5 魔物の洗礼
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俺は魔術が好きだった。
幼い頃から魔術は身近な存在で、魔術が込められた魔道具が遊び道具代わりだった。魔術を学ぶ環境も整備されており、俺は魔術研究にのめり込んだ。ディルトゥーナが開発したほとんどの魔術を習得した頃、俺は「固有魔術」を己に刻むことを決めた。
ディルトゥーナ一族に伝わる儀式により授かる「固有魔術」は、二度と通常の魔術を使えなくなる代わりに、この世に存在する全ての魔術と異なる、唯一無二の魔術を得られる。その覚悟と栄誉により、授かった者は一族の誇りとされていた。
俺は今まで極めた魔術が失われるのが惜しいとは思わなかった。それ以上に、俺は未知から来る好奇心と、自分だけの魔術に惹かれたのだ。そして儀式によって授かった俺の「固有魔術」は愚術だという烙印を押された。
それなりの資金がないと発動できない。できたとしても使った金額に見合わない貧弱な能力を無作為に取得。優秀な魔術師だと期待されていた分、今までの俺の立場が簡単に崩れるほど落胆された。そして俺は一族の面汚しとしてディルトゥーナを追放された。
俺は俺の「固有魔術」が憎かった。俺の全てを奪ったこの魔術が。
だけど、本当は……、本当はもっとこの魔術のことを知りたい。もっと研究がしたい。もっと魔術を使いたい。俺の固有魔術であるエクスチェンジ――仮に名付けたその名前さえ何か違和感を抱いている。
なあ俺の魔術よ。お前は本当に愚術なのか?
◆◆◆
「…………うっ、くっ……」
沈んでいた意識が徐々に覚醒していった。俺は薄暗い洞窟の地べたに横たわっていた。眼前にそびえる岩壁の上から落下してしまったようだが、服の損傷が激しいだけで身体の傷はほとんどなかった。気絶している間にスキル《オートヒール》が回復してくれたのだろう。一度の回復力は少ないが、時間さえかければ高級ポーションに引けを取らない。
「事前にこのスキルが来てくれたのは、せめてもの幸運か……いづッ!」
起き上がろうとすると左肩に激痛が走った。バルトロが放った矢が左肩に突き刺さっていた。ローブのお陰で深くまで刺さってはいなかったが、少しでも肩を動かすと涙が出るほど痛い。矢が刺さったままでは《オートヒール》で完全に回復できなかったようだ。
「ふーっ、ふーっ……ぐあっ!」
意を決して右手で矢を引き抜く。全身から脂汗が噴き出す。すでに《オートヒール》の効果は切れていたため、持ってきたポーションで回復を行おうとしたが、
「なっ……ちくしょう!」
腰のポーチに入っていたポーションの瓶は全て割れていた。零れた中身がポーチを濡らしており、試しに患部に押し付けてみると徐々に痛みが引いてきた。ポーション数本分でこの程度の効果しか見込めないのは大損失だったが、今は贅沢を言っていられない。
今の最優先事項は、このオオトカゲの洞窟から脱出だ。
入り口は恐らくアキレスたちが待ち構えている。戻って鉢合わせになるのは避けたい。であれば、あるかは分からないが先に進んで別の出口を見つけるしかない。そして冒険者ギルドに報告をして、あいつらに処罰を受けさせなければ……。
「……く……クソッ! クソォッ!」
今頃になってふつふつと怒りがこみ上げてきた。アキレスたちが優しく近づいてきたのも、俺を仲間だと認めてくれたのも、全部ディルトゥーナの金目当てだった。皆の期待を裏切るのを恐れていたってのに、俺が裏切られる羽目になるなんてな……。
やはり仲間なんて必要なかったんだ……。もう二度と仲間なんて作らない……。
いつまでもここに居たら追いつかれる可能性があるため、怪我で重く感じる身体を無理やり立たせる。とにかく洞窟の奥に進んで、地上への道を探さなければ……。
歩き始めようとした時、洞窟内をぼんやりと照らす光源の正体に気付いた。壁に松明が掛けられていたのだ。道沿いに点々と掛けられている松明は明らかに自然にできた物ではなかった。
この洞窟に別の人間がいる……?
こんな辺鄙な洞窟に住んでいる人間などまともではないだろうが、今は少しでも助けが欲しい。俺は光源に従って歩き始めた。そして曲がり角を曲がると、その松明を作ったであろう存在がそこにいた。
二本足で立ち、両手に武器を携えられるオオトカゲの近縁種、リザードマンだ。
「ッ⁉」
「クシャァァアアアアアア!」
俺に気付いたリザードマンが大口を開けて威嚇してきた。身が竦むほどの声量に圧倒され、反応が一瞬遅れてしまう。リザードマンは手に持った棍棒を、すでに俺の頭目掛けて振り下ろしていた。俺は痛む左肩を無視し、盾を斜めに構える。棍棒の軌道を逸らすように受け流すことに成功し、俺は剥ぎ取り用のナイフを抜いた。
「うぉぉおおおらぁああ‼」
リザードマンの首を真横に切りつける。鮮血が噴き出す。リザードマンは己の首を抑えるも流れ出る血は止まらない。
……勝った!
リザードマンの討伐適性ランクは銀だ。たとえ適正ランクでも高い知能を持つこの魔物を一人で討伐するのは無謀だと言われている。それを俺はこの短いナイフ一本でこなした。
湧き上がる達成感に満たされながら、ふらついているリザードマンを眺めていると、
「グルルォォオオオオ‼」
リザードマンは口から血の泡を噴き出しながら、がむしゃらに棍棒を振ってきた。
「がッ……⁉」
勝利の余韻に浸っていた俺はその死に物狂いの攻撃を避けることができなかった。視界がぶれ、景色が半分赤く染まる。リザードマンの攻撃は俺のこめかみに当たり、血が片目に流れ込むほどの出血をしていた。
「ッ……ああああああああああああああ‼」
俺は追撃を仕掛けてきたリザードマンを押し倒すように身体全体で突き飛ばし、首の傷口目掛けナイフを突き立てた。
「ジャアアアアアアアアアアアア‼」
リザードマンの断末魔が耳元で響く。抑えつける俺に必死に抵抗し暴れている。手に持った棍棒や拳が俺の身体のあちこちを殴打するが、俺はナイフから手を離さなかった。
「グガッ……ガッ……カッ…………」
リザードマンの動きが完全に止まる。命が尽きたのが突き立てたナイフから伝わってくる。
「はあ……はあ……今度こそ、仕留めた……」
ナイフを抜き、立ち上がろうとするも殴打された頭が朦朧とし、尻もちをついてしまう。
クソッ……勝ったと思って油断してしまった。生き物は死に物狂いになった時が一番危険だと言うに……。
心の中で反省するが、今はそんなことをしている場合ではなかった。リザードマンの適正ランクが銀だと言われる所以が目の前に訪れた。
リザードマンは基本群れで行動する。
今さっき決死の思いで殺したリザードマンがもう四、五匹現れた。
「なっ……⁉」
ぼやける意識が回復する間もなく、リザードマンの一匹が突っ込んできた。手に持った金属製のメイスだと思われる武器が横なぎに振り払われる。盾で防ぐも身体ごと吹っ飛ばされた。
「ぐぅ……!」
地面を転がり、そのまま距離を取ろうとするがすでに別のリザードマンが待ち受けていた。地面に跪いている俺をリザードマンは容赦なく踏みつけてきた。俺はその脚に合わせ、ナイフで切りつけた。
「ギャッ!」
小さな悲鳴が上がるも、すぐに俺のナイフはさらに別のリザードマンによって蹴り飛ばされた。武器を失った俺を囲むようにリザードマンたちが集まってくる。そして真上から何度も振り下ろされるメイスをなんとか盾で防ぎつつも、他のリザードマンの攻撃まで手が回らない。徐々に盾の隙間を狙った蹴りが入る。
「がっ……!」
痛みに悶えた瞬間、盾が弾かれ無防備になった。その隙を狙ったメイスが頭を狙って降ってくる。
あ……俺、ここで死ぬのか……?
景色がスローになり、確実に死が近づいてくるのが分かる。これは死を受け入れるための時間か? 覚悟なんてできるわけがない!
俺はまだ……! まだ、俺だけの魔術を……!
――引……いて……チャ……を
どこからか声が聞こえた。それは何度か聞いた俺にしか聞こえない女性の声だった。
――今こそ……ガ……を……信じて!
段々とその女性の声ははっきりと聞こえてくる。何だ……? 何を信じろと言うんだ!
――貴方の固有魔術『ガチャ』を信じて!
俺は無意識に右手を伸ばし、叫んだ。
「『ガチャ』起動‼」
光が周囲を包み込んだ。
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