15 魔術を捨てた日
遂にこの日がやって来た。今日は俺が固有魔術を得る儀式の日だ。
ここはディルトゥーナの本館の大広間、通称儀式の間だ。俺は今からディルトゥーナ一族に伝わる魔導書から固有魔術を授かる。
固有魔術を己の身に刻むことはディルティーナ一族にとって名誉である。俺は豪華な衣装を身に纏い、大広間の中心で佇んでいた。
客席がある吹き抜けの二階から俺の儀式を一目見ようと、数多くのディルティーナの血縁者や商会の役員たちが見学に来ていた。俺が一体どのような固有魔術を得るのか気になるのだろう。
「お兄さまー! がんばって……けほっけほっ」
その観客の中で俺を応援する声が聞こえた。妹のマカレアだった。身体が弱いため咳き込んでしまう彼女をメイド長が背中をさすっているのが見える。俺としては自室で休んでいてもらいたいのだが……。
「…………」
俺は無言で軽く手を振ると、マカレアはぱあっと明るい表情を見せた。彼女のことはメイド長に任せているが、今日の所は調子が良さそうだな。
しかし、そんなに兄が心配なのか? 今日は俺の晴れ舞台なんだ。せっかくなら楽しんでもらわないと。
この大広間に続く大扉がゆっくりと開かれた。人影が二つ見える。
俺は彼らが入ってきたと同時にとっておきの魔術を発動した。
大扉から大広間を横切る赤絨毯の左右からいくつもの火柱を噴出。続けて風で火の粉を散らしつつ火柱の形をアーチ状に変化させた。飛び散る火の粉は様々な動物の姿に形成し、空中で踊らせている。
「……ほう」
「ふむふむ」
火柱のアーチの下を歩きながら感心している様子の二人。勿論彼らに危害を加えないように熱遮断の魔術を併用して発動している。
まだまだこんなものじゃないぞ、俺の魔術は!
俺はまるで指揮棒を操るように両手を振り、全ての火柱を突風で天井まで持ち上げ、一気に大広間の床に叩きつけた。床一面に広がる無害の火は一瞬で土に変化し、そこから木々や草といったあらゆる緑が生い茂った。
そして、大広間の奥に位置する玉座を中心に、森の奥でひっそりとそこに存在するような澄み渡った湖畔を生成した。
わっ、と観客から歓声が漏れるのが聞こえた。これが俺の魔術の集大成だ。
俺は玉座への道を避けるように膝を付き、目の前の男に頭を下げた。
「お待ちしておりました。父上」
「…………」
彼は俺の父であり、ディルトゥーナ魔術商会会長であるエドムディオ・セベ・ディルトゥーナだ。彼に楽しんでもらうために俺は、これらの魔術を何日もかけ準備し、披露したのだ。
「いかがでしたか? 魔術の基本となる四元素を中心にディルトゥーナの偉大さと永遠の繁栄を表現してみました」
二階から感嘆の声が上がる。観客の彼らには分かってくれたようだ。俺の芸術が!
ディルトゥーナの威厳を示す炎、それを後押しする風、繁栄する大地、そしてその中心の湖に浮かぶ玉座に父が座ることでこの芸術は完成するのだ。
さあ、早く座ってください父上。勿論、この湖の水は人が沈まないように魔術を掛けております!
「…………おい」
「はい」
父が後方に控えていた男に促すと、俺が創った景色は溶けるように崩れ始め、その男の手のひらに渦を描きながら集まっていった。
「………………は?」
俺の魔術はあっという間に手の中に収まるぐらいの球体に凝縮され、それを男は一口で呑み込んだ。
「ふむふむふむ。うーん美味ですな。とてもとても研鑽を積んでおるのが分かりますよ。ただ隠し切れない隠し味の傲慢さが余計ですが」
お、俺の魔術が食べられた……?
この方はベンセスラス・ウゴ・ディルトゥーナ。父の弟であり、俺の叔父にあたる。ディルトゥーナ魔術商会開発局局長を担っており、父の右腕だ。
彼の固有魔術は今のように他者の魔術を食し、解析することができる。又、その魔術を再現、加工、合成といった幅広い応用が可能で、商会が販売している魔術品のほとんどは彼が開発したものだ。
「さっさと始めるとしよう」
父はまるで俺の魔術に興味がなさそうに、玉座に座った。
それもそのはずだ。固有魔術は既存の魔術を凌駕する。俺が長い時間をかけて磨いた魔術など、固有魔術を持つ者にとっては取るに足らないものなのだろう。
だが、それでいい。俺もその力が手に入ろうとしているのだから。
「『ラモン・レグロディ・オズ・レナトール・ディルトゥーナ』この者に魔術を授けよ!」
父が呪文を唱えると、手に持っていた魔導書が宙に浮き、自動でページが捲られていく。白紙のページでピタリと止まると、本から光が発射され、俺の身体を覆った。
「うっ……ぐっ、がぁぁああああああああああああああああああああああああ⁉」
全身に激痛が走った。俺は耐え切れずその場で蹲り、絶叫する。
身体の内側から何かが蝕んでいく感触。俺の今までが上書きされていく感覚。すぐに理解した。今まさに己の魔術が消えていっている、ということを。
「お兄さま!」
妹の声が微かに聞こえる。あの子を心配させちゃいけないだろ。それにもう覚悟したはずじゃないか。俺は魔術を捨てて固有魔術を得るのだと。
俺は蝕んでいく何かに抵抗することを止めた。すると、すっと身体が楽になり、立ち上がることができた。
「……ほう」
俺は俺の身体に固有魔術が定着したのだと悟った。感心しているような表情の父と目が合う。
「己の内側に意識を集中させよ。さすれば自ずと何が必要か分かるはずだ」
父の助言に従い、目を閉じて集中する。すると頭の中にある物が思い浮かんだ。
「……金がいる」
「今すぐに用意しろ」
父が近くで控えていた使用人に命令すると、数分も立たずに金貨が並べられた箱が運ばれてきた。俺はそこから一枚取り、再び意識を集中させる。
「……ッ! これは……」
手に持っていた金貨は消滅し、代わりに手から溢れるほどの虹色の粒が出現した。
「まだだ。続けろ」
父の言葉に従い、俺は粒に念じる。するとその粒は塊になり消滅。そして手が銀色に光り出した。
力が感じる……。この光こそ、俺の固有魔術の真の力だ!
「発動せよッ!」
輝く手を目の前にかざすと光が消え、目の前に六角形の鏡が出現した。
宙に浮かぶその鏡が俺の固有魔術……? 一体どんな魔術なんだ?
「ベンセスラス」
「はい」
いつの間にか俺の傍に立っていたベンセスラスは俺が出した鏡をベタべタと触ったり、匂いを嗅いだりしている。終いには鏡の表面をベロンと舐めた。まるで俺自身が舐められたかと錯覚し、背筋に悪寒が走る。彼はハンカチで口元を拭うと淡泊に告げた。
「ただの鏡ですな」
……な、に……?
「魔術を撥ね返す効果がある訳でも、魔鏡伝のように別の地点を映す機能が備わっている訳でもない。普通の鏡です」
そんなはずは……俺の固有魔術で召喚した鏡だぞ。何か特別な力があるに決まっている!
「もう一度……もう一度やらせてください!」
俺は再び金貨を掴み、同じ手順を踏んで固有魔術を発動させた。
「……え? 何も起きない……?」
固有魔術は確かに発動した。しかし今度は鏡さえも出現しなくなってしまった。
ただ茫然と光っていた手を眺めていると、ベンセスラスが俺の眼前で匂いを嗅いできた。
「ッ⁉」
「ふむ……「治癒」と似た魔術が発動してますな。しかし一定の間隔で何度も発動しているとはいえ、一度の発動で並以下の効果しか感じられませぬ」
は……? 何故そんな魔術が発動した? 俺は「治癒」の魔術を発動したつもりはない。確かに固有魔術を……別の効果が発動したのか?
だったらまた固有魔術を使えば……!
俺は縋る思いでもう一度金貨を掴み、固有魔術を発動させた。
「…………目がスッキリする」
「目限定の疲労回復魔術が発動しておりますな」
そ、それだけ……?
ベンセスラスは俺から顔を離し、考え込むように顎に手を置いた。
「ふむ。これまでの経過から考察しますと、レクディオ君の固有魔術は「金を消費することで、ランダムに魔術を発動する」という効果なのではないでしょうか。代償が多い割に、いまいちリターンが薄いの気になりますが」
な……、俺の固有魔術がこんな……こんなショボい訳ないだろ! まだ何かあるはずだ!
俺は諦め切れず、再び金貨に手を伸ばそうとした時、
「もうよい」
完全に飽きたような声の父によって制された。俺はその場から一歩も動けなくなった。
父の言葉は俺を諦めさせる。そういう力を彼は持っていた。
「…………」
父は魔導書にさらさらと文字を書き込み、勢い良く閉じた後、ぽつりと呟いた。
「……ハズレか」
はずれ……? ハズレと言ったのか? 俺の魔術を……俺の固有魔術を!
俺は誰にも聞こえないほど小さな声で呪文を唱えた。
「炎よ」
しかし、魔術は発動しない。分かっていたことだ。覚悟をしてきたはずだ。固有魔術を授かった時、今までの魔術は使えなくなるということは。
「おやおや、あんなに大見え切っていたのに……会長が可哀そうだわ」
「彼が当主になるのは無理があるんじゃないかね? あんなしょうもない固有魔術じゃ」
「発動するたびに商会の資金を使うんじゃないだろうね? 商会のために有効活用できなきゃ愚術もいいところだ」
愚術……。
二階の観客席から俺を笑う声が聞こえる。俺が今まで積み重ねてきた魔術を手放してまで手を伸ばした先にあったのは「愚術」と呼ばれるものだったのか……?
周囲から俺を蔑む視線を感じる。不平不満の声や嘲笑の声が聞こえる。
違う……違う! 違うんだ! 俺の、俺の魔術はこんなものじゃ……!
咄嗟に顔を上げる。視界に入ったのは俺が固有魔術で出現させた鏡だった。そこにはこの日のために仕立てた豪華な服を着た男が映っていた。
だが、その服の上に乗っている顔はどこまでも醜く見えた。
◆◆◆
「……くっ、ぷはぁっ⁉ はぁ……はぁ……あ?」
ここは……オリーボ鍛冶店の俺の部屋……? そうだ……オオトカゲの依頼から帰ってきた後、いつの間にか寝てしまったんだな。
ちっ……嫌な夢を見た。あれからもう一年も経つのか……。
ふと脚の方を見ると、フラルが俺の上で寝そべっていた。
「すぴー……すぴー……ぴゅるるるるぅ……すぴー……」
奇妙な寝息を立てながら気持ちよさそうに寝ている。もしかしてこいつ、俺の顔の上で寝ていたんじゃないだろうな。だから息苦しくて悪夢を見てしまったとか……。
すでに夜が明けそうになっていたため、俺はフラルを起こさないようにどかしつつ、朝の支度をすることにした。朝の内に冒険者ギルドで昨日遭遇したドラゴンや、モニカについて報告しないと。
支度を進めていると、フラルからもにゅもにゅと声が聞こえた。
「……必ず……らいを……取り戻す……のですぅ……すぴー……」
寝言か? 取り戻す……? 何をだ?
「それ……私のご飯……なのですぅ……」
飯のことかよ……。夢の中でも飯を喰っているのか? 食いしん坊な寝言だな。
思わず頬が緩む。重く落ちていた気持ちが軽くなった気がした。
この続きは明日の20時更新!




