に惹かれてしまうんだろう。
だが、小山内が惹かれているのはただ一人。
それは俺じゃなかった。
「大丈夫だ。ちょっとしたことがあっただけだから、心配しなくていい。…いいです。」
そうだ。俺と、小山内の関係が変わったわけではない。
もとから俺と小山内は裏の部活のパートナーであって、それ以上ではなかったんだし、俺と再会する前から菅原先輩への小山内の想いはあったんだろうし、俺が勝手に小山内との距離が縮まったと思ってただけなんだし、だったら小山内が俺への態度を変える理由もないし。
よし、鎧装着完了。
穴掘り頑張るか。
俺のそのヘタレな逃亡に気付いたかどうか分からないが、小山内は、
「あんたが大丈夫というのなら信じるけど、無理はしないでね。その、中世史研は2人しかいないんだから。」
と言い残して、離れていった。
離れ際に俺に送ってきた気遣わしげな小山内の視線が、今の俺の心には逆に突き刺さってしまう。
とにかく、いまは穴掘りに集中しよう。
それが終われば夏休みだ。
何もなければ、夏休みの間に気持ちを整理して、もとの小山内との関係に戻って、変に期待も抱かず、もくもくと人助けが出来るようになれるさ。
俺は深呼吸をして、気持ちを無理矢理切り替えた。
俺が心の大波を鎮めている間に、いつの間にか、あの空堀の辺りに人が集まっている。
急いで俺も合流しなければ。
俺が追いつくと、藪内さんはそれを確認して、「では始めようか。」と声をかけた。
集まっている人たちの最前列に藪内さん一家が並び、空堀の向こうに向かって頭を下げる。
あのお嬢様も神妙な顔でそれにならっている。
気がつくと、何かの台のようなものが空堀の手前に置いてあって、花束が乗せられている。
あと、一升瓶とお供えものが並べられている。
うちの高校のメンバーと作業服の人たちは、その後にきちんと整列して並び、藪内さんたちと同じように頭を下げた。
藪内さんが何かを呟くように言っているのは聞こえるが、何を言っているのかは聞こえない。
そのあと藪内さんは武光さんに話しかけ、武光さんも何かを呟いた。
言葉が終わると、静寂が訪れた。名前を知らない鳥の鳴き声が林の中に響き渡る。
それが続いたのはほんの一分くらいだろうか。
藪内さんが頭を上げる気配がした。
「みなさん、ありがとう。では、よろしくお願いする。」
藪内さんの声に、みんな一斉に頭を上げて、活気が戻ってきた。
斉藤先生と重機のオペレーターさんが図面を広げて、地面を指さしながら、杭を差していく。
鳥羽先輩は歴研のメンバーや俺たちに「道具を取りに行くよ。」と、ついて来るように合図してやってきた道を戻っていく。俺は何の感情も込めないように気をつけながら、小山内に「行こうか。」と声をかけた。
藪内さんと武光さんは、穏やかな顔をして何か話している。
ところがお嬢様は、藪内さんたちの側を離れ、俺たちの方に近づいてきてにこりと微笑んでから声をかけてきた。
「ここも暑いわね。あなた、何か飲み物をお持ちではないかしら。」
視線は俺の方を向いている。
「それなら。」
そう答えた俺より先に、リュックをあさり始めたのは、小山内だった。
「俺くんは気が利かないので、悠紀さんのお口に合うような飲み物は持っていないと思います。どうぞこれを。」
と言って小山内が差し出したのは、俺が前回持ってきたのと同じミルクティーだった。
「小山内いいのか?じゃこれをお前にやるよ。」
といって俺は持ってきたスポーツドリンクを差し出す。
小山内は、受け取ろうと手を差し出し、そのまま手を止めて、俺の差し出したものを見つめた。
「あんた、これ。」
「凍らせてて冷たいから気をつけてくれ。」
「…ええ。分かった。私も持っているけど、もうらうことにするわ。」
俺たちのその様子を見ていたお嬢様は、一言。
「わかりました。それでは小山内さんのをいただきますわ。」
と言って、小山内からミルクティーを受け取り、藪内さんたちの方に戻っていく。
小山内はその後ろ姿をじっと見ていた。