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狼と尾とひとと  作者: 鳥居羊
8/36

時(3)

         3


「知りたいのは、最初からだ。どのようなことがあった」

 と、ディーは尋ねる。


 聞かれた男は、見知った(ごう)()だ。

 故郷を離れ、社団の兵として雇われていた。

 遠い異国に、富や領地を求めてやってきた。雇用された兵たちは、誰もがわけありだ。

 流れてきた身だからだ。ならず者と呼ばれることすら珍しくない。


 それでも、契約に従う知恵はある。

 生きのびるために群れをつくるのは、狼だけの習性ではない。

 社団の領主、群れの頂点が、争うなと訓じたのだ。相当な理由なしには、破らないはず。


「ただ知りたい、というのではない」


 ディーは、脇腹の傷をかばう男に、片膝をついて顔を寄せる。

 そうして傷の様子も探るが、どうやら矢傷ではない。

 並行に走る鋭い裂傷。刃物であれば、相当に変わった得物、ということになる。


「お前が見たままを、詳細に知りたい。思い出しながら話してくれ」


「わかっている、(とう)()官。これは、たった今のことだ。目の前で起こった。忘れるはずがない。ありのままを話そう――」


 ガラエキアの男は、興奮からか、震えがちな唇で話し始める。

 それは、次のようなことだった。



 月は、出ていた。

 青白い月光のもとだ。夜に慣れた目であれば、かろうじて見える。

 そうはいっても、密生した森だ。まして(せば)()では勝手が違う。

 先は見通せない。

 潜んでいるものに耳をそばだてても、木々の根元に、藪の中に、枝葉のざわめきにまで、あらぬ気配を感じてしまう。


 松明をかざし行軍したいところだが、できない。

 案内のものは、人狼族の若い兵士だ。

 同じ人狼の、敵方の習性にも通じているはずで、その彼が言う。

 炎の臭いは、わかる。くすぶり()ぜる火の粉の臭気は、遠く地平の先まで離れていてもわかるだろう――と。

 そのように聞いてしまえば、明かりは使えなかった。


 月が森の陰まで落ちないうちに、かたをつけたかった。

 ひとの砦より出でて、かなりの距離を歩いたが、いまだ狼王の治める領内にあった。

 王弟が(ちん)(じゅ)する城市からであっても、さほど離れていないだろう。敵方が物見に入りこんでいるとすれば、ずいぶんと内奥まで、ということになる。


 思えば既に、内通を疑っていた。

 道をゆけば足跡が残る。ひとが何日も行軍すれば、食事もせねばならない。

 そうした日々を生きるための痕跡は、隠しようがないのだ。隠密に長けた斥候とはいえ、このような奥地まで忍び入れるものか?


 前方には、蛇のようにうねる、下草に湿った道が続く。

 草が刈られた土の道であれば、松明の明かりの下ならば、ひとの兵にも追跡できただろう。

 この今は、どちらでもない。

 案内のものに任せるしかない。だが、命を預けざるを得ない彼は、異国の人外なのだ。


「どうした」

 と、男はたずねた。案内が、立ち止まったからだ。


「ここに、やつらがいた」

 人狼の案内が、答える。

 腰を落として、なにかを探しているようにも見える。ひとには見えぬ何らかの痕跡か。


「では、この先にいるのだな。追跡できるか」


「できる。はっきり見えている」


 声は、自信ありげだ。

 少年から脱したばかりの若者が、肝が据わっている、と男は思う。


「ならば、このまま追おう」


 案内は、無言でうなずいた。

 そのまま追跡を続けていると、再び、案内が立ち止まった。


「どうした」


「ここに、やつらがいた」


 同じことを言う。

 男はさらに追跡を続けさせるが、似たようなことが、何度も繰り返された。

 その都度、案内の返事はまったく同じだ。

 やつらがいた、と言う。

 ガラエキアの男は、疑い始めた。適当なことを言っているのではないか。いた、と言うだけならば誰でもできる。

 引き返すわけにもいかず、さらに追跡を続けさせた。


「ここに、やつらがいる」


 今度は、答えが違う。

 いる、と切羽詰まったものになっていた。

 だが、なにものの姿も見えない。森が自然に放つ音、虫のちりちりと鳴く声や、夜鳥のほうと鳴く声はあっても、ざわめく気配が感じられない。


「いる、というのか」


「そうだ。やつらがいる」


「潜んだ足跡が見えるのか」


「見えない」


「では、どうしてわかる」


「見えるからだ」


 案内の手元をちらりと覗き、男は眉間に深いしわを刻む。

 なにかが妙だ。やつの手は、刀の柄にかかっているのではないか。抜く気なのか。

 返答は、矛盾するのではないか。どのような意図か。


「妙ではないか? 見えないのか、見えるのか。俺の耳が聞き違えたか?」


「もう一度、本当のことを言う。見える。やつらは、ここにいる。間違えようがない」


 周囲の兵にも、案内の声は聞こえた。

 ざわめきが一瞬だけ広がるが、お互い静かにし合うように、手のひらで制す。

 言葉どおりに受け取れば、既に、敵方の包囲にあるのだ。

 狭路に姿を見せていないということは、左右の森の中、ということであろう。

 木々の背後に隠れているのか。

 下生えに伏せて、襲撃の機会をうかがっているのか。


 誰ともなく、皆がそれぞれ武器を抜いた。

 刀の刃を、鞘に滑らせた。弓には、()(はず)を握る指を添えた。

 ()(づつ)は魔法の領域であるから、まだ使えない。よほどのことがなければ禁止されている。

 案内の男も、同じように刃を見せていた。その動作が、殺気を生んだのだ。


「場に固まるな、散れ。おのおの、左右に当たれ!」


 男の指示で、兵たちが二手に分かれた。先手しかない、との判断だ。

 森へ跳びこみ、茂みに分け入り、気配を頼りに刀を向けた。そんなものは、勢いに任せただけの稚拙な戦だ。しかし、それしかない。

 既に囲まれ、相手からのみ見えるとすれば、先の先を取ることだけが望みとなる。

 しかし、その場には誰もいなかった。騙されたのだ。

 兵たちが悪態をつき戻る中、案内の兵は、悪びれずにその場にいた。

 憮然とした表情で、男が掴みかかっても、憎々しげに「失敗した」と、つぶやく。


「諦めろ。追跡は無理だ」


「お前が、そのようにしたからだ。我らは諦めない。小賢しい時間稼ぎで逃げようというのなら、徹底的に追うまでのこと」


 刀を握らぬ手で、思い切り、案内の兵を殴りつけた。

 彼のほうでは、手に刀を持っていたから、逆襲しようとする素振りがあった。それを払い、斬りつけ、まだ息があるから縄で縛り上げる。

 一部を見張りに残し、足の速いものを中心に、追撃の兵を走らせた。もちろん、自らも先頭に立つ。

 その後のことは、男は、あまり詳しく覚えていない。

 ただ、混沌そのものだった。



〈つづく〉

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