第111話 プール (4)
食事のあと、陽香ちゃんはウォータスライダーにみんなで行こうと言いだした。
さっき、俺も行きたいって言ってたと陽香ちゃんが話すと、ホリーも「僕も行ってみたかったんだ。」と賛成。
小山内と伊賀も、陽香ちゃんが行きたいのなら、と賛成した。
ここのプールにはスライダーが2コースある。
陽香ちゃんは「さっきは伊賀さんと堀さんとはぐれちゃって遊び足りないから、今度は一緒に行きましょう。」と伊賀とホリーの腕を掴んで、一方のコースにぐいぐい引っ張って行ってしまった。
「陽香ちゃんパワフルだね。」
「ええ。私も驚いたわ。久しぶりの日本のプールではしゃいでるのかしら?」
小山内はそう言うんだが、俺にはもうちょっと何か意図があるような無いような。
「とりあえず俺たちもスライダーに行こう。」
「ええ。どっちのコースにするの?」
伊賀たちと同じコースか、別のコースか、ということだな。
「伊賀たちが行ったコースと別のにしよう。」
俺はあんまり何も考えずに選んだ。
なんとなく5人とも同じコースというのも芸がない気がしたというだけだ。
「いいわ。そうしましょう。」
俺と小山内は、伊賀たちが向かったのとは別の通路を進む。
通路は花壇の中をくねくねと登っていく。
しばらくすると、通路の横を通っていくスライダーからは、子供の歓声が響いて来た。
ん?
あれは、歓声というよりむしろ悲鳴なのでは?
「きゃー!」ではなく「ぎゃー!」と聞こえるんだが。
「楽しそうね。」
小山内が、その声に反応して俺に笑顔を向けてきた。
「お、おう。」
小山内は、こういう絶叫系が好きということなんだろうか?
少し意外だ。
そこからしばらく歩くと、また「ぎゃー!」と聞こえてきた。
小山内は、「何か変ね。」とでも言いたそうな表情を浮かべたが、特に気にすることもなく、いつものすっすっという歩き方を緩めることもない。
もっともプールなので、どっちかていえばぺったぺったという足音がしてるんだが。
ま、まあ、聞こえてくる声が小さい子供の声だから、そんなに気にしなくてもいいか。
ようやくスライダー待ちの10人くらいの行列の最後尾についた。
なぜか、親子連れとカップルばかりで、1人で並んでる人が殆どいない。
だが、こういうプールに1人で来る人がそもそもいないだろうから、そこはそんなに不思議に思わなかった。俺たちも小山内と2人連れだしな。
だから、俺が本格的に異変を察知したのは、注意事項の立て看板を目にしたときだった。
注意事項の最初にはこう書いてあった。
「恐怖への挑戦!!抱腹絶叫スライダー!!」
なんだそのオヤジギャグみたいなあおり文句は。
とはいえ、これくらいのことは普通に売り文句で書いてあってもおかしくはない。
だが。
「このスライダーは下記の方にはご利用いただけません。」
とあって、なにやら身長体重の制限とか、持病を持ってる方だとか、保護者同伴でない子供とかが書いてある。
それから、事故防止のためきちんとボートに乗って手を放さないこと、とか書いてある。
…事故が起こるかも知れないくらい恐いのか、これ?
そんで、とどめの異変がこれ。
「ご利用いただくボートは2人乗りですので、お2人ずつでのご利用をお願いします。お1人でご利用の場合は、別の1人でご利用の方がいらっしゃるまでお待ちいただく場合があります。」
俺に明るく話しかけていた小山内も、俺が視線を看板に釘付けにしていることに気がついて、注意書きを目で追い始めた。
ついに、俺と同じ所まで読んだらしい小山内が、ぎぎぎっ、という音でも聞こえそうなくらいぎこちなく俺に向き直る。
「あんた、知ってたの?」
ぶるぶるぶる。必死で首を横に振る俺。
「ほんとに?」
ぶるぶるぶる。必死に首を縦に振る俺。
「すみません、前があいているので、前に詰めて貰っていいですか?」
建物の影にもう少しで入れるのに、という顔の後の人からのクレームにまた首をぶるぶる縦に振る俺。そんで5歩前進。
「ちょっと待って。あんた、これに私と乗るつもり?」
前進した俺の横にはついてきてくれたものの、険しい顔で小山内が問いかけてきた。
俺は、首を縦にも横にも振ることが出来ず、情けない顔で小山内を見る。
「ほんとに知らなかったんだよ。」
「それはいいから。あんたは、私と一緒に乗りたいのかって聞いてるの。」
小山内は、真剣というか恐いというか、そういう雰囲気をまとった笑顔で聞いてきた。
何だろう、人生、とまでは言わないが、俺の高校生活の選択がかかってる気がする。
「ああ。乗りたい。」
結局俺は、素直な気持ちをそのまま言葉にすることにした。
いろいろ考えたって、正解がわかるわけでもないからな。
「そーねぇ。そうなのね。」
小山内は恐い雰囲気を崩さない。
「ふーん、そうなんだ。」
あ、小山内の、恐い雰囲気が、今ふっと消えたような気がする。
それとほぼ同時に、また前の人が進んで、俺たちもそれに続く。
というか、やめるならそろそろ列から外れないといけないんだが。
「いいわ。あなたが心の中で泣いて頼んでるのがわかったから一緒に行ってあげる。でも勘違いしたらだめよ。」
小山内はいたずらっ子のような顔つきでそう宣言した。
俺は心で泣いて頼んでたのか?
実際小山内と一緒に乗りたいと思ったのは事実だから、俺の気づかないうちに泣いて頼んでたとか?
まさかな。
ただ、小山内が一緒に乗ってくれるのは嬉しいから素直にお礼と質問をしておこう。
「ありがとう。」
「ええ。」
「で質問なんだが、俺は何と何を勘違いするかもしれないんだ?」
「ええっ?!」
小山内はいきなり慌て出した。
「それは、あの、あれよ。」
「どれだ?」
「あれって言ったらあれよ。」
「だからどれだ?」
小山内はちょっと怒ったような顔で口をとがらせる。
「あんた、わかって言ってるでしょ。」
「いや、ぜんぜん。」
まさか、小山内が俺に、俺たちの活動のパートナーとして以上の好意を持ってくれてる、なんてするはずのない勘違いのことを言ってるとは思えないから、本当に見当がつかない。
「やっぱりあんたバカなのかしら?」
失礼な。
まあ実際思いつかないんだからそう言われたって仕方がないのか?
「私もなんだか不安になってきたから、あんたに大事なことを教えておいてあげる。」
「なんだ?」
「…やっぱりやめておくわ。あなたが自分で考えて、自分で気づいて。」
なんなんだ一体?
まあ小山内はいつも俺が自分の力で気付くようにしてくれてるから、そういうことなんだろうが、この謎は相当難しそうだ。