12 帰る場所
「やっと……帰って来られた……」
オオトカゲの洞窟での死闘を終え、俺は城塞都市ラピスに帰ってきていた。魔物やアキレスたちの襲撃に警戒しつつの帰還だったため、思ったより時間がかかってしまった。日が完全に暮れているばかりか、すでに日付が変わりそうになっていた。冒険者ギルドにドラゴンやモニカのことを報告しなければ。
くうぅぅ~……。
腹から情けない音が鳴る。早朝、オオトカゲの洞窟に突入する前に軽く食べてから何も腹に入れていない。とにかくどこかで腹ごしらえをしたい……報告はその後だ。だが所持金に余裕はない。となると行き着く先はただ一つ。
『ここは……オリーボ鍛冶店?』
半透明の姿でふわふわと俺の周りを漂っている女神リンカメリアは、店の看板を見上げ首を傾げていた。現在、俺はこの鍛冶店の一室を借りている。ラピスに来た当初、道に迷って行き倒れかけていた頃から宿替わりとして住まわせてもらっている。冒険者業がやりたいってのに、たまにバイトとして駆り出されるのは勘弁してほしいが。
「おぅおぅおう! 営業時間外ってのも分かんねぇのか! どうしても依頼してぇんってなら、それ相当の代金は覚悟してもらおぅか!」
柄が悪い声を上げながら店から出てきたのは、ここの店員であり店主の一人娘、ルビアだった。長い茶髪をひとつに纏め、普段作業している鍛冶場が暑いのか、露出の激しい恰好をしている。以前は目のやり場に困っていたが、ある程度共に生活していると慣れてしまった。
「んん? なぁんだレクじゃん。ちゃんと依頼をこなしてきた?」
「あ、ああ」
「ん、そっか。おかえり!」
ルビアは何かを察したのか、朗らかに笑いながらバンっと俺の背中を叩いた。「ちゃんと」と言われれば、微妙だったことを見抜かれてしまったのだろう。だが何も言わずに迎え入れてくれた彼女の優しさに胸が打たれる。
『私……レクさんに帰る家があって安心してます……』
俺の後ろで何故かリンカが涙ぐんでいる。そりゃあディルトゥーナを追い出された俺を受け入れてくれたオリーボ鍛冶店には感謝している。
それに恥ずかしいから絶対に本人には言わないが、ルビアの「おかえり」という言葉に何度救われたことか。依頼をこなした後の彼女の「おかえり」を楽しみにしているのは秘密だ。横目で彼女の顔を見るとにやにやと笑っていた。バレているかもしれないけど。
きゅぅう~……。
また腹が鳴った。しかもより間抜けな音で。
「なぁんだ。腹減ってんの? 待ってな、ぱぱっと作ってやるよ」
恥ずかしさで顔が紅潮しているだろう俺にルビアは夜食を作ってくれるらしい。彼女の優しさに心が緩むが、決して油断してはいけない。なぜなら――
「安心しな。しっかり宿代に上乗せしておくからさ」
彼女は守銭奴だからだ。隙を見せたら搾り取られることは必至だ。
しかし一般的な宿屋よりは宿泊費は安く済んでいるため、文句は言えない。俺は意気揚々と料理に励もうとする彼女の背中を追いかけ、店の中に入った。
「あ、そうそう。レクに荷物が届いてるよ。そこのでっけぇやつ」
ルビアが指を差した方向に、梱包された両手で抱えられるほどのサイズの六角形の荷物が立て掛けられていた。送り主の名前はなく、俺がこの場所に宿泊していると知っている人はほとんどいないはずだが、筆跡にどこか見覚えがあった。
嫌な予感がしつつ荷物に触れると、込められていた魔術が発動し、自動的に開封された。おそらく俺本人に反応して発動する魔術だろう。現れたのは枠に豪華な装飾が施されている大きな鏡だった。
『鏡? ……にしては分厚くて、ごてごてしてますけど』
「これはだな……っと」
リンカが物珍しそうに鏡を覗き込んでいると、鏡の表面が波紋が広がるように揺らぎ始めた。
『えっ、鏡が揺らいで……わっ、なんか歌声も聞こえてきましたよ!』
「これは「魔鏡伝」と言った魔道具で、同じ物を持っている遠く離れた人物の姿を映し、会話ができるんだ。最新型だろうな、だいぶ小型だ」
ディルトゥーナ製の魔道具で色々と便利だが高価なため、各街の病院や役所、冒険者ギルドといった重要施設にのみ普及している。
『ああ、テレビ電話みたいなものですか。そういえばそんなのもありましたね』
「てれびでんわ?」
『いえ、気にしないでください。それで出ないんですか? ずっと鳴ってますけど』
「おそらく相手は俺の……弟だ。俺が心配で居場所を突き止め、これを送り付けてきたんだろう」
『あれ? レクさんに弟いたんですか?』
リンカの疑問をスルーし、魔鏡伝に手を伸ばす。このまま出ないのも手だが、開封したことはあっちに伝わっているはずだ。後回しにしたら余計面倒なことになりそうだった。俺は覚悟を決め、鏡に触れるとそれに映っていた俺の姿が塗り替わり、別の人物の姿が映し出された。
「あっ、あーっ! お兄さま! やっと繋がった! やったやったぎゃあああ! 申し訳ありません、お兄さま! 鏡が倒れてしまいました! これで大丈夫なはず……お兄さま! 私ですっ、あ、いえ、僕です! マカレナ・シン・ディルトゥーナです!」
ふわふわな白髪が一瞬見えたと思いきや、激しくぶれながら天井が映った。しばらくすると、鏡は可愛らしいフリルで飾り付けられている寝巻を着た受け手を上下逆さまに映し出した。魔鏡伝を倒した後に上下逆に置いてしまったのだろう。いや、そんなことはどうでもいい。目を見開いて驚いているリンカに何と説明すればいいのやら……。
『女の子ですよね? 妹ですよね?』
そうだよ。妹だよ。俺に弟はいない。
マカレアはディルトゥーナ魔術商会の跡取りとなるために、男として扱われているだけだ。跡取りに女性が選ばれるのは前代未聞らしく、ましてや元々跡取り候補だった兄を出し抜いたんだ。各派閥に認めさせるために男だと偽っているらしい。それほどまでに彼女が授かった固有魔術が魅力的だったのだろう。いや、俺の固有魔術がクソすぎたせいか……。
「ちゃんと届いて良かったです。この魔鏡伝はお小遣いを貯めて買ったんですよ! お兄さまとお話がしたくて! あっ、住所は勝手に調べさせて頂きました。お兄さまも知っている通り、優秀なメイド長がいますので。うしし」
「……マカ。鏡が逆だ」
「逆……?」
マカは何を思ったのか自身が反対になるほど身体を傾けている。やがて反対なのは鏡の方だと気付き、わーわー言いながら鏡の向きを直した。言動もだが、寝巻がひらひらしていて男っぽさが全くない。男を強制されている自覚はないのか? いや、彼女が男を演じるのを止めさせるのは俺の役目だろうが。
「マカ、まだ時間がかかるだろうが、俺は必ずディルトゥーナに戻る。お前を独りにさせやしない」
これは俺の決意だ。俺の責任を彼女に押し付けてしまった償いだ。絶対にマカをディルトゥーナから解放してやる。そんな俺の宣言をマカはぼーっと聞いていた。
「……はい、私はお兄さまを信じております。ずっと……ずっとお待ちしております」
マカは両手を胸に当て、潤んだ瞳で見つめてくる。俺を信じて待ってくれている彼女に応えなければ、男が廃るってもんだ。
「……もう夜も遅い。俺と話すために寝ずに待っていたんだろ? 眠くて目が潤んでいるぞ?」
「えっ、そそそそんなことないですよ! 私はお兄さまを…………あっ、あのっお兄さま!」
マカレナは一度口ごもり、顔を真っ赤にしながら口を開いた。
「私はお兄さまをお慕い申し上げております! これまでもこれからもいつまでもずっとずっと……お兄さまを大切に思っております……」
今にも泣き出しそうな顔をしているマカレア。俺は彼女をこんなにも不安にさせてしまっていたとは……。彼女はたとえ俺がこの先ディルトゥーナに戻れなくても自分とは兄妹であり続ける、と言っているのだろう。こんなことを言わせてしまうなんて兄として不甲斐ない……。
「……ああ、俺もマカレアを大切に思っている」
「はい!」
「絶対にお前に恥じない兄貴になるからな!」
「……はい」
あれ? 少しテンションが下がってない? 現状、恥でしかない兄貴だからか?
「じゃ、じゃあ切るぞ。体を大事にしてちゃんと寝るんだぞ」
「は、はい! お兄さまもお体にお気をつけてください! お休みなさい!」
「ああ、おやすみ」
「あの! 本当に大s」
あ、切ってしまった。何か言いかけていなかったか? まあ何か用があったらまた掛けてくるだろう。妙な視線を感じて振り向くと、俺たちの会話を黙って聞いていたリンカがじとっとした目で見つめていた。
「……何だ?」
『いえ……なんだか最後の方、すれ違っていたような……』
一体、何のことだ?
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